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第9話 次は奈良

 翌朝。ヤスノリたちは食事を済ませると旅館を後にして、待ってくれていたバスに乗った。次の目的地は奈良だ。予定では今日中に奈良公園と東大寺を巡ってS町に戻る。S町の港から水床島への連絡船の最終便は夕方の六時だったから、それまでに戻らなければいけない。今日はなかなかの強行軍だった。


 奈良公園に着くと、多くの鹿が間近で見られた。ヤスノリは鹿せんべいを買った。売り場の人が、こんなふうにせんべいを鹿の頭の上に差し出してみて。そうすれば鹿はおじぎをするから、と言う。

 本当かな?

 ヤスノリは言われた通り、せんべいを近くに寄ってきた鹿の頭の上にかざしてみた。

 鹿は見事に何度もおじぎをして見せた。

「うわっ、すごっ」

 ヤスノリの声を聞いて、河上先生もせんべいを買って試してみる。

「本当だ。ずいぶんと礼儀正しい鹿ですね」

 奈良公園の鹿は礼儀正しいだけではなかった。公園の端は道路になっていたが、向こうへ渡ろうとして歩行者用の信号が変わるまで待っている鹿がいた。やがて信号が青になると鹿はまるで人間がするように横断歩道を渡りだす。

「あんたより鹿の方がよっぽど利口だわ」

 シズがゾッピに言っている。

 ふと気が付くと周りは鹿の大群だった。角を切られているのはオスの鹿だった。オス同士、角を突き合わせて喧嘩しないようにするためだ、という。よく見ると中には鹿の子模様の子鹿もいる。

「あれ、かわいい」

 ハナが、母鹿に寄り添うように歩いている小鹿を指差した。


 東大寺へは奈良公園から歩いて行ける距離だった。

 南大門から中門、大仏殿とまっすぐに伸びる道を歩く。東大寺大仏殿を見た時、ヤスノリは、胸にあふれてくる、今まで経験したことのない思いでしばらく立ちつくしていた。

 社会科の教科書に出ていた写真の通りだ。それが千二百年以上もずっとここに存在し続けているだなんて…。


 重力は時空のゆがみによるものです。


 理科の時間、余興で話してくれた河上先生の言葉がよみがえってくる。

 千二百年以上の昔の時空が突然、時系列を歪めて目の前に出現したように感じたせいなのか、それとも単に旅の疲れのせいなのか、ヤスノリは体が重くなったように感じるのだった。


 大仏殿の中には何本も大きな柱があり、そのうちの一つに大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が開けられた柱があった。先生の説明を聞くと、この穴をくぐれば願いごとが叶うのだという。

 話を聞いた十一名の生徒がさっそく柱の下の方に開いた穴を、石の床に膝をつけて次々とくぐり抜け始める。ヤスノリたち男子は、修学旅行ということで理科室のギロチン台で五分刈りにしてもらうか、家で親に頼んで髪を切ってもらうかしていたが、それらの手入れされた頭が柱の下の穴から次々に飛び出して来る。女子もやはり、この日のためにそれぞれの家で髪を短めに切ってもらっていた子が多かったが、男子に続いて女子の頭も次々に飛び出し、十一名全員が柱の穴をくぐり終えた。

 最近、「ギロチン台」にかけてもらって、すっきりした頭になったゾッピが言う。

「俺、もう一回くぐろっと」

 そう言ってまた最初の位置に戻ろうとするのをシズが止めた。

「ゾッピ、二回くぐると地獄に落ちるのよ」

 シズの言葉に、へへっ、と言ってゾッピが諦めた時、一組の西洋人の家族が穴くぐりの柱の所にやってきた。

 父親と母親、それにヤスノリたちよりも少し年上くらいの女の子が一人いた。どうやらこの柱の穴のご利益を聞いてやって来たらしい。

 西洋人の女の子は好奇心でいっぱいになって、石の床に膝をつくと、さっと穴をくぐり抜けた。穴から顔を出したとき、長いブロンドの髪が床についたが、そんなことなどおかまいなしに、耳慣れない言葉で何か叫んでいる。きっと、面白い、とか、楽しい、とか、そんなことを

 言っているのだろう。

 ヤスノリはもう少しここにいたかったが、スケジュールの都合上、十時半にはバスに乗らなければならなかった。

 ここでの滞在時間が短かったのは、S町まで戻る途中、昼食に高速道路のサービスエリアのフードコートで一時間。そして、更にそこから暫く走った先の別のサービスエリアでもう一度トイレ休憩で二十分過ごすことになっていたからだ。

 他の皆はもう早々とバスの方へ向かい始めている。

 ヤスノリは、どこの国の出身なのかはわからなかったが、無邪気な西洋人の女の子をもう一度見ると、皆のいる所へと駆けて行った。


 バスは奈良市街地を抜けて郊外へ出ると、高速道路へ上がった。しばらく走るとスピードを落とし、サービスエリアに入って停まった。

「では皆さん、ここでお昼ごはんとなります」

 ガイドさんが言うと、ゾッピがいつもの調子を取り戻した。

「えいっ。お告げの神より授かりし神通力っ!」

 ヤスノリは通路をはさんで隣の席に着いているミツアキと自然に目が合った。

 始まったぜ…。

 ミツアキの目がそう語っていた。

「…見えます。今日のお昼は唐揚げです」

 どうやらゾッピには昨夜の枕のお仕置きはこたえていないらしかった。かつて宇野先生に、ゾンビと形容されたのもうなずける。

 こいつ、案外大物になるかもしれないな。

 ヤスノリが思っていると、ガイドさんの声がした。

「さあ、何が出てくるでしょう」

 ガイドさんはお昼のメニューが何なのか既に知っているらしく、笑いながら言うの

 だった。


 フードコートに入って行くと、辺りにはスパイシーな香りが漂い、ヤスノリは急に空腹感を覚えた。

 昼食はカレーライスだった。

「あんたのお告げって、ほんと、よく当たるわね」

 シズが皮肉たっぷりに、向かいの席に着いたゾッピに言っている。

 つられてワックやミッコたちも、そうだ、そうだ、と言いました〇(まる)、などと調子を合わせている。

 ゾッピは、ふん、と言って、そっぽを向く。

「皆、そろいましたか?」

 先生の言葉に、席に着いた十一名の声が、そろってます、と答える。

「じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 ヤスノリはスプーンを取り、一口食べてみた。いつも給食で出るカレーよりも少しひりひりする。

 なんかこれ、辛くない? あちらこちらで、そんなささやきが聞こえてきたが、それでも皆、残さずに食べた。どうやらここで出されるカレーは車の長旅での疲れに喝を入れるためなのか、少々辛めに味付けしてあるようだった。舌がひりひりしたが、おいしかった。ヤスノリをはじめ、どの子も皆、冷たい水のおかわりをした。食べ終わって、舌についたカレーのひりひり感を洗い流すようにしてコップの水を飲み干すと、皆は再びバスに乗った。

 ああ、楽しかった修学旅行も、もうすぐ終わるんだ…。

 バスの自分のシートに着くと、いつも夏休みが終わってしまう時に感じていたのと同じような切ない思いが、ヤスノリの心の中に広がり始めるのだった。


 バスが走り出して間もなく、真ん中あたりの席にいたハナが、リュックの中から何かを取り出したように見えた。取り出したのは、どうやら一つではなかった。まずハナは斜め前の席にいたワックに、先生の所まで回して、と言い、それから振り返ると、ちゃんと後ろまで渡るようにしてね、と言って、斜め後ろの席のダスマに何かを渡している。ハナがワックとダスマに渡したものは同じ物のようだった。

 前の席からこちらへ、だんだんとハナの差し出した物が、リレーのように近づいてくる。やがてすぐ前の席に着いていたタルケからミツアキは何かをもらい、一枚抜いて、ほらよ、とこちらに渡したが、見るとすだち味のガムだった。きっとゑびすやで買ったのだろう。酔い止めに、というハナのささやかな心くばりのガムだった。

 ねえ、ちゃんと渡った? とこちらを見ているハナに、サンキュー、とミツアキが答える。

 ヤスノリはハナからのガムを口に入れてみた。ほんのりとした酸っぱさが舌の上で広がる。すだち味、といっても酸っぱさはかなり和らげてある。本物のすだちの酸っぱさは強烈で、レモンよりも酸っぱく感じられるくらいだ。

 すだちの旬は九月だが、露地で栽培されるものは十月くらいまで出回っている。

 …焼いたサンマによく合うんだよなあ。半分に切ったやつを、きゅっとしぼって、醤油をたらして…。

 想像するだけでヤスノリの口の中につばが湧いてくるのだった。


「皆さん、何か歌でも歌いましょうか。何がいいですか?」

 皆、憂鬱そうな雰囲気に包まれているのを察してか、ガイドさんが言った。

「終わりのない歌」と何人かが口をそろえる。

「そうですか。じゃあ、『終わりのない歌』、いきましょう」


 正直じいさん ポチ連れ

 敵はいく万あれとて

 桃から生まれた

 もしもしカアカア

 からすが鳩ポッポ

 ポポッポで飛んであそ

 べらぼうでこんちくしょうでやっつけろ

 さつきは恋の吹き流し

 なんて間がいいんで


 正直じいさん…


 気がつくと、皆、夢中で歌っていた。何回繰り返し歌っても、不思議と飽きはこなかった。歌はその題の通り延々とループしてゆく。歌がまた最初の歌詞に戻ると、皆、前よりももっと熱をこめて歌うのだった。


 バスは走り続け、高速道路を下りた。

 ヤスノリは借りた父の腕時計を見た。もう五時を過ぎている。道はゆるやかな下り坂になり、なつかしいS町の町並みがガイドさんの後ろの大きなフロントガラス越しに広がっていた。

「もうまもなく水床島行きの連絡船乗り場に到着です。みなさん、今回の修学旅行は楽しかったですか?」

 誰もが、口ごもってしまっている。皆の思いは同じだ。楽しかったことは事実だが、この旅行が、もうすぐ終わろうとしているのが切ない。

 ヤスノリは無理に笑おうとした。

 思い出になるはずの修学旅行の最後がこんな風じゃ、やっぱり嫌だ…。

 ガイドさんは皆を元気づけるように聞いた。

「今回の旅行では何が一番良かったですか? 金閣寺? 大仏様?」

 しばらく沈黙が続いた。

 すると、ゾッピがぽつりと言った。

「終わりのない歌」

 その返事に皆は無言だったが、賛同しているのが雰囲気でわかった。

「そうですか。あの歌ね、けっこう面白いでしょう? だから、ぜひこの修学旅行の記念にいつまでも覚えていてくださいね。皆さんが楽しんでくれたようで、本当によかったです。皆さんはこれからおうちに帰ります。修学旅行はおうちに帰るまでが修学旅行なんです。そうですよねえ、先生」

 ガイドさんの言葉に、シートの上にのぞいている背の高い河上先生の頭が、そうです、そうです、とうなずいているのが見えた。

「皆さんといつかまたどこかで会えるように願っています。だから、さようなら、なんて言いません」

 ガイドさんは、皆に少し寂しそうな雰囲気が漂っているのを改めて察すると言った。

「きっと、またいつか、どこかで会いましょうね」

 水床島小学校六年生の全員は、精一杯の笑顔でうなずくと、ガイドさんに手を振りながらバスを降りた。


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