第17話 最後の授業
卒業を控えた水床島小学校第六学年の最後の授業は、まる一日をつぶして家庭科の授業となった。
五年生の時に習った「ご飯の炊き方と味噌汁の作り方」のおさらいで、卒業の思い出に小学校最後の授業として、もう一度自分たちで作ってみよう、ということになったのだ。
これは、ヤスノリの母とふだんから仲の良い米田先生との他愛のない雑談の中で持ち上がったものだった。
ヤスノリは五年生、六年生と家庭科を米田先生に教えてもらった。
「男の子だって、料理の一つくらい自分で出来なきゃね」
母は言ったが、この、最後の授業は家庭科で、という案は、この間の体育館清掃事件で、ちょっぴり罪の意識に悩んでいるヤスノリを見て、自分たちで作ったご飯と味噌汁を担任の河上先生に食べてもらうことで、償いにしてみたら? という母の計らいだったのだ。
一年前、ヤスノリが五年生の時の家庭科で裁縫を習った時、縫い方でゾッピがクラス一番になったことがあった。
(家庭科の授業の記憶)
「ゾッピ君、縫い目がまっすぐ一つ一つきちんとそろってて、手際よく縫えていたわね。でも男の子なのに、どうしてこんなに上手なの?」
米田先生に聞かれてゾッピは答えた。
「俺、母ちゃんに縫い方、習ってんだ。ほら、漁師は自分で網を繕えなきゃいけないだろ? だから…」
ああ、それでなの、と米田先生はうなずくのだった。
家庭科の授業は男子にも好評だったが、これも家庭科の、「ご飯と味噌汁」の調理実習に入る一つ前の回の授業の時のこと。次の本番で、いよいよ子供たちが味噌汁の具材の豆腐を切ったり、ねぎを刻んだりと包丁を使うことになるので、まず手始めに、米田先生が包丁を使っての具材の切り方として、刺身を例に魚の種類によって身を薄く切ったり、少し厚めに切ったりすることがある、という話から始めた。
「マグロなんかは刺身にする時、少し厚めに切りますが、ヒラメは薄めに切ります」
米田先生の説明にワックが冗談めかして言った。
「ヒラメは高級だからケチるために薄く切るんでしょ?」
ワックの問いに、先生よりも先にゾッピが答えた。
「ちげーよ。ヒラメは体が平べったくて海の底にいるから水圧を強く受けて身が締まってるんだ。だから薄く切るのさ。でないと、食う時に噛みにくいだろ? それだったら、トロはどうなるんだよ? あれは高級だけど薄くは切らないだろ? なぜって、マグロは海面近くを泳いでるから水圧は受けない。だから身は硬くないから、厚めに切っても平気なのさ」
クラス中に、へえ、という感心した声が漏れた。
「じゃあ、フグはどうなのよ。あれって高級魚よね。別に海の底に住んでるわけじゃないけど、薄造りにするじゃない」
ワックはなおも食い下がるように疑問をぶつける。
「フグって敵を脅すために体を膨らますだろ?」
ゾッピは改まったように言った。
「あれは海水や空気を胃袋に入れてるんだ。体を大きく膨らませられるように、フグには肋骨がないのさ。魚は普通、人間と同じように肋骨で内臓を守ってるんだけどな…。だけどその代わりフグは身が硬くなってて、その硬い身で内臓を守ってるんだ。だから刺身にしたら噛みにくいから薄く切るんだ」
米田先生は、クラスをまとめるように軽く拍手をした。
「ゾッピ君、さすがは漁師の子ね。よく知ってるわね」
ふだん叱られてばかりのゾッピも得意満面だ。
「じゃあ、ここで少し話題を変えましょう。皆さんはスパゲティは好きですか?」
先生の言葉に皆がうなずく。
「そう。じゃあ、いつも給食で出てくるのはナポリタンだけど、その他に、アサリやイカやエビなどのシーフードが入ってて、トマトソースで味付けした、『ペスカトーレ』という名のスバゲティがあるのは、皆、知ってた?」
クラスは静まり、首を横に振る。
「そう。でも、とにかくそういう名前のスパゲティがあるの。それで、そのシーフードのスパゲティは、正しくはこう言うの」
米田先生はチョークを取ると黒板に
スパゲティ アッラ ペスカトーレ
と書いた。
「これは訳すと、日本語とは言葉の順序が逆になってしまうんだけど、この真ん中の、『アッラ』というのは『~風の』という意味で、最後の『ペスカトーレ』と一緒になって全体で『ペスカトーレ風のスパゲティ』という意味になります。じゃあ、この『ペスカトーレ』って、いったい、どういう意味だと思いますか?」
そこまで言うと、先生はゾッピを見た。
「えっ? なんで俺の方を見るの?」
少し、いぶかしげに聞いたゾッピに、にっこりと微笑むと、米田先生は言った。
「それはね、あなたのおうちのお仕事と関係があるからよ」
「じゃあ、『漁業』って意味?」
ゾッピがゆっくりと尋ねるように聞くと、クラス中が笑う。先生は首を振りながら言った。
「うーん。惜しいわね。正解は『漁師』です。つまりこれって『漁師風のスパゲ
ティ』という意味なんです」
と黒板にさっき書いた言葉を指さした。
(家庭科の授業の記憶 了)
そうした出来事を思い出すと、料理くらい出来なきゃね、という母の言葉にヤスノリはスイッチが入ったのだった。
ゾッピがちゃんと出来たんだからな…。
「いっちょ、やってみるか」
ヤスノリの言葉に、そろそろ夕食の支度をしようとしていた母はうなずいた。
「そう、じゃあ、ちょっと待ってて」
母はそう言うと、台所で何か準備をしていたが、少し時間が経ってからヤスノリを呼んだ。
呼ばれるままに土間にあるかまど、通称「おくどさん」の前に行くと、母は沸かしておいたお湯で、わずかな量の味噌を溶いてヤスノリに味見をさせた。
うっ、と不味さにうめき声が出る。
「どう? 味は?」
ヤスノリは顔をしかめた。
「そう。じゃあ、今度はこれでどう?」
母は湯気を立てている隣の羽釜から味噌汁を少しすくって味見をさせた。
いりこダシの、いつも食卓に上る母の味噌汁だった。
「うん、これでいける」
「でしょう?」
賛同を求めるように母は言った。
「これが『ダシの妙味』よ」
「『ダシの妙味』?」
「そう、『ダシの妙味』。ダシが料理において、いかに重要な役目を果たしているのかが、これでわかったでしょう? 一番最初にあんたが飲んだのは味噌をお湯で溶いただけのものだったんだけど、全然おいしくなかったわよね?」
ああ、と母の問いにヤスノリは実感を込めてうなずく。
「でもね、その後、本物の味噌汁を飲んでみたら、どう? 美味しかったでしょう?」
ヤスノリはさらに実感を込めてうなずく。
「味噌はね、ダシで溶かれることで初めて本当の味噌汁になるの」
得意顔で言う母にヤスノリは思った。
たったそれだけのことを言うために、わざわざこんなことをするわけ?
水床島小学校第六学年の最後の授業の日となった。調理実習室に皆がそろうと、なんだか緊張したような、それでいてわくわくするような、五年生で初めてご飯を炊いて味噌汁を作った時の感覚がよみがえって来るのだった。
いよいよ調理実習が始まる。生徒11人+米田先生+河上先生=13人分のご飯を炊くから一升炊きだ。
一升、つまり10合か……。
ヤスノリが記憶している限り、そんな分量の米を家の「おくどさん」で炊いた記憶はない。
幸い、炊飯器は一升炊きだったが、下準備の一升、つまり10合もの米を一度には研げないのでクラスが3名、3名、4名の三つの班に分けられ、それぞれで、3合、3合、4合の米が研がれる。
「ほらゾッピ。お米はもっと力を入れて研ぐの!」
炊飯器の内釜の、水を切った米に手を入れて、力も入れずにいい加減に研いでいたゾッピに、ワックの指導が入る。
ゾッピはしぶしぶ力を込めて研ぎ始める。やがて水道の水で手についた米を内釜に洗い流し入れると、水を止めて米を濯ごうとした。
「貸して。これはあたしがやるわ。そそっかしいあんたがやって、ひっくり返したら、皆が食べる分がなくなっちゃうもの」
ちぇっ、と舌打ちをするゾッピを横目で見ながら、ワックは手首にはめていた輪ゴムを外すと、両手を後ろにやり、髪をまとめた。
ふだん家でも料理を手伝っているのだろう。ワックは慣れた手つきで内釜を持ち、中の白く濁った研ぎ汁を流しに捨てる。
女の子って、こういう時、頼もしいよなあ。
ヤスノリは味噌汁のダシを取る鍋の載ったコンロに火をつける。
本当は苦みを出さないために、煮干しの頭は取っておくのだが、そんなことは気にせずに丸ごと火にかけてしまうのがこの島の流儀だ。
そうするうちに、ご飯を炊く用意が整った。
「時間が無いのでご飯は早く炊きましょう。じゃあ、ゾッピ君、ここを押して」
米田先生に言われるままに、ゾッピは炊飯器の「早炊き」のボタンを、始めちょろちょろ、中パッパ、と言いながら押すと、今度は、ダシを取る鍋が煮立つまでに味噌汁の具材の用意が始まる。ワックが小気味よくまな板でねぎを刻むが、なかなかの包丁使いだ。
鍋が煮立ってきたので火を弱める。
ワックは、世間の母親がするように、手のひらに豆腐を載せて切ろうとしたが、包丁が途中で止まってしまった。
ワックのやつ、この技はまだ習得してなかったのかな。
ヤスノリが思っていると、ゾッピがぶっきらぼうに言った。
「豆腐、まな板に置けよ」
ワックはしぶしぶ手のひらの豆腐をまな板に置く。
「包丁もだ」
ゾッピの言葉に、包丁も台の上に置いた。
ゾッピはまな板の豆腐を手に載せると、置かれた包丁を取って豆腐を楽々と切り始めた。
米田先生をはじめ、全員が息を飲んで事の成り行きを見守っている。
ゾッピはさいの目に切った豆腐を、ほんのりと湯気が立っている、もうダシが取られた鍋に入れた。
「ゾッピ君、包丁を使うのも上手なのね。どうしてなの?」
先生が聞いた。
「俺、包丁の使い方は父ちゃんに習ってんだ。もちろん、母ちゃんも教えてくれるけどさ…。ほら、漁師は舟の上で獲った魚を下せなきゃなんないだろ? だから…」
ゾッピの言葉が終わらないうちにワックが言った。
「お味噌汁の仕上げの味付けは、あたしがやるわ」
ワックは、名誉挽回とばかりにスプーンで味噌をすくって、鍋に入れたお玉の上で溶いてゆく。味噌こしなどという気の利いた物など使わない。ちょうどいいと思われた頃合いで、小皿に取って口につけると、これでいいわ、とつぶやいた。
「この辺で、もういいでしょう」
米田先生は鍋の火を止めた。
「ではここで皆さんにダシのパワーについて知ってもらうために、ちょっとした『実験』をしてみます」
先生は、丼に適量の味噌をお湯で溶き、用意してあった十一人分の小さな紙コップに注いでいった。
この「実験」って、この前、うちで母さんがやったのと同じだ…。
ヤスノリの目の前に紙コップが回ってくる。一応、香りだけは味噌の香りが漂っている。
「はい。これはダシではなく、味噌をお湯で溶いただけのものです。各自、紙コップが回ったら飲んでみて」
と米田先生は言った。
同じ手に二度ひっかかるものか!
ヤスノリは紙コップを口に近づけて飲むふりをしたが、教室のあちこちでうめき声が上がる。
「うっ」
「何これ?」
「不味い」
皆ぶつぶつと言っていたが、クラスが収まったところで先生の声がした。
「どう? ぜんぜんおいしくなかったでしょう?」
クラス中がうなずく。飲むふりをしただけだったが、その不味さを既に知っていたヤスノリも周りに合わせてうなずいた。
「じゃあ、皆、このお味噌汁の鍋の前にさっきの紙コップを持って並んで」
先生の言葉に全員が列を作る。先生は一人一人の紙コップに味噌汁を少しずつ注いてゆく。
しまった、とヤスノリは思った。
さっき、回されてきた、味噌をお湯で溶いただけのものには口を付けずにいたので、紙コップには最初に注がれた時の、そのままの量が残っていた。
このままじゃあ、僕が口を付けずにいたことがばれてしまう…。
だが、米田先生は、注ぐのに気を取られていたのか、あるいは、一応、少しは口を付けたものと思ってくれたのか、何も言わずにヤスノリが差し出した紙コップに本物の味噌汁を上から注いでくれた。
全員の紙コップに本物の味噌汁が注がれたのを見て、先生は言った。
「今度は本当のお味噌汁よ。さあ、飲んでみて」
先生の言葉でクラス中がいっせいに紙コップに口を付ける。
今度は、ヤスノリも飲むふりをしなかった。
ああ、おいしい、という声があちこちで漏れる。
先生は満足そうにうなずいた。
「これでダシというものが、どれだけ料理において大事な役目を果たすのか、分かってもらえたと思います。じゃあ、もうこれくらいにして、ご飯も炊き上っているから、さっそく皆さんが作った食事をいただくことにしましょうか。これが本当の『最後の晩餐』ですね。この『晩餐』というのは英語のディナーを訳したものです。日本語では『晩餐』つまり『晩に出るごちそう』、つまり夕食の意味になってしまいますが、このディナーというのは、もともとは夕食の意味ではなく、『正餐』、そう、一日の中で取る正式な食事のことなんです。たいていは夕方に出るのですが、別に昼に取ってもかまいません。ただし、この時の夕食は軽めの食事のサパーと呼ばれるものになりますが…」
先生がそこまで言った時、ゾッピが聞いた。
「じゃあ、昼も夜も両方ディナー、ってのはないの?」
ゾッピが聞いた。
「それはありません」
先生は笑いながら答える
「一日の内の正式な食事は昼か夜かの、どちらか一度までです。昼がディナーなら、夜はサパー。昼がランチなら夜はディナーになります。ランチは昼の、サパーは夜の、軽い食事のことを指してそう呼びます」
「ふーん。そうなの。じゃあ、昼にディナー、っていうのはいったいどんな時に出るの?」
さらなるゾッピの問いかけに先生は答える。
「そうですね。例えば、政府が招いた外国からのお客様をもてなす時なんかですね。こんな時は、昼がディナーで盛大な食事会、ということになりますよ」
へえ、という声があちこちで聞こえた。
「じゃあ、もうその話はこれくらいにして、じゃあ、ゾッピ君、河上先生を呼んで来て」
先生の言葉にゾッピは職員室へ走ってゆこうとした。
「ああ、慌てなくていいから」
ゾッピは振り返りもせず、早歩きで教室を出て行った。
やがて河上先生が右手にふだん使っているらしい箸、左手にこれもふだん使用のような茶碗と汁椀を上向きに器用に重ね、こっち、こっち、とゾッピに先導されるようにして教室に入って来たのを見て、米田先生は言った。
「ああ、先生。空いている席に着いてください」
皆、それぞれが家から持ってきた箸と茶碗と汁椀をテーブルの前に出す。女の子を代表してワックとカーチーが差し出されたクラス全員の茶碗と汁椀にご飯と味噌汁をよそってゆき、準備は整った。
「はい、では皆で水床島小学校、『最後の晩餐』をいただきましょうか」
米田先生の言葉に、いただきます、の声がはね返り、お昼なのに『最後の晩餐』が始まった。
おいしい、と、ゾッピの声がする。
ほんと、そうね。
シズをはじめ女子連中も相づちを打つ。
「ああ、皆さん。食べながらでいいので聞いていてください。さっき、味噌をお湯で溶いただけのものと今、口を付けている本当の味噌汁の違いを、感想でいいので後で書いて提出してもらいます」
「えーっ」
何それ、と言いたげな声が教室に沸き起こる。
「当然です。だって今、皆が食べていることだって、ちゃんとした家庭科の授業なんですよ」
「ところで先生。味噌汁って、スープの一種なんだってね。この前、英語の時間に教わったけど…」
ゾッピが聞いた。
「ええ、そうですよ」
ゾッピが、いつになく、まともな質問をしたことに米田先生は顔を輝かせた。
ゾッピのやつ、今日は、やけにまじめな質問をするな、とヤスノリが思った時、また先生の声がした。
「じゃあ、もうこれくらいにして味噌汁が冷めないうちにおいしくいただきましょうね」
いただくのはいいんだけど、問題はこの後の「食後の感想」だな…。
ヤスノリは、母が前に言っていた「ダシの妙味」という言葉を思い出し、それを書こうと思った。
河上先生はさっきからクラス全員を見ていて、皆が「最後の晩餐」を口にするのを見ると初めて箸を採った。
果たして先生は僕たちが作った「最後の晩餐」を食べてくれるのだろうか…。食べてくれた。感動した! それから僕が書いた感想が一番いい感想として読みあげられて…。
と、ヤスノリは空想を羽ばたかせたのだが、運命は別の展開を用意していた。
水床島小学校の最後の授業で皆で作った「最後の晩餐」は、それなりに美味しかった。
空腹は最良のソースである
いつかの英語の時間にヤマムラ先生は、もとはソクラテスの言葉ですが、と前置きしてから、英語になったことわざで、こんなのがあります、と言って、黒板にこう書いたことがあった。要は、おなかが空いていれば、何でもおいしい、という意味らしかった。
今、こうして食べている、このご飯と味噌汁だけの「最後の晩餐」も、きっと普通の味なのだろうが、学校で、こうして皆で作った、ということが、それなりの「ソース」となっておいしく感じさせているのかもしれなかった。
そうこうしているうちに「最後の晩餐」も終わり、用意された感想を書く紙が配られた。
ヤスノリは、「これがダシの妙味というものだと思います」と書いた。
一人一人の席を回り、その度、提出された感想を読んでいた米田先生がヤスノリの所へ来た。先生は差し出されたヤスノリの感想を読むと、なぜか意味ありげな微笑みを浮かべて、そう、とだけ言うのだった。
その瞬間、ヤスノリは悟った。
この「最後の晩餐」の授業も母さんの思い付きだけど、今までの流れからして、先生に「味噌をお湯で溶いただけのものと、ちゃんとダシで作った味噌汁の違いをわからせてあげて。これが本当のダシの妙味というものよ」、とかなんとか吹き込んだに違いない。先生と母さんはふだんから仲がいいから…。
米田先生は集めた全員の感想に目を通していたが、やがて、
「では、今から一番よかった感想を発表します」
と言った。
クラス中が静まる。
「一番よかったのは…」
ヤスノリの胸は一瞬、波を打った。
「ゾッピ君の感想です」
えーっ。
クラス中がどよめく。もちろんヤスノリも…。
河上先生は可笑しさをこらえているように見えた。
「じゃあ、彼の感想を読み上げるよりも、そのまま黒板に書くわね」
と言うと、米田先生はチョークを取った。
本日のメニュー
「このスープ アッラ オイシーネ」
「もう、何よ、これ」
「信じられない!」
ワックにカーチーたち、女子のブーイングが起きる。
「先生、なんでこんなの選んだの? これって、ただ言葉を思いつくまま、でたらめに並べただけじゃない」
「そうだ、そうだ」
シズの発言に、男子からも、まるで国会討論会のように賛同(と言うかヤジ)の声が挙がる。
まあ、まあ、と両手を上下させてクラス中(ただし、ゾッピは除く)をなだめるようにして米田先生は言った。
「中には、『これが出汁の妙味だと思います』という立派な意見もありました」
先生がそう言った時、ヤスノリの方を見なかったのはせめてもの救いだった。
「そっちの方がいいじゃない!」
ワックの言葉に、そうだ、そうだ、とヤスノリは心の中で強く思った。
先生は、苦笑しながら続けた。
「確かに、皆さんの言うように、ゾッピ君の感想は、ただ言葉を思いつくままに並べただけのものなのかもしれません。ですが、それにしても、お味噌をお湯で溶く代わりに、ダシで溶くだけで本物の味噌汁になる、という事実の発見と、その時の新鮮な驚きを、『でたらめに並べた』はずのこの言葉が、如実に、つまり事実の通りに物語っていたのが面白かったんです。皆さんもそう思いませんか?」
クラスは静まったが、それでもまだ納得がいかない、という雰囲気だ。
まあ、確かにそれも言えなくもないが…。
ヤスノリが思っていると先生の声がした。
「ですので、これを一番にしました。ゾッピ君、よく五年生の時の授業のこと、覚えていてくれたわね。あの時は、『スパゲティ アッラ ペスカトーレ』だったけど…。皆さんも思い出してくれたかしら」
そう言えば、そんなこともあったな、という雰囲気が教室に漂った。
先生の言葉に、ゾッピは、へっへー、と得意満面になる。
クラスにまたブーイングが起きる前に先生の声がした。
「でもね、ゾッピ君。一つだけ惜しかったことがあるの」
ゾッピは神妙な顔つきになった。
米田先生は、黒板拭きを取った。
「それはね、ここ。『このスープ』の『この』は要りません」
先生はそう言うと、『この』という文字を消した。
ゾッピの、ちぇっ、という声がした。
黒板を見ると、最初にゾッピが書いた感想は、
本日のメニュー
「 スープ アッラ オイシーネ」
という文言になっていた。
ゾッピ以外は、ただ茫然としているだけのクラスに向かって米田先生は言った。
「まあ、こういうのを『当意即妙』、つまりその場の機転を利かせる、と申せましょうか、あるいは、『言いえて妙』と申せましょうか…」
ヤスノリは、それ以上聞いていなかった。




