第94話 翼の折れたサーカス1
◇◇◇
ティルコアの隣街であるイレヴスを根城としている犯罪組織、溺れる月。
イレヴス最大の犯罪組織と言われており、窃盗から殺人まで何でも行う。
特に暴利の金貸し業で、のし上がってきた組織だ。
イレヴスの繁華街にある溺れる月本部。
その最上階の一室に、いかにもそれらしい風体の男たちが集まっていた。
「おい、ティルコアに住み着いた例の冒険者が、実は元騎士って話を聞いたか?」
「ああ、聞いたぜ。北国の騎士なんだろ?」
「一夜で千人殺ったって話だぞ」
「んなもん嘘に決まってんだろ」
「だったら俺は一万人殺しだ。ぎゃはは」
高級素材である白理石の大きなテーブルに、十人の男たちが座る。
溺れる月幹部たちによる定例会議だ。
「そんなことより、ティルコア進出に失敗して夜哭の岬が怒ってるらしい」
「マジかよ。だったらテメーらでやれって話だ」
以前マルディンが壊滅させた犯罪組織は、溺れる月の下部組織にあたる。
「おい! シターム!」
「は、はい!」
「珈琲まだかよ! このボケが!」
「はい! ただいま!」
怒鳴られたシタームという男が、沸かした湯をポットに注ぐ。
そして、一人一人の好みに合わせて珈琲を淹れていく。
上座の男が珈琲を口にした。
「熱っ! 冷ませって言ってんだろ!」
男は湯気が立つ熱い珈琲を、シタームの顔に向かってぶちまけた。
「熱っ! ……す、すみません」
「クソの役にもたたねーな。消えろ!」
「す、すみません」
怒鳴ったこの男は溺れる月のボスだ。
溺れる月の実質的な支配組織である夜哭の岬から、ティルコア進出を急かされている。
成功させなければ命がないことを知っており、苛立ちが止まらない。
「消えろって言ってんだろ!」
怒鳴られたシタームは、右足を少しだけ引きずり部屋を出た。
キッチンで顔を洗うシターム。
額から頬にかけて痛むため、鏡を見ると赤く腫れていた。
シタームは大きく息を吐き、濡らしたタオルを顔に当て冷やす。
「俺は……俺は……。なんで……」
シタームは唇を噛み締め、声を絞り出した。
「おい! シターム! こっち来い!」
出ていけと言われたのに、すぐに呼び出されたシターム。
理不尽すぎるが、いつものことだ。
シタームは部屋に戻り、椅子に深く腰掛けるボスの前で、床に正座した。
右膝が痛むが、正座しなければ殴られる。
ボスが一本の暗殺短剣を床に放り投げた。
「テメーがマルディンって奴を殺ってこい」
「お、俺がですか? で、でも」
「うるせえ! 口答えすんな!」
男が右足でシタームの頬を蹴り飛ばす。
唇が切れ、鼻血がたれるシターム。
「汚ねー血をつけんな! クソが!」
「すみません」
左手で鼻を押さえながら、右手のシャツの袖で、男の靴を磨くシターム。
「テメーはクソほど借金が残ってんだろうが!」
「そ、それはもう」
「また口答えか? ああ?」
「い、いえ」
「てめー、失敗したら分かってんだろうな。親がどうなっても知らんぞ?」
「わ、分かりました。やります」
暗殺短剣を拾い上げたシターム。
周りの男たちの嘲笑に気づかず、扉へ向かった。
◇◇◇
町役場の隣にある広大な中央公園。
その中心に建てられた巨大なテントでは、空中ブランコや大玉を使った曲芸、物が消える奇術、何種類もの動物たちによる芸が行われていた。
「すごーい! 見て! マルディン! 凄い凄い!」
「あ、ああ。見てるさ」
俺はフェルリートとサーカスを観に来ていた。
隣に座るフェルリートが、俺の腕を掴んで身体を揺らす。
そのおかげでまともに見ることができない。
「きゃー! 見た今の! 空飛んだよ! すごーい! すごーい!」
「そ、そうだな……」
頭が揺れて全然見えないが、フェルリートが喜んでいるならそれでいい。
「終わっちゃったあ」
会場に響き渡る拍手喝采。
しばらくの間、立ち上がって拍手していたフェルリートが、寂しそうに声を上げた。
「さあ、行くぞ」
「うん……」
テントを出た俺たちは、隣に建てられた大きなテントの酒場へ移動。
これもサーカス団が運営しているテントだ。
「はあ、凄かったなあ」
「そうだな」
「マルディンはサーカスを観たことあるの?」
「ああ、何度かあるよ」
「いいなあ」
寂れた港町だったティルコアは、これまで一度もサーカス団が来たことはなかったそうだ。
町長を中心とした町役場の熱心な誘致が成功し、二週間の開催が決まった。
昨日から始まったサーカスは、最終日までの全てのチケットが完売したという。
「また見たいなあ」
「だけど、もうチケットは手に入らないぞ」
「そうなんだよね。私は買えなかったもん。マルディンのおかげで観れたけどさ」
「まあ、俺も偶然手に入ったからな」
先日、町役場へ行くと、サーカス誘致成功を記念したイベントを開催していた。
イベントの目玉は、サーカスのチケットが当たるくじ引きだ。
顔馴染みの受付嬢に勧められるがままやってみたところ、チケット二枚が当たった。
隣で悲しそうな表情を浮かべるフェルリート。
幼い頃に両親を亡くしたフェルリートは、生活するだけで精一杯の人生だっただろう。
この娘には、もっとたくさんの経験をさせてやりたい。
「いつか皇都のサーカスに連れてってやるよ」
世界有数の巨大都市である皇都タルースカには、サーカス団や劇団があり娯楽も盛んだ。
「ほんと? 約束だよ!」
「ああ、いつかな」
「明日行こうよ! 明日!」
「無茶言うなって」
「ちぇっ」
口をとがらせるフェルリート。
ひとまず麦酒で乾杯した。
「マルディン、今日はありがとう」
「ん? 気にすんな。いつも世話になってるしな」
「えー? 私の方こそお世話になってるよ?」
「そんなことないさ」
「ふふ。嬉しい」
フェルリートは、その小さな顔よりも大きな木樽ジョッキを両手で抱え、笑顔で麦酒を飲んでいる。
「あれ?」
そう呟くと、突然フェルリートの手が止まった。




