第20話 めざせ、行者岬! 動き始めた遠乗り計画
辺りに、自分たち以外は誰もいなくなると、ヤスノリは、ハナがこの島を去ってしまう、という想定外の出来事で憂鬱になりかけた気分を拭い去りたくてミツアキに提案した。
「卒業記念に行者岬まで行く、ってのはどうだ?」
「あの岬まで遠乗りか? 自転車で」
卒業記念の岬までの遠乗りというのは、ヤスノリの一方的な思い付きであったが、ミツアキは二つ返事でオーケーしてくれた。体育館の床下探検が不発に終わってしまい、ヤスノリたちの少年らしい冒険心が胸のどこかで不完全燃焼してしまっていたので、岬への遠乗りは、絶好の仕切り直しということになった。
卒業生を送るお別れ遠足が今年から廃止、というのも、自分たちのせいではなかったが、これはこれで、いったいどうして僕たちの時から? という割り切れない思いを持て余していた折りだったので、この計画は二人の少年の胸に火を点けた。
行者岬は、南にあるこの島の、さらに南の果てにある、島でただ一つの岬で、黒潮が流れる太平洋に向かって細長く突き出していた。
行者岬の先端は、原生林に覆われた断崖になっていて、ヤスノリのいる村からも望めた。その原生林から少し下がった所の高台にある無人の灯台が、沖を行く船の一里塚となっていた。原生林の中はうっそうとして道は無く、灯台から岬の先端の断崖へ進むことは無理だった。
行者岬の無人の灯台は、ヤスノリが小学校に入る前にできて、その時、一般公開され、親子での見学会があった。見学会にはヤスノリ親子とミツアキ親子が参加し、できたばかりの灯台の中の、らせん階段を上ってみると、一番上の灯室に辿り着いた。まだ幼かったヤスノリは、そこから太平洋を眺めようとしたが、目の前の、岬の先端の原生林と灯台の両側を囲む木立がじゃまとなり、大人の目の高さでやっと遠くの水平線が望めた程度だったので、期待していた大海原の展望を見ることができなかった。
岬の高台には、千二百年もの昔、この岬の名前にもなっている、本土から来た一人の行者が修行をしたという伝説の洞窟があったが、島の子供たちの中で、その洞窟に入った者はまだ誰もいなかった。
そこは「行者の岩屋」と呼ばれていた。南に向かって海に突き出した岬の高台は、反対方向の北側にだけ開け、残りの三方は天狐森と呼ばれる木立に囲まれており、高台の一番奥の空地には灯台が、手前には天狐森神社があった。この神社の本殿の横には古ぼけた小屋があったが、その中には、「行者の岩屋」に続く秘密の階段がある、とささやかれていた。
去年のプール開きの時にも、カーチーが河上先生に天狐森神社について語っていたが、遠い昔の、ある八月の満月の夜。本土から来た行者の後を追うようにして、天の使いの狐が島に辿り着いた。狐は洞窟で修業中の行者を陰ながら見守ったり、島の子供たちと遊んだりした、と伝えられており、後にその狐を祀ってできたのが、この天狐森神社だった。
代々この神社には神主がいたが、一番最後の神主が、今は亡きヤスノリの父方の祖父セイチと幼なじみで、子供のいなかった神主が亡くなって以来、ここは無人の神社となっていた。
天狐森神社の神主が生きていた頃は、行者をしのんで岩屋を訪れる人もいたようだが、今は蜘蛛の巣の張った本殿と壊れかけた小屋だけが残っている。
神主は亡くなる前、後の安全性を考えて、それまで自由に出入りできた本殿横の「行者の岩屋」の入口を小屋を建ててふさぎ、小屋の戸には鍵を掛けてしまった、と伝えられていた。
いったい、あの小屋の中は? 「行者の岩屋」は今、どうなっているんだろうな…。
ヤスノリは小学一年生だった時、その頃、まだ行われていた卒業生を送るお別れ遠足で、一度だけ天狐森神社まで来たことがある。その遠足の時、誰かが小屋の引戸に手を掛けようとして、すぐに担任だった市原先生が止めに入ったことだけは覚えている。そういうことがあったせいか、以後、行者岬はお別れ遠足の行き先から外され、新しいお別れ遠足の行き先は、去年までだったが、岬の付け根の極楽浜になってしまった。
神主が亡くなり、天狐森神社が無人の神社となってからは、大人ですら近づくことのなく
なった行者岬へは、子供だけで行くことは禁止となっていたが、ヤスノリたちにとって、今回のこの岬への遠乗りには、学校が定めた「禁」からの卒業、という意味も込められていた。
遠乗りの約束をした時、ヤスノリは昔の遠足の記憶、誰かが小屋の戸を開けようとして、先生に止められたということをミツアキに話した。話を聞くと、思い出したようにミツアキは言った。
「ああ、確かそんなことがあったな」
「それでさ、今、気が付いたんだけど、あの小屋の戸って、実は開くんじゃないのかな。あの時、戸に手を掛けようとした奴も、直感で開きそうだと思ったからそうしたんじゃないのかな?」
それを聞くと、ミツアキは白い歯をこぼれさせて、
「そうだ、きっとそうに違いない。あの小屋はもうずいぶんと古いし、入口の戸だって、何かの拍子で開くようになったんだ。もし鍵が掛かっていたとしても、あの戸はもう壊れかけていたから、無理にでもこじ開ければなんとか入れるさ」
と言い、ボールを打つ時の、野球の打者のようにバットを振る真似をしてみせた。
ヤスノリたちは自分たちの直感力には自信があったが、それは文明の利器とはおよそ無縁なこの島での暮らしによって培われたものだった。
「だけど、問題は中に入ってからのことだよな」
「真っ暗だろ? この前みたいに懐中電灯がいると思うぜ」
この前って、あの体育館の床下探検のことか、とすぐに思い出しながらヤスノリは言った。
「いや、ロウソクの方がいい。ほら、いつか先生が理科の時間に言ってたよね。洞窟の中は自然にガスなんかが噴き出している場合があるから、中にちゃんと酸素があるのか確かめるには、ロウソクやたいまつを持って入る方がいいって。もしも酸素がなかったら、火が消えてしまうから危険に気づける、って」
「でも、昔、入口がふさがれる前は、行者をしのんで岩屋の中に入る人もいた、って聞いたぜ。だったら中は大丈夫のはずだろ?」
「何十年も前の話じゃないか。今は中の空気は、どうなっているのかはわからないよ。それにロウソクの方がやっぱり洞窟探検、って感じが出ていいと思うけどな」
と、ヤスノリが言うと、
「わかった。その時までに、ロウソクを上手く立てるものを考えておくよ」
手先が器用なミツアキは身を乗り出すようにして言った。
「ああ、たのむな。必要な材料なら、うちにあるからさ。ところで、この計画は僕らだけの秘密だ。父さんたちには言わないでおこう。もし知ったら止めるに決まってるから」
「そうだな…。で、遠乗りのことなんだけど、うちの弟も連れて行くけど、いいかな? あいつらには口外しないように釘を刺しておくからさ」
「ああ。で、遠乗りの決行はいつにする?」
「もちろん、今月末の三十一日だ。次の四月一日からは春休み中であっても、俺たち中学生の扱いで、本土への連絡船もしっかり大人料金取られるんだぜ」
「えーっ、そんなのありかよ」
ヤスノリは初めて聞くその事実に、それでもやっぱり納得がいかない、と思いながら言った。
「まだ中学校に入ってもないのに…。四月一日からって、それってエイプリルフールなんじゃないの?」
ヤスノリは、冗談交じりに言ってミツアキを見た。
「いや、本当にそうなんだってさ」
ミツアキは真面目な顔で答える。
「ああ、それでか。それで、お前は、今月末の小学生最後の一日を遠乗りで飾ろう、ってことにしたいのか」
「そういうことだ」
「だったらさ、お前たち、その日の帰りはもう、うちで泊まっちゃえよ。そんなの父さんに言えば一発でオーケーだからさ」
この時ばかりは、芽生え始めた父への反発心も影を潜めていたことに気付きながらヤスノリは言った。
「いいな、それ。俺も母さんに頼んでみる。家を空けられるように…。ただし洞窟探険のことは悟られないようにしなきゃな」
「ミチおばさんなら、きっとオーケーしてくれるさ。それにお前の父さんだって…」
ミツアキの両親は、子供は自立心を身につけるべし、という考え方の持ち主だった。そのことをよく知っていたヤスノリとミツアキは顔を見合わせて笑った。




