序章 第一幕:見捨てられた聖女 第7話 後編
カミーユとクララが帰ったあと、マリーはいつのまにか眠ってしまったらしい。気づけば、朝の光が窓辺から斜めに差し込み、部屋の床を淡く照らしていた。まどろみの中で目を覚ましたマリーは、ぼんやりとした意識のまま、昨夜の荷造りの続きを始めた。けれど、手はすぐに止まりがちになる。布の手触りも、箱の重みも、どこか遠くのもののように感じられた。まるで、自分だけが現実から少しずれてしまったような感覚。心はまだ、この部屋の片隅に置き去りにされたまま。身体だけが、旅立ちの準備を進めようとしている――そんな朝だった。
そのとき、扉の向こうから軽快なノックが響いた。
「マリー、入ってもいい?」
クララの声。続いて、カミーユの控えめな声も重なる。
「ちょっと、大事な話があるんです」
「どうぞ」
マリーが答えると、二人は勢いよく入ってきた。その顔には、いつもと違う緊張と、どこか晴れやかな決意が浮かんでいた。
「報告があります!」
クララが胸を張って宣言する。
「私たち、神官長に言いました。神殿勤め、やめますって」
「マリー様が心配でしかたないので、もうここには残れませんって、はっきり伝えました」
カミーユも真剣な表情で頷いた。
マリーは、手にしていた布を落とした。
「……え?」
声が震える。
「やめるって……本当に?」
クララは笑顔を浮かべながらも、目は真剣だった。
「本気です。マリーが一人で敵国に行くなんて、心配しない方が無理です」
「それに、神殿の空気、もう私たちにも冷たすぎる。あなたがいなくなったら、ここはただの石の箱よ」
カミーユの言葉には、静かな怒りと寂しさが混ざっていた。
マリーは言葉を失った。胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「……そんな、私のせいで……」
「違います」クララがすぐに遮った。
「あなたのせいじゃない。私たちが、あなたを選んだの。自分の意志で」
「でも……」
マリーの声はかすれていた。
「マリー様がどこに行っても、私たちは味方です。それが、神殿に仕えるよりずっと大事なことだと思ったの」
カミーユの言葉は、静かに、けれど確かに響いた。マリーは俯きながら、そっと手を握りしめた。 申し訳なさと、感謝と、どうしようもない嬉しさが、胸の奥で混ざり合っていた。
「……ありがとう。でも、無理はしないで。私のことなんかで、人生を変えないで」
「変えたいと思ったの。あなたがいたから、私たちも変われるって思えたの」
クララの声は、まっすぐだった。
「神殿での仕事は、確かに誇りだった。でも、誇りだけじゃ生きていけない。誰かを守りたいって思えることの方が、ずっと強いの」
クララが言った。
「それに、マリー様がいなくなったら、神殿の中で誰が本当のことを語るの?誰が、あの冷たい空気に風穴を開けるの?」
カミーユの声には怒りではなく、悲しみが滲んでいた。
マリーは、二人の顔を見つめた。その瞳の奥にある決意は、揺るがなかった。彼女たちは、ただの付き添いではない。自分の意思で、マリーの隣に立つことを選んだのだ。
「……私、そんなに強くないよ」
マリーがぽつりとこぼすと、クララが笑った。
「知ってます。でも、強くなろうとしてる。それが、私たちには十分なんです」
「だから、行きましょう。どこへでも。マリー様が行くなら、私たちも行きます」
カミーユがそっと手を差し出す。
マリーは、その手を見つめた。そして、ゆっくりと、自分の手を重ねた。
その瞬間、部屋の空気が少しだけ柔らかくなった。朝の光が、三人の影を優しく包み込む。
マリーの旅立ちは、もう“ひとり”ではなくなっていた。それは、別れではなく、始まりの予感だった。
マリーは仲間を手に入れた!




