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第7話 修学旅行 いざ、京都

 修学旅行初日の朝となった。初めての本格的な外泊だ。八月に宿泊訓練をしたとはいえ、見知らぬ土地で一夜を過ごすことになる。たとえ友達が一緒だからといっても、今夜は家では寝ないんだ、と思うと、ヤスノリは何だか胸が高鳴りそうになった。

「今朝は早起きだったじゃない」

 朝が苦手で、ふだんは時間ぎりぎりまで寝ていて、母に起こしてもらうのが習慣になってしまっているヤスノリが、自分で早く起きて来たのに驚いた様子で、母は言った。


 一階の、家族が囲む食卓で、母の作ってくれた朝食をがつがつと食べる。

「もう少しゆっくりと食べなさい」

 今朝のために、母はわざわざ好物の高野豆腐の卵とじを作ってくれていた。


「はい、これ」

 家を出る時、母が、父の腕時計と小さな黒革の財布をさし出した。ふだんは使わず大切にしまわれていた父の時計もずいぶんと前に買ったものらしかったが、なんだか新品同様に見えた。それでも時々は、使っていたらしく、硬い革バンドに、他の穴よりもほんの少しだけ大きくなっている穴があった。

 貸してもらった腕時計をさっそくめてみる。ヤスノリの手首は父よりも細かったので、少し大きくなっている穴を三つ分過ぎた穴でとめた。

 母の前だったが、少しためらいながら、渡された小さな財布をそっと開けてみると、小遣いの千円札が数枚、きちんと折りたたまれて入れられていた。

 なんだか大人になった気分だ…。


 家を出ると、夕べの通り雨で濡れた道を歩いて行く。

 連絡船乗り場の途中にミツアキの家はあった。玄関でそっと呼ぶと、ミツアキは出て来た。

 朝が早いせいか、ふだんは仲良しの二人でも、しばらく無言のままで船着き場まで歩く。

 船着き場は、太平洋へ突き出したこの島の最南端の行者岬がぐるりと囲む床見湾の、人々が暮らす集落からは少し離れた場所にあった。

 水床島の海の透明度は高かったが、特に船着き場や灌頂ヶ浜のある床見湾は格別で、アクアマリンブルーの水を通して、水深の深い海底の小さな石の一つ一つまでもが見通せた。


 朝七時。役場のチャイムとともにヤスノリたちを乗せた始発の連絡船は出航した。全長三十メートル。大型車二台、乗用車六台、人なら九十人が乗せられる百七十トンほどの船だった。

 ヤスノリとミツアキは航海甲板に上った。前方の空には薄く霧がかかって太陽は白く見え、一瞬、月かと思うほどだった。

 連絡船は最高速度が時速八ノット(およそ時速十五キロくらい)、世間で言うママチャリほどの速さで、白い太陽を右手になるように船首の向きを変えて海の上を進んで行く。

 二人とも黙って、なるべく遠くの空や水平線を見るようにしていた。

 航行する船のすぐ近くの、後ろへ流れ去ってゆく海面を見つめていると船酔いすることを少年たちは経験で知っていたからだ。


 本土への連絡船の乗船時間は短かった。ああ、水床島とお別れだ、と思っていると、やがて速度を落とし、対岸のS町の港に着いた。

 船を降りて、船着き場の建物を出ると、前の広場に観光バスが待っていた。ふつうのバスと違ってサロンバスと呼ばれる豪華なものだった。中は、天井に小型シャンデリア、窓には柱灯があり、座席やカーテンも高級感あふれる特別製のものだった。

「うわぁ」

 一人ずつサロンバスに乗り込むたびに歓声が上がる。車内には、普通の観光バスに付き物の補助席は無く、河上先生と六年生十一名の計十二名が乗車しても、中は余裕の空間の広がりが感じられた。

 秋に行われる水床島小学校の遠足は毎年行き先が決まっていた。六年生は修学旅行だったが、一、二年生は近くの灌頂ヶ浜、三年生と毎年春に行われる、卒業生を送るお別れ遠足は行者岬の付け根の極楽浜、四年生は連絡船に乗って対岸のS町の薬山寺、五年生になると、S町から更に鉄道のディーゼル特急に乗って県央のT市郊外にあるアミューズメントパーク、

 トゥモロー・ドリームランドへ行ったので、学校の行事でバス、しかもこんな大きくて豪華なバスに乗るのは、ヤスノリたちにとっては初めての出来事だった。

「皆、前の列から順番に通路をはさんで左右に座っていきなさい。荷物は棚ではなくて、窓側の席に置いておくといいですよ。その方が降りる時に取りやすいから。じゃあ、レディ

 ファーストで女の子からね。僕はここに座ります」

 河上先生はそう言うと一番前の列の、進行方向に向かって左の通路側の席に着いた。

 通路をはさんだ、先生と反対側の席にカーチーが、二列目の通路をはさんだ左右にワックとシズが、三列目にはミッコとハナが、四列目からの構成は男子となって、ダスマとクマが、五列目にはゾッピとタルケが、そして六列目にはミツアキとヤスノリが着いたが、それでも後ろの席はがら空きのままだった。


 全員が席に着くと、中年の男の人が乗り込んできた。

 ドアが閉まると、バスは動き出した。

「水床島小学校の皆さん、おはようございます」

 この男の人はバスガイドだった。皆、遠足でバスに乗るのはこれが初めてだったが、それでもバスガイドは女性、と話には聞いていたので、しばらくぽかんとしていた。

「あれ、元気がないですね。では、もう一度。おはようございます」

「おはようございます」

 一応、そう言ってはみたものの、皆の声は、ばらばらだった。

「おやおや、今日は皆さんが楽しみにしていた修学旅行ですよ。元気よくいきましょうね」

 ガイドさんはそこまで言うと、今度は、はっきりとした、大きめの声でもう一度言った。

「おはようございます」

 ヤスノリたちは目が覚めたように声をそろえるとあいさつを返した。

「おはようございます」

「そうそう。それで結構ですよ。では、昨日、よくねむれた人」

 ガイドさんは手を挙げて見せる。

 全員がそろって手を挙げた。

「はい、私も皆さんに会えるのが楽しみで、今朝はいつもより早く起きてしまいました」

 その言葉に皆、笑いをこらえ、河上先生の方を見た。

 四月の一番最初の日、初めて教室に入って来た時、先生は自分のことを「僕」と言ったんだっけ…。

 ヤスノリが思っていると、ガイドさんは穏やかに笑って言った。

「あのね、大人になると、自分のことを言う時には、男でも『私』と言うんですよ」

 どうやら仕事柄、小学生の相手をするのには慣れているようだった。

「これから皆さんはまず、京都へ向かいます。ここからだと高速道路を走って五時間くらいかかるので途中.でトイレ休憩があります。そこで二十分ほど休んでから京都へ行くのですが、着くのはお昼の一時くらいなので先に食事をして、それから金閣寺へと向かいます。金閣寺をゆっくりと見た後は宿へ向かって、今夜はそこで泊まります。さて、ここで皆さんとのお約束があります。いいですか~?」

 ガイドさんの言葉に全員がうなずく。

「はい。ではここでお約束があります。お約束、その一。このバスは、途中、トイレ休憩で停まりますが、バスから降りても、ぜったいに皆とはぐれないようにしてください。迷子になったら大変ですからね。バスから降りた時、周りを見渡して、バスが停まった位置を覚えておいてください」

 皆、神妙な顔をして聞いているのが雰囲気でわかる。

「その二。けがや事故のないように、周りによく注意して行動しましょう。特にバスから降りる時、わくわくして急に走り出してはいけませんよ」

 全員がうなずいたのを見てガイドさんは言った。

「はい、今日は良い天気に恵まれて、まさに旅行日和と言ったところですね。さっきも言いましたが、京都に着くのは午後一時過ぎを予定しています。それまで皆さんとゲームや歌を楽しめればと思います。これから高速道路に入ってゆきますが、途中サービスエリアで二十分ほどトイレも含めて休憩をします。長い時間バスに乗っているので、外に出てリラックスしましょう。もちろんこのバスにも後ろにトイレはあるので、途中で我慢できなくなったら、そっと行ってくださいね。それでは今日一日、よろしくおねがいします」

 それからガイドさんが、皆さんの学校のことが知りたいです。そうですね、じゃあ、校歌を教えてください、と言ったので、皆で水床島小学校の校歌を歌うことになった。


 潮の香高き この島の

 開けゆく海 輝きて

 希望は雲と沸き上がり

 潮の恵み 今受けて

 伸び行くわれら ここにあり

 ああ 水床島小学校


 この春に赴任してきた河上先生は、校歌をまだ完全に覚えきれていないみたいで、一生けんめいに皆が歌うのを聞いているように思えた。

 校歌を歌い終わると、ガイドさんが言った。

「はい、ありがとうございました。とてもいい校歌ですね。私はまだ水床島へは行ったことがないんですが、とても自然に恵まれ、海の水がほんとうに澄み切っていてきれいだ、と聞いています。では、皆さんが校歌を教えてくれたお礼に、今度は私から皆さんへ『終わりのない歌』というのをプレゼントしたいと思います。ゆっくりと歌いますから、聞いて覚えてみてくださいね」


 正直じいさん ポチ連れ

 敵はいく万あれとて

 桃から生まれた

 もしもしカアカア

 からすが鳩ポッポ

 ポポッポで飛んであそ

 べらぼうでこんちくしょうでやっつけろ

 さつきは恋の吹き流し

 なんて間がいいんで


 正直じいさん…


「と、こんなふうに歌詞の一番最後が、また一番最初の歌詞の頭に戻って来てしまう歌なんです。おうちに帰ってからでもいいので、この歌の歌詞を紙に書くと、それぞれの行の終わりの言葉が次の行の頭の言葉とつながっていることがわかります。ではもう一度歌いますね。今度は皆さんも一緒に歌ってみてください」

 この歌はうけた。皆、早く覚えこもうと夢中になり、ガイドさんの後について歌う。

 歌を何度もループさせているうちに、バスは高速道路のサービスエリアに停まった。

 ああ、やっぱりのびのびする。

 一番最後にバスを降りたヤスノリは、早速トイレに向かった。サービスエリアには、何台もの大型観光バスが停まっている。

 用を足した後、遠くに見えている、今まで乗っていたバスの停車位置をもう一度確かめてから辺りをぶらぶらとしてみた。

 サービスエリアの隣には遊園地があった。

「すげえっ。観覧車だ」

 ゾッピが歓声を上げる。

 だが、休憩時間はあっという間だった。

「はい、もう出ますよ」

 河上先生の声に、散らばっていた皆は戻って来て、またバスに乗り込み、出発する。

 バスガイドさんは話が上手だった。他の人が言っても退屈なだけなのに、その人が言うとなぜかおかしい、ということがあるのをヤスノリは経験で知っていた。

 他の皆もずっとガイドさんの、京都や金閣寺の話に耳を傾けている。

 二時間近く走った後、バスは高速道路を下り、京都市内に入っていった。


 お昼は金閣寺近くの食事処で取った。メニューは修学旅行生限定の特別弁当で、おひたし、京野菜の煮物、だし巻き卵、から揚げ、ポテトサラダ、ミニハンバーグなど、小学生向けのメニューを懐石風にアレンジしたものだった。

 お腹がすいていたせいか、それともふだん味わえない旅行気分のためか、あるいは盛り付けが少な目だったせいか、学校の給食で、特に野菜類のおかずの食べ残しが多いゾッピは、弁当の中の京野菜を使った一品までもペロリと平らげていた。

 いったい、あいつ、どうしちゃったんだろう…。

 ゾッピとは反対にヤスノリは食べ物の好き嫌いはほとんどなかった。家が農家のせいか、特に野菜類はよく食べ、給食でも残すことはなく、今まで出された食べ物で苦労したことはなかった。

 そう言えば、やつの十八番の「お告げ」は、今回は出なかったな…。 


 食事が済むと、次の行き先はいよいよ金閣寺だ。ガイドさんは駐車場に停めたバスに居残りで、河上先生が引率することになった。

 京都市の北西にある金閣寺の中に入ると、ヤスノリたちはその雰囲気に圧倒された。

 まるで異空間にいるみたいだ…。

 ふと周りを見てみると、日本人がいないことに気が付いた。アジア人に西洋人。大勢の観光客がいたが、日本人はヤスノリたちだけだった。

 日本語が少しも聞こえてこない…。

 ここは本当に日本なんだろうか、と思うヤスノリをよそに、まわりの外国人たちはよくしゃべる。

 河上先生は、英語が聞こえてきませんね、と言ったが、周りには聞いたことのない、

 何ヶ国もの言葉が飛び交っているようだった。

 抹茶色の水をたたえた池の辺の三層造りの舎利しゃり殿を見て、ヤスノリは思わず足が止まってしまった。

 まるで、えーっと…。そうだ、オーラだ、オーラ。

 舎利殿の、本当にオーラでも出ているかのような金色の光が、淡く晴れ渡った空に輝いている。

 この空間に、ヤスノリはエネルギーというかパワーというか、何かそうしたものを感じ取っていた。今までの旅行の疲れが出てきて、体が重くなったように感じ始めていたが、その疲れもどんどん洗い流されてゆくようだ。


 金閣寺を見終わると、バスで今夜の宿へ向かう。ヤスノリたちは知らなかったが、場所は烏丸五条だった。

 一行は、今夜泊る旅館に、割合と早く着き、男子六名、女子五名に分かれると、それぞれの大部屋に通された。

 男子六名に割り当てられたのは十三畳の和室だった。

 畳の上にリュックを置くと溜まった疲れがまたどっとふき出してきて、軽いめまいを覚えるのだった。


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