序章 第一幕:見捨てられた聖女 第7話 前編
国外追放を神官長から言い渡されてから数日後、マリーは神殿の自室で荷物の整理をしていた。マリーは荷物も持っていかず、身一つだけで出ていこうと考えていたがーー
「さすがに、何も持たずに行くのは無理があります」
リュカがそう言ったのは昨日の夕暮れだった。
「最低限の身支度はしておかないと、向こうで困ると思いますわ」
カミーユは眉をひそめながら、マリーの部屋をちらりと見まわした。
「それに、思い出の品くらいは持って行った方がいいよ!」
クララの言葉がマリーの心を静かに打った。
3人の言葉に背中を押されるようにして、マリーはようやく重い腰をあげた。前に進むために、マリーは一つずつ荷物を選び始めた。
散らかったままの机、棚の奥、引き出しの底ーー部屋にあるものに触れるたびに過ぎた日々の思い出がよみがえる。そのせいで、荷物の整理は遅々として進まなかった。
「マリー様、荷物の整理は順調でございましょうか?」
カミーユの声が扉越しに響いた。続いて、クララが顔を覗かせる。
「もし、終わってなかったら手伝おうと思って来ちゃった」
マリーは慌てて立ち上がったが、部屋の惨状は隠しようがなかった。
開けかけの箱、積み上げられた書類、棚の上に置きっぱなしの布――どこをどう見ても、整理が進んでいるとは言い難い。
カミーユとクララは一瞬だけ視線を交わし、何も言わずに部屋へ足を踏み入れた。
カミーユは机の端にあった裏紙を手に取り、さらさらとペンを走らせる。「必要」「保留」「不要」――三つの文字を書き分け、それぞれの空き箱の下に滑り込ませた。
「とりあえず、必要なものとそうではないものと分けましょうか」
クララはそっとマリーの隣にしゃがみ込み、開いたままの箱の中を覗き込む。
「これは……手紙? 誰から?」
指先で一枚の便箋を持ち上げながら、柔らかく問いかける。
マリーは少しだけ口元を緩めて答えた。
「昔、修道院で一緒だった子。もう何年も会ってないけど、捨てるのは……ちょっと」
「うん、わかる。じゃあ“保留”ね」
クララは手紙を丁寧に畳み、保留箱にそっと入れた。
カミーユは棚の上から古いショールを取り出し、広げてみせる。
「これ、あなたが編んでたやつよね。冬の夜、クララが風邪ひいたときに渡してた」
「そうそう。あれで治ったから、魔法かと思った」
「それは私の免疫力の問題よ」
三人の間に、ふっと笑いがこぼれる。
片付けがひと段落し、部屋の空気が少し落ち着いた頃。クララがふと、何気ない口調で尋ねた。
「そういえば、マリー。行き先って、もう決まったの?」
マリーは手を止め、少しだけ考えるような間を置いてから答えた。
「……ヴェルナーラ皇国に行こうかなって、今は考えてるよ」
その言葉に、クララは目を見開いた。
「えっ、ヴェルナーラ? 敵国だよ! 本当に大丈夫なの?」
声には驚きと、隠しきれない心配が滲んでいた。
マリーは苦笑しながら、箱の中の本を整理した。
「うん、わかってる。でも、あそこなら誰も私を知らないし……やり直せる気がするの」
その言葉には、静かな決意と、少しの寂しさが混ざっていた。
クララは立ち上がり、部屋をぐるりと見渡すようにして言った。
「でもさ、言葉も文化も違うし、何より、こっちじゃ“敵”って見られてる国だよ? そんな場所で、一人で生きていくなんて……」
「……怖くないわけじゃない。でも、ここにいると、過去ばかり見ちゃうから」
マリーの声は静かだったが、揺るぎはなかった。
カミーユは黙っていたが、そっとマリーの隣に座った。
「やり直すのはいいと思います。でも、一人で生活するって、簡単じゃないですわ。あなた、朝ごはん抜く癖ありますし」
「それは……気をつける」
マリーは少し照れたように笑った。
「あと、洗濯物を干し忘れる癖もある」
「それは……うん、頑張る」
「あと、夜更かしして翌朝ぼんやりしてる時もありますね」
「……それはもう、性格かもしれない」
三人はふっと笑い合った。
クララは少し真面目な顔に戻って、マリーの手を取った。
「行くなら、ちゃんと連絡して。何かあったら、すぐ戻ってきて。私たち、いつでも迎えに行くから」
「うん。ありがとう、二人とも」
カミーユは少しだけ視線を落としながら、静かに言った。
「あなたがどこにいても、私たちはあなたの味方だから。忘れないで」
マリーはその言葉に、少しだけ目を潤ませながら、静かに頷いた。
その夜、部屋には別れの気配はなく、旅立ちの準備が静かに満ちていた。




