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2.



 それから特にフィルから何かをされることはなく、いつも通り僅かな空き時間を縫ってお菓子とお茶と会話を堪能すること数日。


 ダマル帝国から入国したリリアンヌ姉様が、その日の昼頃、予定通りこの王城に到着するという知らせを受けた。


 午後からの予定は全てフィルが別日に振り分け、もしくは彼自身で対応できるものは引き受けてくれたおかげで、この忙しい時期にも関わらず、半日ほど一緒に過ごせるだけの時間を取ることができた。


 それ以外にも、普段姉様からべったりと張り付いて離れないアドラー様がいない今、彼が到着するまでは食事を共にとる機会もありそうで、おそらく最初で最後になるであろう姉様との日々を用意してもらったことを、私はフィルに感謝した。


「アリシア王女殿下、どうぞ皇子妃殿下によろしくお伝えください」


 周囲に人の目があるため、誠実で温和な青年の姿を模したフィルが恭しく腰を折って私を見送る。

 相変わらずの見事な好青年ぶりだなと感心しつつ、姉様の出迎えの為門まで向かうと、ちょうど到着した頃合いだった。


 敵の襲来があろうが天候不良に見舞われようがびくともしなさそうな、黒塗りの頑丈そうな馬車に掲げられているのは、当然ダマル帝国の紋章だ。

 そんな、まったく同じ色と形の馬車が全部で五台と、周囲には馬に乗った見るからにやり手の騎士たちが、おおよそ数十人はぐるりと取り囲んでいる。もはや一つの軍体といっていいほどだ。


 どれだけしっかり守られているんだと、アドラー様の姉様への愛の深さを思い知る。

 が、ダマル帝国程の国の次期皇妃となるリリアンヌ姉様の命の危機は、リンデルにいた頃の比じゃないだろう。故にこれだけ厳重に守らなければいけないというのも納得はいく。


 しばらく待っていると、騎士の一人がゆっくりと真ん中の馬車まで歩み寄り、扉を開く。

 先に侍女らしき女性が下車し、その彼女に手を差し出されて降り立ったドレス姿の女性は、待ちかねていたリリアンヌ姉様だった。

 

 手紙では、いきなり嫁ぐことになった異国の地で、皇族としての教育や祖国との文化の違いに随分と苦労したとあった。けれどそれらを全て乗り越えたのだろう。


 今の姉様に苦労した面影はなく、立っているだけで凛としていて見惚れるほどに美しく、既に未来の皇妃としての空気感を纏っていた。

 あと、昔よりも断然幸せそうなオーラが出ている。姉様の右耳に燦然と輝く、私がしているものよりも二回りほど大きい真っ青なサファイアのピアスがそれを証明している。


 そんなリリアンヌ姉様はすぐに出迎えの私に気付くと、昔のような愛らしい笑顔を浮かべ、まっすぐに私の元へ足を進めて優しく抱き締めてくれた。


「ずっと、あなたに会いたかったの。元気そうで良かったわ」


 私は姉様の言葉に頷くと、ぎゅっと抱き締め返す。


「私も会いたかったよ、姉様」


 両親にあまり構われなかったという共通点もあって、家族の中で、私はリリアンヌ姉様と過ごすことが一番多かった。

 姉様が嫁いでしまったと聞いた時は驚いたし、さよならすら言えなかったから少し悲しかったけど、今こうして昔のように姉様の温もりを感じることができる。


「……おかえりなさい、リリ姉様」

「ただいま、アリー」


 そのままひとしきり再会の感動を分かち合った後、改めて私は姉様の顔をまじまじと見つめる。


 久しぶりに会うこともあってすぐには分からなかったけど、どことなく姉様の顔には陰りがあるように感じた。多分気付いているのは私だけだ。姉様もフィルと同じように、自分の感情を隠すのが上手い人だから。


 だけどそのことにはその場では触れず、場所を室内の部屋へと移動し、再び姉様と向き直る。


 すると使用人たちが部屋から出て行った瞬間、姉様の顔がくしゃりと歪み、私の手をぎゅっと取った姉様は、綺麗な形の眉をハの字にすると、


「アリー、あなたにたくさんのものを押し付ける形になってしまって、本当にごめんなさい!」


 そう言っていきなり頭を下げてきたではないか。


「え、ね、姉様!?」


 突然のことにびっくりして目を瞬かせるだけの私に対し、姉さまは尚も続ける。


「あなたにはずっと、直接顔を見て謝りたかったの。本来なら、私がチェルシーお姉様に代わって、王配となる彼と一緒にこの国を支える立場にいなければいけなかったのに」


 心の底から申し訳なさそうに項垂れる姉様。

 なるほど、これが表情があまり芳しくなかった原因だったのかと悟る。


 私の中では既に終わった話だと思っていたけど、姉様にとってはそうじゃなかったみたいだ。


 おそらく強制的にとはいえ帝国に嫁ぎ、幸せになっている自分に罪悪感を抱いているのだろう。それは手紙の文面からもひしひしと伝わっていた。


 一方の私も、望まぬ形でなし崩し的に今の立ち位置になってしまったが、姉様的には私を国に縛りつけるよりも、自由にのびのびと外で羽ばたかせたかったようだ。その方が私らしくて似合っているといつも言っていたから。それに私の相手はあのフィルだし。


 だからきっと姉様は、ずっと謝りたかったのだろう。

 けど姉様が罪悪感なんて抱く必要はないのだ。

 私は少しだけ苦笑いを浮かべると、首をゆっくり横に振る。


「姉様、それ毎回手紙でも言っているけど、気にしなくていいよ。私が王位を継ぐことになったのは別に姉様のせいじゃないし」


 むしろ元凶は全てあの男である。

 彼はこの国を手に入れ、尚且つ私を伴侶として手中に収めるため、チェルシー姉様を修道院送りにし、更にリリ姉様を皇子と引き合わせ、有無を言わせず帝国に嫁がざるを得ない状況にもっていったのだから。


 だけど、彼の行ったことは、リンデル王国にとっても私たちにとっても全ていい方向へと転がっている。


 もしあのままチェルシー姉様との婚約を推し進めていても、どれだけフィルが王配として優れていようと、後にチェルシー姉様を表舞台から消すつもりだとしても、国としての求心力には不安が残っただろう。


 であれば、個人の感情は置いておいてリリ姉様が女王になった場合。国の未来は明るかっただろう。しかし苦手としているフィルが王配である。

 姉様のことだから国の為にと我慢をしたはずだ。リリ姉様自身が幸せになれたかと問われると、疑問が残る。

 


 そして今。

 私はあの男によって、スペアという立場から女王として引き上げられたわけだけど。


 チェルシー姉様から気に喰わない人間認定されリンデルから追い出された私は、図らずも留学させられていた二年間が功を奏し、国交を結ぶ国の数を増やすことに成功した。おかげでリンデルは近年類を見ないほどに潤っている。

 私が女王になることを国民は不安に考えてはいないだろうかと悩んだ時期もあったが、ありがたいことにみんなに歓迎してもらえている。

 それに加えて、国内情勢についてはフィリップ様がしっかりと目を光らせていて、おそらくこれからもっとリンデルは発展していく。


 私はぎゅっと姉様の手を握り返すと、にこりと微笑んだ。


「姉様、初めは確かに、優秀だったリリ姉様に代わってこの国を治めることになるのが、すごくプレッシャーだった。だけど今は、私がこの国の為に女王として力になれることを誇りに思ってる。だから押し付けたとか、そんなこと考えなくていいよ。私は姉様が幸せになってくれて嬉しいと思っているし、それは多分この国にいたら手に入らなかったものだろうから。それに」


 ここで私は言葉を切ると、今の私の気持ちを言葉にした。


「これでも私、フィリップ様……フィルのことが好きなんだ。彼がどんな人か知った上で、多分昔からずっと。だから姉様が、自分だけ幸せになっちゃったって負い目を感じる必要はないんだよ」


 手紙にも、ここまではっきりとは書かなかった。だからだろうか、姉様は私のこの言葉に大きな瞳を更に開いてみせた。


 私ならあの男を飼い慣らせると言っていた姉様。

 だけどまさか、どす黒い本性をその身に宿すフィルのことを本気で好きになるとは思っていなかったらしい。


 髪が揺れたはずみで一瞬見えたらしい私の右耳に視線が止まり、けれどすぐに目を細めると、泣き笑いのような、そんな表情を浮かべる。


「そう、そうだったの。あなたがローズデン様に好かれていそうだとは思っていたけど、あなたの方も好きになるなんてね。でも────思い返してみれば、アリーもお茶会で楽しそうにしていたものね」


 姉様から直接言われたことはなかったが、フィルが私のことを気に入っていそうだということは、いつも遠回しに言われていた。

 そしてチェルシー姉様の尻拭いのためのお茶会にリリ姉様が参加しなかったのは、なんだかんだと仲が良さそうな私とフィルの邪魔をしないためだとも言っていたっけ。勿論、フィルのことがあまり好きじゃなかったってのもあるだろうけど。


「あなたが幸せならそれに越したことはないわ。……正直に言って、私には彼のどこがいいのかさっぱり分からないけれど」


 微かに眉間に皺を寄せてぼそりと零れた言葉は、本心のようだ。


「姉様があの人のことを好きじゃないのは知っているよ」


 自分の欲望に忠実なところとか結構好きなんだけどなと、そういうところが好きなのは我ながらやっぱり趣味が悪いのかと考えていると、姉様が昔のことを思い出すように目線を遠くにやり、ぶるりと微かに身体を震わせる。


「嫌いというよりも、怖いという方が正しいかしら。……アリーも気付いているとは思うけど、あの人の中身は見た目通りではないでしょう? 学生時代、私と同じように仮面を被った────いいえ、私よりも遥かに残忍で強欲な本来の姿を偽って善人を演じていた彼の本性を暴こうとしていた時に、一度だけその片鱗を見せられたことがあって、その時に私は初めて彼の本性を思い知ったの。多分しつこく付き纏っていた私を牽制するつもりだったんだろうけど、それ以来怖くて近付けなくなったわ」


 その話は、まだ私がチェルシー姉様の尻拭い役だった頃、フィルから直接聞いたことがある。

 その時はあまり何も思わなかった。

 けれど改めて、今目の前にいるリリ姉様の反応を見ながら、ある疑問が湧いた。


 ────もしもその時姉様が怖がらず、彼を受け入れていたのなら、一体どうなっていたのだろうか。


 それに、牽制や自分への疑念を晴らすのが目的なら、あのフィルならもっと別の手段を取れたはずだ。 

 なのに自分の本性が露見するリスクを負ってまで、わざわざ自分の首が締まるかもしれない方法を取ったのは、リリ姉様に対して、何かしらの感情があったからなのではないだろうかと。


 そう考えたら、なぜか心臓の奥の方がざわりと動く。


 けれどそれが何なのか考える前に姉様によって別に話題へと会話は流れたので、いったんはそのことを頭の隅に追いやった私は、姉様と会えなかった時間を埋めるように夜になるまで語り合った。



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