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聖女巡礼録 追放された聖女は敵国を旅することにした  作者: 深雪
序章 祈りの果て、旅の始まり
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序章 第一幕:見捨てられた聖女 第9話 前編

馬車はゆるやかな丘陵地を抜け、皇国(ヴェルナーラ)方面へと進んでいた。空はどこまでも澄み渡り、雲は絹のように薄く、風に溶けるように漂っている。陽光は柔らかく、木々の葉を透かして地面に淡い模様を描いていた。湖畔の草原には、まだ春の名残をとどめる花々が咲いていた。淡いピンクのシャクナゲ、白いマーガレット、そして野生のラベンダーが風に揺れ、ほのかな香りを運んでくる。

道の脇には、低い石垣と古びた木の柵が続いていた。ところどころで羊が草を食み、牧童の笛の音が遠くから微かに聞こえてくる。遠くの丘にはぶどう畑が広がり、まだ実はついていないが、整然と並ぶ蔓の列が初夏の風にそよぎながら、静かに季節の訪れを告げていた。馬車の車輪は規則的に回り、馬が土を踏む音が心地よいリズムを刻む。その音は、まるで旅の序章を奏でる静かな楽曲のようだった。


馬車の中では、4人がそれぞれの時間を過ごしていた。クララは窓に顔を寄せて、外の景色に目を輝かせている。

「見て、あの木! 枝がハートみたいになってる!」

その声は弾んでいて、旅の始まりにふさわしい無邪気さがあった。マリーは笑いながら身を乗り出し、クララの指差す方向に目を向ける。

「ほんとだ……かわいいね」

彼女は膝の上に手帳を置き、時折思いついた言葉をそっと書き留めていた。その筆跡は柔らかく、どこか詩のような余韻を含んでいる。カミーユは紅茶を口にしながら、広げた地図に目を落としていた。その所作は静かで、旅慣れた貴族の余裕が滲んでいる。

「この道を抜けると、別荘まではあと一時間ほどです。途中で小さな村を通りますが、立ち寄る必要はないかと」

落ち着いた声が馬車の揺れに溶け込むように響く。

「今から行く別荘って、どんな感じなの?」

マリーが尋ねると、カミーユは少しだけ微笑んだ。

「石造りで、湖に面した庭があります。父が狩猟の際に使っていた場所です。静かで、外部の目も届きません」

「……お金持ちって、何か違うね。うちは酒蔵の裏に離れがあるくらいだし、別荘なんて夢のまた夢だよ」

クララがぽつりと呟く。マリーも苦笑しながら頷いた。

「私の家なんて、物置があるくらいで……。別荘って響きがもう別世界」

その会話の合間、リュカは窓辺に座り、外の景色を静かに眺めていた。手元には小さな革の手帳。開くことはなく、指先で無意識に撫でている。紅茶には手をつけず、懐中時計で時間を確認する動作は、無駄がなく静かだった。会話には深入りせず、クララやマリーのやりとりに時折皮肉を挟む。それは場を冷ますのではなく、むしろ空気を整えるような役割を果たしていた。


ふと、彼が口を開いた。

「我が家にも別荘が一軒だけありますが、年に一度使うかどうかで、管理の方が面倒です。屋根の修繕、家具の虫除け、警備の契約……その他諸々。祖父は“名に恥じぬように”と言いますが、正直、実用性は低いですね」

その言葉に、クララがふっと笑った。

「リュカさんって、意外と現実的なんだね」

「意外と、ですか?」

リュカは少しだけ眉を上げたが、口元には皮肉めいた笑みが浮かんでいた。


馬車の揺れは穏やかで、時折、車輪が小石を踏む音が耳に届く。その音さえも、旅のリズムの一部のように感じられた。クララは窓の外に目を向けながら、ぽつりと呟く。

「こういう景色、ずっと見てたいな……。なんか、心が洗われる感じ」

「旅の醍醐味ですね」

カミーユが応じる。

「都市の時間は速く感じますが、ここは緩やかです。だからこそ、考えるには向いています」

マリーは手帳に視線を落としながら、静かに言った。

「考えることが多すぎると、逆に何も書けなくなる時もあるけど……今は、書きたい気分」

クララが笑う。

「じゃあ、旅の詩でも書いてよ。 “ハートの木と、ラベンダーの風”ってタイトルでさ」

マリーは少し照れたように笑いながら、ペンを走らせる。


その横で、リュカがふと窓の外に目を細めた。

「……ぶどう畑、今年は早いな」

誰に向けるでもなく呟いたその言葉に、カミーユがちらりと目を向ける。

二人の間には、言葉にしなくても通じる空気があった。


やがて、馬車は森の縁に差しかかる。木々の間から、白い柵と石造りの屋根がちらりと見えた。

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