序章 第二幕:作戦会議 第3話 前編
「書斎にもしかしたら、ヴェルナーラの情報が載った本があるかも知れません」
カミーユはそう言って、窓辺のレースのカーテンをそっと引いた。
午後の光がやわらぎ、書斎の空気が少しだけ落ち着いたように感じられる。外では湖面がきらめき、風が木々の葉を揺らしていた。
書斎は、彼女の世界観をそのまま閉じ込めたような空間だった。 壁一面の書棚には、王国の古文書と皇国からの献本が並び、棚の上には乾いたラベンダーの束が吊るされている。インクの香りと古書の紙の匂いが混ざり合い、静かな時間の層が積み重なっていた。
マリーは革張りの椅子から立ち上がり、書棚の前に歩み寄る。棚は天井近くまで届いていて、背表紙には金文字でタイトルが刻まれている。王国語と皇国語が混在していて、どちらが何を語るのかは一見して分からない。彼女は指先で一冊の本をなぞりながら、ぽつりと呟いた。
「……このあたり、外交関係の記録が多いのね」
カミーユは脚立を引き寄せ、上段の棚から一冊を抜き取った。革の表紙には“交信録・第三巻”と記されていた。ページをめくると、皇国語の筆跡が現れる。流れるような文字。王国語と似ているが、どこか柔らかく、語尾に余韻が残る。
「皇国語って、王国語と語源が同じなのに、意味が微妙に違うのよね」
マリーは隣の棚に目を移しながら言った。
「 “祈り”って言葉も、王国では願いを天に捧げる意味だけど、皇国では“心を澄ませる”ってニュアンスがある」
カミーユは微笑みながら頷く。
「ええ。音の響きも違いますし、敬語の使い方も儀礼に深く結びついています。だからこそ、通訳が必要なのです」
マリーは一冊の書物を開いた。
“風の祈りと式典”──王国語で書かれたその本には、皇国の祭礼についても触れられていた。
挿絵には、白い衣を纏った巫女が、風に向かって手を広げている姿が描かれている。その手の動きは、言葉を超えた祈りのようだった。
「アンリさん、皇国語を話せるのよね。使節から直接教わってたって……」
マリーはふと、彼の顔を思い浮かべた。神殿で記録係をしていた頃、彼が使節と静かに言葉を交わしていた姿。彼を選び、意味を確かめながら、丁寧に訳していた彼の横顔。
カミーユは報告書の一節を指差した。そこには、アンリの名が小さく記されていた。
“補佐:アンリ・アンヴェール。発音明瞭、語彙理解深し”──使節の筆跡で丁寧に記された文字は、彼の誠実さを物語っていた。
「自分からはあまり語らないけれど、記録にも彼の名が残っています。あの人、言葉に対してとても誠実ですから」
カミーユはそう言って、そっと本を閉じた。
マリーはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……だったら、お願いしてみようかな。旅の間、通訳として同行してもらえたら心強いわ」
カミーユは頷く。
「リュカさんが頼めば、案外すんなり受けてくれるかもしれませんね。あの二人、言葉にしない絆があるようですし」
マリーは本を棚に戻しながら、静かに笑った。
「アンリさんって、世話焼きなところあるものね。断りながらも、結局手を貸してくれるタイプ」




