1.
リンデル王国の第一王女であり、次期女王予定でもあるチェルシーが、男爵子息リーフとの真実の愛に目覚めたらしい。
目覚めるのは勝手だが、問題は、彼女には既にフィリップという名の婚約者がいたことだ。ローズデン公爵家の子息である彼は極めて優秀で、しかもローズデン家は貴族たちを取りまとめられるほどに力を持つ。
少々頭の足りないチェルシーの後ろ盾となり、そして彼女を補佐する王配として彼ほどの適任者はいないと、王家から願い出て整えられた婚約だった。
にもかかわらずチェルシーは、フィリップは美姫と称される自分と並ぶにはあまりにも冴えない容貌で、その上真面目過ぎて面白みがないからと、彼を捨てて、代わりに華やかな外見のリーフと結婚したいと考えた。
そしてその小さな脳みそを絞り、フィリップが公爵家という立場を利用して、リーフに激しい嫌がらせや、刺客を送り込んで彼を亡き者にしようとしたと虚偽の事実をでっち上げ、多くの貴族が参加する夜会の場で、フィリップの有責で婚約を破棄しようとした。
しかし、チェルシーがフィリップを蔑ろにし、リーフを傍に置くという不実な振る舞いは貴族たちの間でも有名であり、しかも証拠がないばかりかあったのはリーフの証言のみで、誰もがフィリップには非がないと彼を擁護した。
当然彼女の計画は失敗に終わり、その場に居合わせていたものの寝耳に水であった国王陛下と王妃殿下はすぐさま夜会を中止し、責任を取らせる形でチェルシーの王族としての身分を剥奪して修道院に生涯幽閉することを決めた。
またリーフの生家である男爵家は貴族籍を剥奪されて平民になり、リーフ自身は辺境にある鉱石場で死ぬまで労働させられることとなった。
しかしここで問題が生じる。
一体誰がリンデル王国を継ぐのか、ということである。
国王と王妃の間に子供は全部で三人。その全てが女児であった。
リンデル王国は女性でも王となることは可能なため、性別に関して問題はない。
その為、頭脳明晰で国民の人気も高い第二王女のリリアンヌを新たに次期女王陛下に任命しようとしたのだが、ここで予想外の事態に陥る。
なんと、チェルシーが婚約破棄騒動を起こした夜会に参加していた大陸一の大国であるダマル帝国の皇子が、リリアンヌに一目惚れをし、彼の国から彼女を次期皇妃として迎え入れたいと打診があったのだ。
断りたいところだが、相手はリンデル王国の何倍も国土が広く、圧倒的な軍事力を誇っている。断ればどうなるか、と暗に侵略をほのめかすようなことを言われ、リンデル王国はそれに従う他なかった。
王国としても、ダマル帝国と懇意になることは悪いことではないと無理やり言い聞かせて。
という訳で、王位継承権を持つもののスペアとしてのびのびと育てられてきた第三王女のアリシアが次期女王となることが決定し、他国へ留学していたアリシアはすぐさま祖国へ戻るよう命じられた────。
◯◯◯◯
「あー、もう、面倒なことになった」
そんなスペア王女である私、アリシアは、事の顛末を聞かされ、急いで国へ戻る馬車の中で吐き捨てるようにぼやく。
チェルシー姉様がぼんくらだってのは分かっていたけど、年功序列を重んじ、ついでにチェルシー姉様を馬鹿みたいに可愛がっていた両親は、リリアンヌ姉様に王位継承権を譲ることを認めず、だからこそ私は少しでも国の為にできることをしようと外交政策に力を入れるべく、ここ数年様々な国を回って人脈作りに励んでいた。
なのに、なんでこんなことになるのか。
いつか何かやらかすかもと思っていたけど、まさかここまで阿呆だったとは。
しかもこのタイミングで女王候補大本命のリリアンヌ姉様が他国へ嫁ぐことになるなんて。
もともと姉様には婚約者がいたのだが、その彼が市井の娘と駆け落ちして見つからないことから婚約解消となり、ちょうど相手がいない状態だったからますます断れなかったようだ。
まあ、私を呼び戻す馬車と共に運ばれてきた姉様からの手紙によると、ものすごく愛されていて幸せだって書いてあったから、その点は良かった。
が、しかしだ。
「王族としての教育は一通り受けてるからいいんだけど、評判のいいリリアンヌ姉様をすっ飛ばして、やらかした馬鹿姉の尻拭いで後を継ぐなんて、プレッシャーが半端ないんだけど」
馬車の中には私と、ずっと身の回りの世話をしてくれている侍女のエリーしかいないので、私は気兼ねなく愚痴を言いまくる。
「勿論分かってるわよ? 王家に生まれたからには、何かあったら国を継ぐ責務があるっていうのは。それでもさすがにこれは予想外すぎる。はぁ。帰ったら色々やらないといけないことが山積みだよね」
「さようでございます」
「やっぱり国を出る時に、二人を真剣に説得しとくべきだったな。あの性格最悪で人望もない姉様にその辺の顔の良い貴族でもあてがって降嫁させて、リリアンヌ姉様を後継者に指名した方がいい、って」
親としては別に嫌いじゃないし、国を率いる者としても能力に関してさしたる問題はないけど、こと子供のことになると二人の精度は急激に落ちる。それも一番上の姉に対してだけ。
チェルシー姉様が母様に瓜二つの容姿なので、自分大好きな母様と、そんな母様の顔が大好きな父様が溺愛しないわけがない。
だからこそ、美人よりも可愛いが似合う愛嬌のあるリリアンヌ姉様と、そこから可愛さ成分を薄めた三女の私への対応は、あまり良くはなかった。
「今更後悔しても後の祭りだけどね。どっちにしろ私の話なんて、あの二人がまともに取り合うわけないのに」
「……ですが、私はこうなってよかったとも思っております。いくら王配が優れていようとも、肝心の女王陛下があのような者では、国としての求心力は将来、確実に下がるでしょう」
この場には彼女の発言を不敬だと咎める者もいない。勿論私もそんなことを言うつもりはない。エリーの言葉はもっともなことだ。
「それも見越しての、チェルシー姉様の婚約者だったんだけどね」
彼のことは私もよく知っている。
フィリップ・ローズデン。
貴族の中で最も力を持ち、現在の当主が宰相も務めるローズデン家の次男。王立学園を首席で卒業した、間違いなく王国一の天才児。
確かに見た目は、分かりやすい派手な美貌に目を奪われるチェルシー姉様の好みではなかっただろう
けれど、かといって劣っているという訳でもない。
王国で最も多い色である茶色の髪と同系色の瞳を持ち、顔のパーツは整っている。ただ、柔らかいふわふわな髪の毛と、どちらかというと垂れ目がちな瞳、控えめながらも人当たりが良いことも相まって、目を見張るほどのイケメン、というより、無害そうな優しいみんなのお兄ちゃん、という雰囲気が強い。
しかし私は知っている。
いや、リリアンヌ姉様も薄々気付いていた。
無害そうな羊の皮を被ったあの男が、実際は見た目通りではないことを。
彼があの雰囲気を纏っているのは、他人の緊張を解して簡単に相手の懐に入れるから。そうなれば欲しい情報を引き出すのも、相手を自分の意のままに操ることも簡単になる。
それに気付いたのはたまたまで、姉の婚約者だと引き合わされた時に、彼の笑顔がなんだか嘘臭くて、小さい声だけどついうっかりそのことを口に出してしまったのだ。
当然すぐに口を押さえたけど、フィリップ様の耳にはばっちり聞こえていたらしく、それから私はなぜか彼に絡まれるようになった。
別に好んで会いに行ったわけじゃない。
面白みのない婚約者との面会に付き合えとチェルシー姉様に脅され、お茶会が始まったもののすぐにどこかへ行ってしまう姉の尻ぬぐいのため、仕方なくその後彼を接待するのが日課となっていた。
ちなみにリリアンヌ姉様はいち早く危険を察知し、いつもお茶会勧誘の場にはいなかったので、私だけが害を被った。
で、どこをどうしたらもっと自然に見えるかの練習に付き合わされ、普段は丁寧な口調なくせに私の前では取り繕うことをやめたのか、周囲に控えるメイド達にぎりぎり聞こえない声量で、軽口を叩く。
そのうちに、私が甘いもの好きだと見抜いた彼は、相手をしてもらっている礼にという名目で、国内外から取り寄せた様々なお菓子を手土産に持ってきてくれるようになった。
その全てが私の好みど真ん中で、美味しいお菓子に罪はないからと遠慮なくお腹に収めていた。
予定外とはいえあまりにも一緒にいる時間が増えた私は、彼と過ごす時間が心地よくなりつつあった。
お菓子に釣られたからではない。
いや勿論それも理由の一つには挙がるけど、それだけじゃない、断じて。
取り繕わないフィリップ様との会話は不思議と弾み、楽しかった。私の方が年下だけど、婚約者の妹でまだまだ子供だという扱いではなく、対等に接してくれた。
まあ、私の方が王女で立場が上だからその表現が正しいかはともかくだ。
ただ、心を許してはいけないと無意識に警戒はしていたように思う。
時間を共にしながら感じたのは、やはりこの男は恐ろしいということだった。
今はいい。本心から国に忠誠を誓っていることが分かるから。
けれど、王家が不義理な行いをしたり、悪政を敷くことがあれば、赤子の手をひねるように私たちは彼に蹂躙されるだろう。
かといって、彼を止めるほどの力を私は持っていない。
天才でも秀才でも美人でもなく、ただ生まれが王族だっただけで中身は他の令嬢と変わらない王女だ。
対処できるとしたらリリアンヌ姉様くらいだろうけど、前にそのことを話したら、「私にあれを飼い慣らすのは無理」と一蹴された。
仕方がないので無駄だと分かっていながら、チェルシー姉様に、もっとフィリップ様を大事にしてほしい──意訳すると怒らせるとめっちゃ怖い気がするからせめておとなしくしとけ──と再三口にしていたら、私を疎ましく思った姉様が両親に頼み、お前は将来チェルシーを支えるため対外政策に力を入れてほしいと、留学という体で国外へ放り出された。
やばいなぁと思ったけど、とりあえずはリリアンヌ姉様がいるし両親の言うことも一理あったので、一度も王国に帰ることなく数年が経過して────。
そして今に至る。
「私ね、今回の件で、正直公爵家が理不尽な婚約破棄騒動を理由に、王家に反旗を翻して……って可能性も考えたんだけど、あちらの対応はそういう感じではないのよね?」
「はい。公爵家の中にはそのような血気盛んな者もいたらしいですが、他ならぬフィリップがそれを抑えたようです」
彼の名前を呼び捨てにするエリー。
それもそのはず、彼女はローズデン公爵家の出身で、フィリップは彼女の甥に当たる。彼女は名だたる貴族たちの侍女として渡り歩き、ここ数年は私専属になっている。
「にしても、あの人にしてはどうも腑に落ちない展開に持っていったと思うのだけど。彼が本気を出せば、それなりにチェルシー姉様の興味を自分の方に引きつけつつ、姉様の浮気も外にばれないように根回ししてってことくらいはできるはずなのに。それともやっぱり、規格外に姉様がお馬鹿だったから無理だったとか?」
なぜか彼は、自分がチェルシー姉様に蔑ろにされているという状況を周囲に見せ続け、婚約破棄されることとなった。上手に姉をコントロールしていたら、そのまま国を乗っ取れたというのに。
「わざわざこんな茶番を挟まなくても、結果は一緒だったのに。だって彼は結局、私に婚約者が代わったってだけで、王配となって国を牛耳る未来に変わりはないじゃない?」
するとこの答えに、エリーは何とも微妙な表情で私から視線を外す。
あからさまなこの反応に、嫌な予感がした私は彼女に詰め寄る。
「エリー? なぜそんな顔をするの?」
「アリシア様、甥であるあの子も大事ですが、どちらかというと、私はアリシア様の方を大切に思っております。今回逃げることはできませんでしたが、せめてあなた様がこの先幸せであればと願っておりますので」
「逃げるって何!? ちょっと、いきなり意味不明で不吉なこと言わないでくれる?」
突然放たれた謎の言葉に大いに私の心は揺らいだが、
「アリシア様でしたら王国に戻ればすぐに分かるかと思います」
と死んだ魚のような目で呟かれた言葉を最後に、これ以上エリーが何かを口にすることはなかった。
そしてその意味を、私は帰還してすぐに理解することになる。