幽月荘の呪い
幽月荘の玄関に足を踏み入れた瞬間、悠斗は空気が重くなるのを感じた。夏の終わりの山奥、湿った風が古い木造の旅館を包み、どこか生き物のように息づいているようだった。母の仕事でこの村に引っ越してきたが、都会の喧騒とは対極の静けさに、胸がざわついた。ロビーの古い提灯がゆらり揺れ、壁の掛け軸に描かれた女の絵が、一瞬、こちらを睨んだ気がした。
「ようこそ、幽月荘へ」
静かな声に振り返ると、長い黒髪の少女が立っていた。白い着物をまとい、透けるような肌。美月と名乗る彼女は、儚い美しさの中に深い悲しみを湛えていた。「この旅館の…案内役です。よろしくね」 彼女の微笑みに、悠斗の心臓がドキリと高鳴る。だが、その瞳の奥に、言い知れぬ闇が潜んでいることに気づいた。
翌朝、悠斗は村を歩いた。苔むした石畳、朽ちかけた鳥居、村人たちの冷ややかな視線。旅館の裏手の祠には、風化した石碑が立ち、文字はほとんど読めない。「なんか…不気味だな」 悠斗は呟き、背筋に冷たいものを感じる。
その夜、夢を見た。暗い森、土を掘る音。「裏切った…許さない…」 女の声が響き、目覚めると枕元に土の匂いが漂っていた。冷や汗が背中を濡らす。
学校で出会った彩花は、明るく話しかけてきた。「ねえ、悠斗! 幽月荘、幽霊出るって噂だよ! 怖くない?」 ショートカットの彼女は、怖がりながらも目を輝かせる。隣にいた翔は、銀髪を揺らし、冷めた目で言う。「あの村、昔はヤバい風習があったらしい。生き埋めとか…儀式とか」 悠斗は笑って流すが、翔の真剣な声に、胸がざわついた。
旅館での生活が始まり、悠斗は美月と過ごす時間が増えた。彼女は幽霊だと明かし、「この旅館は怨念を叶える場所」と語る。願いを叶える代わりに魂を捧げる契約。美月の声には諦めが混じる。「私には関係ない…あなた、気をつけて」
ある夜、悠斗は温泉で美月と鉢合わせる。湯気の中、彼女の着物が濡れて肌が透けた。「っ…見ないで!」 美月の声は震え、普段の冷静さは消えている。悠斗は慌てて目を逸らすが、彼女の白い肌と恥じらう表情が脳裏に焼き付く。「ご、ごめん! わざとじゃない!」 美月の瞳が揺れ、こう呟く。「…人間って、こんな近くにいられるんだね」 その言葉に、悠斗は彼女の孤独を感じ、胸が締め付けられた。
彩花が旅館に遊びに来て、明るい笑顔で空気を和らげる。「悠斗、幽霊と仲良くしすぎじゃない?」 彼女の軽い嫉妬に、悠斗は苦笑。翔も加わり、3人で噂を話す。「この場所、霊的な結界がある」と翔が言うと、彩花が「やめて、怖いって!」と叫び、転びそうになって悠斗にしがみつく。彼女の柔らかい感触に、悠斗は一瞬ドキリとするが、彩花の無邪気な笑顔にホッとする。「もう、彩花ってほんとドジっ子だな」
異変は夜ごとに強まった。廊下に響く足音。鏡に映る血まみれの女の顔。悠斗の夢には、土に埋められる女の姿が繰り返し現れる。「助けて…裏切られた…」 その声は、美月のものに似ていた。
「美月、君…何か知ってるだろ?」 悠斗の問いに、美月は目を伏せる。「知らない方が…いいこともある」 だが、彼女の震える声に、悠斗は確信する。美月がこの旅館の鍵を握っている。
彩花と翔も泊まり込み、調査を始めた。彩花は怖がりながら、「悠斗のためなら頑張るよ!」と拳を握る。翔は霊能力で空気の歪みを感じ、言う。「この旅館、怨念の核がいる。美月に関係してる…けど、なんか他にも隠れてる気配がある」
村の古老に話を聞くと、昔の風習について断片的な情報が得られた。「裏切り者は村の外の森で始末された。生き埋め…それで終わりじゃない。精神を追い詰める呪いが残った」 悠斗は、村の外の森に何かがあると直感する。
ある夜、旅館が異空間に飲み込まれた。壁から血が滴り、床が脈打つ。暗闇で赤い瞳が光り、怨霊・凛が現れる。「裏切った者、全て壊す!」 彼女の叫びは憎しみに満ち、ビジョンが広がる。村の風習。裏切り者を生き埋めにし、火で浄化する儀式。現代では行われないが、精神を追い詰める呪いが残った。凛の記憶では、親友に裏切られ、土に埋められた恐怖が再生される。彼女の叫びが、悠斗の心を抉る。
「美月…君も、こうなったのか?」 悠斗の問いに、美月は静かに頷く。「私の怨みは…消えない。でも、悠斗には関係ないよ」 彼女の声は震え、涙がこぼれる。悠斗は彼女の手を握ろうとするが、触れられない現実に苛立つ。「関係ないわけない! 君がそんな目に遭ったなんて…!」
悠斗は美月の過去を解き明かすため、村の記録を調べる。翔の霊能力で、旅館の地下室を発見。そこには古い日記と、風習の詳細が書かれた巻物。「裏切り者は村の外で処罰される。だが、誰が手を下したかは記録されない」 悠斗は疑念を抱く。美月を殺したのは、村の外の者…もしくは、村の誰か?
調査を進める中、悠斗は村の外の森で古い墓を見つける。苔むした石には、美月の名が刻まれていた。「美月…君を殺したのは誰だ?」 悠斗の問いに、美月は目を伏せる。「知らない…覚えてないの」 だが、彼女の声は震え、記憶の断片が漏れる。「土の中で…誰かが笑ってた…」
悠斗は村人たちを疑う。特に、旅館の管理人である佐藤老人。無口でいつも目を逸らす彼が、何かを隠している気がした。彩花も言う。「佐藤さん、なんか変だよね。いつも美月さんの話になると黙っちゃう」 翔は霊能力で佐藤の周囲に奇妙な気配を感じ、「あいつ、なんか知ってる」と呟く。
異空間が旅館を崩壊させようとする中、悠斗たちは地下室で新たな手がかりを見つける。美月の遺品の中にある、彼女が書いた手紙。「愛した人に裏切られた。村のしきたりを破った私を、誰も助けてくれなかった」 悠斗は佐藤を問い詰める。「あんた、美月のこと知ってるだろ? 何を隠してる!」 佐藤は目を逸らし、こう呟く。「…あの子の死は、村の恥だ」
凛の怨念が暴走し、ビジョンがさらに鮮明になる。美月が生き埋めにされた瞬間。暗い森、土をかける手。笑い声。だが、その顔はぼやけている。「誰だ…誰がやったんだ!」 悠斗は叫ぶ。凛の記憶も重なる。彼女を裏切った親友は、村の有力者の娘。彩花の遠い親戚だった。「まさか…私の親戚が?」 彩花はショックで言葉を失う。
最終局面。凛の怨念が旅館を飲み込もうとする中、悠斗は美月の手を握ろうとする。「美月、君の過去を俺が解く! 一緒に終わらせよう!」 美月は涙を流し、記憶の断片を繋ぎ合わせる。「私の父…そして、村の仲間たち…」
最後のビジョンが全てを明らかにした。美月を生き埋めにしたのは、彼女の父と、村の有力者たち。佐藤老人も、その場にいた一人だった。「お前を…村の掟を守るため、差し出したんだ」 佐藤の声は震え、悔恨に満ちていた。彩花の親戚も、凛の裏切りに加担していた。「村の未来のために…仕方なかったんだ」
悠斗は叫ぶ。「仕方ないで済むか! 美月が、凛が、どれだけ苦しんだか!」 美月は静かに言う。「私の怨みは…父を恨むことじゃない。愛したかっただけなのに」 彼女の言葉に、凛の憎しみも揺らぐ。「お前たち…私の痛みを分かってくれるのか?」
美月は自身の力を解放し、凛の怨念を浄化。彩花は恐怖を振り切り、地下室の隠し通路を見つけ、皆を導く。「ほら、こっち! 逃げるよ!」 翔は霊能力で異空間を打ち破り、「もう…誰も失わない」と呟く。凛は最後に微笑み、「…許すよ」と消える。
朝日が幽月荘を照らす。美月は解放されるが、幽霊として残ることを選ぶ。「悠斗のそばに…いたいから」 悠斗は微笑む。「俺も、君と一緒にいたい」 触れられないけれど、確かな絆が生まれた。
彩花は涙を拭き、「負けないからね!」と笑う。翔は彼女をそっと見つめ、「お前、ほんと無茶するな」と呟く。村の呪いは解け、過去の罪は明らかになった。未来への希望が、静かに広がる。
END