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第97話 翼の折れたサーカス4

 自宅に戻ると、予想通りシタームが待っていた。

 玄関前で思い詰めたような表情を浮かべている。


「マルディンさん!」


 俺の姿を見るなり、無理やり笑みを浮かべたが、その目は笑っていない。

 少し右足を引きずりながら、まっすぐ俺に向かって駆け寄るシターム。

 このまま俺を殺すつもりなのだろう。


「シターム……」


 声を漏らすレイリア。

 目を見開き、信じられないといった表情を浮かべている。

 だが、すぐに気持ちを切り替えるかのように大きく息を吸い、いつもの笑顔を見せた。


「シターム。久しぶりね」

「レ、レイリアさん!」


 足を止めるシターム。

 レイリアを目の前にして、明らかに動揺している。

 きっと、俺のことしか目に入っていなかったのだろう。


「元気だった?」

「いや、その……」

「あなた、その顔……。怪我してるじゃない!」


 シタームに近寄ろうとするレイリアを、俺は右手で制した。


「レイリア、待て。下がるんだ」


 レイリアを俺の背後へ下がらせ、視線をシタームに向ける。

 シタームはいつでも懐に隠した剣を取り出せるように、不自然に腕を構えていた。


「シターム。剣を出せ」

「な、何を?」

暗殺短剣(カーティル)を出せと言ってるんだ」

「ク、クソ!」


 シタームが懐から暗殺短剣(カーティル)を取り出した。


「お前を殺す!」


 両手で握った暗殺短剣(カーティル)を身体の正面に構え、俺に迫ってくる。


「死ねええええ!」


 俺は瞬時に糸巻き(ラフィール)を発射し、シタームの両足を絡め取った。


「うわっ!」


 突然足を取られたシタームは、頭から地面に向かって倒れ込んだ。

 とっさに暗殺短剣(カーティル)を空中に放り投げる。

 そして、両手を地面につけ、前転し立ち上がった。

 さすがの身のこなしだ。

 だが、俺が(フィル)を引くと、シタームは背中を地面に打ちつけた。


「ぐはっ!」


 勝負にもならない。

 当然だ。

 シタームは人を殺したどころか、恐らく剣で人を切ったこともないだろう。


 宙を舞う暗殺短剣(カーティル)が弧を描きながら回転し、俺の手前で地面に突き刺さる。

 俺は暗殺短剣(カーティル)を拾い上げた。


「シターム!」


 レイリアが走り寄り、倒れているシタームの背中に腕を回す。


「大丈夫? ほら、顔を見せなさい」

「やめろ! 俺はこいつを殺すんだ!」

「なに言ってるのよ。あなたにできるわけないでしょう」

「こいつを殺さないと!」

「静かにしなさい。治療できないわ」

「こいつを殺す!」


 レイリアが、シタームの顔を両手で抑える。


「言うことを聞きなさい!」

「うっ。は、はい……」


 怒鳴るレイリアの迫力に、正直俺も驚いた。


 レイリアが、シタームの顔についた泥をハンカチで優しく拭う。

 そしてバッグから治療用の水を取り出し、顔の汚れを洗い落とした。


 俺は治療を受けているシタームの正面に立つ。


「シターム。治療が終わったら全てを話せ」

「俺はお前を殺すんだ! 殺さなきゃ俺は!」

「お前……、本当に人を殺せるのか? 人を殺すとはどういうことか分かってるのか?」


 俺は長剣(ロングソード)を抜いた。


「あ、ああ……」

「殺すということは、こういうことだ」

「や、やめ……」


 殺気を出し、本気でシタームを切るつもりで剣を振り上げた。


「もういいでしょ」


 レイリアが俺の顔を見上げていた。


「ふう」


 俺は大きく息を吐きながら、シタームの足に絡まった(フィル)を巻き取るため右腕を捻った。

 そして、その場に座り込む。


「怖かったわよ?」

「え? そうか? さっきのレイリアの方が遥かに」

「何? 何が言いたいの?」

「あ、いや……。何でもないよ。あっはっは」


 俺は笑ってごまかすしかなかった。


「全くもう……」


 レイリアが慣れた手つきで、シタームの顔に包帯を巻く。


「これで火傷は残らないわ。でも、あなた日常的に殴られてたんじゃない? そんな痕よ?」


 先ほどまでは興奮状態だったが、今はだいぶ落ち着いている。


「レイリアさん……。ごめんなさい」

「何を謝ってるの? 私に謝ることなんてしてないわよ」

「い、いや」

「それよりも、あなたの話を聞かせなさいよ。久しぶりに会ったのよ?」


 美しくも優しい笑顔を見せるレイリア。

 こんな笑顔を見せられたら、シタームはもう何もできない。


 ここは余計な口出しをしない方が賢明だ。

 初対面の俺なんかより、レイリアに全てを任せる。

 付き合いの長い二人なのだから。


 芝生の上に並んで座る二人。

 俺は少しだけ離れて座っていた。


「皇都に行って入団試験を受けたんでしょ?」

「うん。受けたよ。……受かった」

「凄いじゃない!」


 シタームの背中を軽く叩くレイリア。


「それから訓練は順調で、一年後には本公演に出演できたんだ」

「やっぱりね。あなたならできると思ったのよ」

「だけど、練習中に器具の故障で怪我をしてしまったんだ……。交差する翼(シルシェット)は故障を認めてくれなくて、僅かな治療だけで出演を続けさせられて、もっと大きな怪我を……」

「そうなのね」

「それでも必死に頑張ったけど、突然交差する翼(シルシェット)を首になった。さらに、交差する翼(シルシェット)に所属中から借金していて……」

「借金? どうして? 交差する翼(シルシェット)は人気のサーカス団でしょ?」

「若手はチケットを買わされる。それを売って、自分の給料にするんだ。だけど、知り合いがいない駆け出しにはキツくて、交差する翼(シルシェット)から金を借りることが多いんだ……」


 唇を噛むシターム。

 華やかなサーカス団の裏に、これほどの壮絶な苦労があるとは思わなかった。


「首になった途端、突然ガラの悪い連中が借用書を持って、返済しろと迫ってきた……。必死に仕事して借金は返したはずなんだ。なのに、返しても返しても取り立てが来て、俺の生活はめちゃくちゃにされた。さらにティルコア出身がバレたのか、溺れる月(モヴァス)って奴らが借用書を持ってきて、親を殺すって脅されて……。イレヴスまで連れていかれ、組織に入れられて……雑用ばかり。俺……、俺……。どうしていいか分かんなくて……。そしてマルディンさんを殺せって言われて。俺……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 レイリアが膝で立ち、そっとシタームの頭を胸に抱きかかえた。


「頑張ったわね。本当によく頑張ったわ。……もう大丈夫よ」


 レイリアの背中から、真紅の夕日が差し込む。

 逆光に沈む表情の中で、頬をつたう一筋の光だけが見えた。


 俺はシタームの肩に手を置く。


「シターム。お前のやることは一つ。両親に本当のことを話せ。全てはそれからだ」

「……はい」


 俺はレイリアに視線を向けた。


「シタームを連れて家に行く。一緒に行ってもらえるか?」

「もちろんよ」


 レイリアが立ち上がり、シタームに手を差し伸べた。


「ほら、立てる?」

「うん」

「あなたの怪我って右足でしょ?」

「え? う、うん。よく分かったね」

「あのねえ……。こう見えて医師なのよ? その怪我、ちゃんと治療すれば治るわよ」

「ほ、本当?」

「ねえ、私が嘘言ったことある?」

「な、ないよ」

「でしょう。治療には少し時間がかかるけど、一緒に治そうね」

「うん」


 俺たちはシタームの歩調に合わせ、ゆっくりと町道を進んだ。


「あの……レイリアさん」

「なあに?」

「……ごめんなさい」

「謝るのは私じゃないでしょ。あっちよ」


 レイリアが指差した一軒の家。

 シタームの実家に到着した。

 ここまで来ればもう大丈夫だろう。


「さて。俺はちょっと出かけてくるよ」

「そう言うと思ったわ」

「ちぇっ、お見通しかよ。んじゃ、シタームを頼んだぜ」

「ええ、心配してないけど、気をつけてね」


 ◇◇◇


 マルディンを見送ったレイリア。

 シタームの背中に手を回す。


「ちゃんと話せる?」

「うん。……全部話すよ」


 レイリアが実家の扉をノックした。


「レイリアです。ドルムさん、いますか?」

「レイリア先生? どうされたんですか?」


 扉を開けたドルム。

 レイリアの背後にいるシタームに気づいた。


「お、お前! シタームか!」

「と、父さん……」


 レイリアがドルムに視線を向けた。


「ドルムさん。お話を聞いていただけませんか?」

「……中へ」


 ドルムに通され、実家へ入ったシタームとレイリア。

 リビングにある四人がけのテーブルにつく。

 小さい頃から使っていたテーブルには、シタームがつけた傷がたくさん残っていた。


 シタームの正面には父親のドルム、その隣に母親のメリーヌが座る。

 シタームの隣にレイリアが座った。


「実は……」


 両親に全てを話したシターム。

 黙ってシタームの話を聞く両親。


「……ごめん」


 最後に一言、声を絞り出したシターム。

 するとドルムが立ち上がり、シタームの前に立つ。


 殴られる覚悟をしたシタームは、拳を握り歯を食いしばった。


「よく……帰ってきてくれたな」

「え? と、父さん?」


 シタームの肩に、そっと手を置くドルム。

 メリーヌも立ち上がり、シタームの背中から手を回す。


「おかえり、シターム」

「か、母さん。ごめん。ごめんよ……」


 シタームは膝の上で両手を握り、うつむきながら大粒の涙を流していた。


「さて、珈琲を淹れてくるわね」


 レイリアはキッチンへ向かい、燃石に火をつけ湯を沸かす。

 食器棚からひと目で分かる父親のカップ、母親のカップ、そして綺麗に保管されていたシタームのカップを取り出した。


「ウフフ。良かったわね、シターム」


 珈琲を淹れるレイリアの瞳にも、涙が溢れていた。


 ◇◇◇

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