序章 第一幕:見捨てられた聖女 第6話 後編
扉が重く閉まる音が背後で響いた。神官長の淡々とした声がまだ、耳に残っている。マリーは足元を見つめながら廊下を歩きだした。
その先に、一人の青年が立っていた。軍服の襟元まできちんと留められた姿はまるで彫像のように整っていた。烏の羽のような黒髪が風に揺れて、瞳は青みを帯びた紫色ーーその顔を見て、マリーは一瞬、息を飲んだ。
「……|アンリ?」
そう呟いたが、すぐに違うと気づく。顔立ちは驚くほど似ていた。けれど、瞳の色が微妙に違う。アンリの瞳は赤みを帯びた紫色。しかし、目の前の青年の瞳は冷たい水に光が差し込んだような青みのある紫色。そして、彼の立ち姿にはアンリにはない軍人としての規律があった。
「リュカ・ドゥ・ロレーヌと申します」
彼は深く頭を下げた。その名前を聞いた瞬間、マリーの胸は高鳴った。
(リュカ・ドゥ・ロレーヌ……あの”蒼の盾”)
顔は見たことがなかったが、その名は何度も耳にしていた。神殿の中でも彼の逸話は囁かれていた。
ーー軍服を脱ぎ捨て、泥にまみれて戦場を駆け抜けた
ーー遠方から敵の動きをすべて読み、作戦を立てた
ーー自分の命が危険な状況にも関わらず、敵兵の命を救った
それらが誇張か真実かわからない。けれど、彼の名には確かに信頼と誠実が宿っていた。
「このような事態に陥ったのは私の指揮不足のせいでございます。ですから……あなたをこのまま見捨てることができません」
その言葉は先ほどの神官長のものと違い、どこかに静かな温もりがあった。マリーは彼の瞳をじっと見つめた。彼の瞳の奥にあったのは同情でも哀れみでもないーー責任と誠意。彼女はそれを確かに感じ取っていた。
マリーは、胸の奥に小さな波紋が広がるのを感じた。それは、誰かに見つけられたような感覚だった。けれど、すぐにその波紋を押し込めるように、彼女は目を伏せた。
「……私のことを、そんなふうに言ってくれる人がいるなんて、思っていませんでした」
声はかすれていたが、確かに届いた。
リュカは一歩も動かず、ただ静かに言った。
「私は、あなたを知ろうとしています。 それだけでも、見捨てる理由にはなりません」
彼女は、彼の言葉の温度に戸惑いながらも、少しだけ肩の力を抜いた。
それは、誰かと並んで立つことを許すための、最初の一歩だった。
マリーがリュカに見た“違和感”は、きっと読者の皆さんにも届いているはず。
アンリとの繋がりは、まだ静かに眠っています。
二人の関係性は、お楽しみに。




