3.
「フィリップ様、あなたは私のことが好きなんですか?」
どうも予期せぬ質問だったらしい。
フィリップ様はぽかんと口を開けて固まってしまった。
とても珍しいものを見た気がするとある意味感心していると、硬直がとけたらしいフィリップ様は、次に口元をひくひくさせる。
「待て、お前、今の俺の様子からとかこれまでの状況から考えて、マジで俺の気持ちに気付いてなかったのか?」
「気付いていないというか、もしかしてそうかなという気はしていましたよ。でも、そんな風に思ったのってここに帰ってくる馬車に乗ってる時ですし、それが今日フィリップ様と顔を合わせて、私への態度を見て、諸々を繋ぎ合わせた結果やっぱりそうなのかなと確信した次第で」
フィリップという男は、紳士の皮を被ってはいるけど、中身は本能に忠実に従う獣で、欲しいものは何としても手に入れないと気がすまない性分だ、ということは、皮を被ることを止めた彼と接していくうちにすぐに見抜いた。
彼が欲しいもの。
一つはこの国そのものだ。
それはたとえ王配という立場でも構わない。女王となった人間を意のままに操ればいいのだから。
勿論革命を起こして王位を手に入れる、でもいい。
ようは国を統治する権力が欲しいのだ。
しかしそこで私腹を肥やそうと考えているわけではなく、あくまで国のトップとして、正しく国を導き国力を増強させ、未来に、自身の子孫に残したいと思っている。
それなのに、フィリップ様はちょろさ満点のチェルシー姉様の篭絡をせず、婚約破棄の展開に持っていった。
最も欲しいものが目の前にあって何の労力も使わずそれを手にできたのに、なぜ婚約破棄なんてするのか疑問だった。
しかも、代わりにリリアンヌ姉様と婚約しても再び王配の座に就けるのに、その姉様すら排除して、残った私との婚約を受け入れた。
彼は今の時点で、欲しいものはずっと手にしている。しかも、反乱を起こす気配もなく、むしろそれを止めるよう説得する側だ。
そしてスペアである私を次期女王に押し上げた。自分の立場はあくまで王族の下である、という姿勢を崩さず。
私の今の立場は、私が望んだものじゃない、彼が望んだからそうなったってことで。
なら、私に理由があるのだろうと推測できた。
私の方が操りやすそうだから?
いやいや、チェルシー姉様の方が遥かにやりやすい。邪魔になったら、療養させることにしたとか言って、どっかの僻地に追いやればいいんだし。
もしくは、どうしても私を手に入れたいなら、彼が反乱を起こして王家を掌握し、見返りに私を妃にと要求し、自分が王になっても良いのにそれもしなかった。
そうすれば、当たり前だけど私の立場は悪くなる。おそらく彼はそれを良しとしなかった。
そこまで考えて、思い出したリリアンヌ姉様とのやり取りや、エリーのあの態度。
そして私は、フィリップ様と過ごした過去の日々に想いを馳せる。
幼い頃の彼がまだ私にとって姉の婚約者だった時、そういった関係だからはっきりとした言葉や態度をされたわけじゃないけど、少なくとも嫌われていないとは感じていた。
いや、嫌いじゃないどころか、時々向けられる私の存在全てを絡め取るほどの熱のこもった強い視線は、きっとまずい類のものだと本能的に察知した。
対する私も嫌いではなかったが、あくまでもそれ以上は向こうが踏み込んでこなかったので、私も気にしては負けだと思って、気付かないふりを貫いた。
その矢先に留学が決まり、内心ほっとしたんだったっけ。
「……ということで、フィリップ様が私のことをどうやら好きらしく、私を手に入れる為にこのようなことをしでかしたのかなという結論に達しました」
懇切丁寧に説明し終わり、妙な達成感を味わいながらフィリップ様に目を向けると、彼は無の表情で、それでも私から一度も目線を外すことなく静聴していた。
だが、一区切りついたと判断したのか、頭を抱えながらもゆっくりと口を開く。
「腹が立つほどにその通りだ。が、よくお前は照れもせず、俺がお前のことを好きだという前提で淡々と説明できるな」
「それはきっと、私にとってまだあんまり現実的じゃないからですね」
「へぇ」
顔に凶悪な笑みが貼り付き、またまた劣情の炎を灯し始めたフィリップ様に臆さず、それで私のことが好きなんですよね、と再度同じ質問をすると、
「ああ。お前が思う以上に俺はアリシアを愛している。ずっと欲しかった。この国と同じくらいにな」
「随分と強欲な人ですね。知っていましたけど」
「だが俺はそれを叶えたぞ。国を手に入れ、愛する王女も手中に収めた」
「なぜ私なんですか?」
それは純粋な疑問だった。
容姿で言えば良くも悪くも普通だし、性格も、別段他人に優しくて慈愛に満ちているわけでもない。かといって他人に八つ当たりするとか性格が悪いつもりもない。
長所と言えるかは分からないけど、人見知りはしない方だ。
じゃなかったらこんな魔王ばりにビンビンオーラを放つ人と、長年呑気にお茶友達なんてできやしない。
するとフィリップ様は、あっけらかんと簡潔に答えた。
「分からん」
「え」
今度は私がぽかんとする番だった。
フィリップ様はそんな私を、間抜けな顔と笑いながら、その表情もなかなかにそそられるととんでもない感想を述べつつ、三度私に近付く。
けど今回は前回までのように、吐息が近付くほどの距離じゃない。人一人分くらいの空間は空けている。
「で、理由な。分からんもんは分からん。あえて言葉にするなら、素の自分でいても変わらず接してくれるところが嬉しかったとか、一緒にいると楽しいとかか? でも、本当にそれが理由なのかって聞かれても、自信はない」
そしてもう一度、分からない、と答えた。
「それって」
何か言おうとしたけど、フィリップ様はそれを遮り、
「大体いつ好きになったかなんてはっきりと分かる人間がどれだけいるのか、俺は知りたい。ほら、よく言うだろう、恋は気付いたら落ちてるもんだって。リリアンヌがその最たる例だろうが。言っとくけどあの二人、目を合わせた瞬間互いに一目惚れしたのが、端から見てても分かるくらいだったぞ。しかもリリアンヌに至っては、顔はまったくタイプじゃないのにと自分でも不思議がってたぐらいだ」
「つまりフィリップ様もそれと同じ、ということですか?」
「ああ。気付いたら欲しいと思った。喉から手が出るほどに。姿が見えないと、飢餓に襲われたみたいに強烈な渇きを感じた。なのにお前は知らん間に留学してて、死ぬほど苦しくて、何度追いかけて捕らえて閉じ込めようと思ったことか。だが、かといって籠の中の鳥にお前をしたいわけじゃない。羽をもがれたアリシアなんぞ、俺が好きになったアリシアじゃねぇだろうと思ったからな。だから我慢した。機が熟すのをイライラしながらじっと待って、んでようやくお前が俺のものになった」
「もしも私が留学中に誰かと懇意になってその人と結婚することになっていたら?」
「そうならないように、今まで監視をつけてたに決まってるだろう。学内にも、お前のすぐ近くにもな」
まあ確かに、何度か男子の学友にデートに誘われたけど、必ず相手が病気とか急用でなくなってたっけ。
あと私の近しい存在で監視といえば、十中八九エリーだろう。
「あなたの気持ちは分かりました」
「そりゃよかった。で、アリシア。お前はどうなんだ」
この質問は意外だった。
ここまで外堀を完璧に埋めておいて、今更私の気持ちを確認するというのか。
逃げ場などないというのに?
「好きじゃない、と答えたらどうなりますか?」
試しにそう尋ねると、それはそれは楽しそうに嗤った。
「好きにさせる。どんな手を使ってでもな」
完全に目の据わった雄の顔だ。
彼から発せられる凄まじい色気に反射的にびくりと体が反応する。肉食動物に捕食されるウサギか何かになった気分だったけど、残念ながら私はただの愛らしい餌になるつもりはない。
それに、どんな手を使ってでもと言ってるが、使いたかったら私の意見を無視してでもとっくに行使しているはず。
それをしないほどに、私はこの男に愛されているらしい。
彼を飼い慣らせるのは私だけ、か。
リリアンヌ姉様の言葉は確かに的を射てるかもしれない。
私はふぅと小さく息を吐くと、改めてフィリップ様と向き合う。
今にも襲い掛かりそうな空気を纏いながら、私たちの間は依然として同じ距離分空いている。
「好きじゃないっていうのは嘘です。が、好きかと聞かれると、正直まだよく分かりません。少なくとも今のフィリップ様と同じ程度の愛情を持っているかと問われたら、それは間違いなく、いいえという答えになります」
「だろうな」
「それでも、そうですね。うーん」
今度は私の方から彼に近付くと、瞬く間に距離はゼロになり、ぴったりと私たちの身体が密着する。
その瞬間、隣からごくりと息を呑む音がした。
見上げると、まさか私の方から近付いてくるとは考えていなかったのか、ぎょっと目を見張るフィリップ様の顔があった。
さっきはガンガン近付いてきたくせに、なぜ今になって動揺するんだと、なんだかそんなフィリップ様が可愛く見え、私はクスリと笑いながら言った。
「同じ空間に一緒にいて、今みたいにくっついたりするのは幸せだなと思える程度には、好きですよ。でも」
可愛かったのは一瞬で、この言葉で同意を得たとばかりにすぐに近付くフィリップ様の唇が私のそれに触れそうになる寸前、囁くように小さな声で、だけどはっきりと口にした。
「まだそれをするには早いと思います」
ぴたりと。
彼の動きが止まる。
互いの息がかかるほどの至近距離。ほんのちょっと顔を動かすだけで触れられる位置にある彼の唇が、掠れるような声を紡ぎ出す。
「どうせすぐに肌を重ね合うようになる。早いか遅いかの違いだろう」
「だとしても、今はまだ嫌なんです。だって私、そういうことは、たとえ政略結婚の相手だったとしても、ちゃんと好きになってからしたいと思っていたので」
これは私のまごうことなき本音だ。
たとえどんな相手だろうと、それこそ好色爺に嫁ぐことになったとしても、私はちゃんと相手を愛したいし、愛してほしい。
だけど、今のままでは私の彼への好きという気持ちがまだ足りない。せめて同じだけの熱量の愛を返せるようになってからがいい。
結婚式まであと一年で、終わればそんな気持ちなど関係なく、そういった行為を行わないといけないにしても。
「だから、私があなたを愛せるようになるまでは、できれば我慢してほしいなぁなんて」
別に王族の婚姻だからといって清い仲じゃないといけないということはない。
両親ですら、婚姻前から関係していたらしいから。
だから、彼が無理やりにでも私をものにしたって、彼は責められないし、既成事実を知った王家側は大喜びするだろう。
こんな私の甘ったれたお願いなど、彼は聞かなくてもいいのだ。
だけど、何かと葛藤するように苦悶の表情を浮かべしばらく身動きしなかったフィリップ様は、小さくうめき声を上げるとぱっと私から手を放し、そのままソファの反対側に倒れ込んだ。
「こんだけ我慢してきたってのに、まだお預けかよ」
手で顔を覆い、彼の顔は見えないけど、声からは悔しさとか苛立ちとか諸々の感情が垂れ流しだった。
「えーと、なんかごめんなさい?」
流れ的に謝っといた方がいいかなというノリでなんとなくそう言ったら、大きなため息をつきながら体を起こし、私の額を指で弾く。
「痛っ」
「うるせぇ、謝るな。よけい惨めになるだろうが」
「ここでやめてくれるフィリップ様は、結構好きです」
「……くっそ、覚悟してろよ。この一年で絶対にお前を落とす」
多分、私は彼のことを結構好きになっている。
いや、ずっと前から、フィリップ様には他の人とは違った感情を抱いていたんだと思う。
その時は私も幼すぎたし、取り巻く環境がそれを許さなかったからあえて形にはしなかっただけで、そのまま心の奥底にある箱に鍵をかけて隠してしまった。
今はその箱が開いたわけだけど、かといってまだまだ彼と同じくらい強い想いじゃない。
私は、もっと彼を知りたい。
デートをして、お茶を飲んで、エスコートされて夜会に参加したりしながら、もっと一緒に時間を共有して、彼を同じくらい好きになりたい。
だから。
私はそっと彼の手を握ると、にっこりと笑いかけた。
「はい。あなたと同じところまで、私を堕としてください」