序章 第一幕:見捨てられた聖女 第9話 後編
「着きました。こちらが今回の拠点です」
カミーユが穏やかな口調で言うと、マリーとクララはすぐに窓の外を見た。湖畔の側に広がる静かな敷地に、石造りの瀟洒な建物が佇んでいる。大きな門の向こうには、手入れの行き届いた庭が広がり、噴水の水音がかすかに聞こえてくる。バルコニーには季節の花々が咲き誇り、蔦の絡まる灰色の壁が陽光を受けて柔らかく輝いている。
「うわっ……めっちゃ豪華じゃん!」
クララが馬車の扉を開けるなり、声を上げた。
その瞳は輝き、まるでテーマパークにでも来たかのような興奮が全身から溢れている。
マリーも続いて馬車を降り、建物を見上げる。
「ほんと……お城みたい。これが“別荘”なの……?」
二人の声に、カミーユは涼しい顔で馬車から降りながら、静かに答えた。
「それほどでもないと思います」
その一言に、クララとマリーはぴたりと動きを止めた。
「……え?」
「……これで“それほどでもない”って……」
二人の顔が固まり、目を見合わせる。
クララはマリーの袖を引っ張りながら、小声で囁いた。
「やっぱり貴族って感覚が違う……」
マリーも小さく頷きながら、視線を建物の屋根へと向けた。
「うちなんて、庭に洗濯物が干してあるくらいで……。別荘って、ほんとにあるんだね」
その空気を、リュカがゆるやかに割った。
「まぁ、無駄に煌びやかなボンパドゥール家の本邸に比べれば、地味ですよね」
リュカが湖の方を見ながらぼそりと呟いた。皮肉めいた口調ではあるが、どこか懐かしさも滲んでいる。カミーユはその言葉に少しだけ眉を動かし、静かに問いかけた。
「いつ、我が家にいらっしゃったのですか?」
リュカは一拍置いてから、淡々と答えた。
「あなたのお母さまに一度、私の母がアフタヌーンティーに招かれまして。その時、母の付き添いとして」
彼の声には、礼儀と少しの照れが混じっていた。
「正面玄関の階段がやたら長くて、途中で花瓶を運ぶ使用人とぶつかりそうになったのを覚えています。あれは……春先でしたかね。庭に白い藤が咲いていました」
カミーユは目を細め、記憶を辿るように言った。
「白藤……あれは母のお気に入りでした。毎年、開花の時期に合わせて茶会を開いていましたね」
クララが興味津々で割り込む。
「え、リュカさんって、貴族の社交界とかも出るの?」
リュカは肩をすくめた。
「母がそういう場を好むので、時々付き合わされます。僕自身は、あまり得意ではありませんが」
マリーが微笑む。
「でも、そういう経験があるから、こういう場所にも自然に馴染めるんだね」
リュカは少しだけ口元を緩めた。
「馴染むというより、慣れただけです。居心地がいいかどうかは、また別の話ですが」
カミーユは扉の鍵を開けながら、静かに言った。
「皆様が快適に過ごせるよう、準備は整えてあります」
その所作は丁寧で、どこか儀式のような静けさがあった。扉が開くと、涼やかな風とともに、静かな空間が広がった。 玄関ホールには淡い色の絨毯が敷かれ、壁には控えめな装飾画が飾られている。奥には広々としたサロンがあり、大きな窓からは湖が一望できた。光が差し込むその空間は、まるで時間がゆっくりと流れているかのようだった。
第一幕、お読みいただきありがとうございます。
次章へ進む前に、少しだけ神々の世界を覗いてみませんか?
クールベアトと“加護”の関係、そしてそれに対する他の神々の化身たちの反応を、幕間にて描きます。
物語の裏側で動き始める神々の気配を、どうぞ感じてみてください。




