第92話 南国への転勤2
「す、すみません」
ティアーヌの額から汗が吹き出している。
俺は別に怒ってないのだが、まだその言葉に反応してしまう。
直していかないといけない。
「いや、全然構いませんよ。驚かせてしまって申し訳ありません」
俺は頭を下げた。
「い、いえ。私が踏み込みすぎました」
「これから一緒に仕事をするんです。何でも聞いてください」
ティアーヌが麦酒を口にした。
「それでは……一つだけ。ジェネス王国はあの事件を情報統制していました。どうして町の人に話したのですか?」
「この町に永住すると決めたからです」
「それは……」
「いつかバレるんじゃないかと思いながら生活するのは苦しいですからね。嘘偽りのない本当の自分を知ってもらった方が、気持ち的に楽です。それに遠慮する必要がなくなります」
「犯罪組織の進出に対して、徹底的に戦うということですか?」
「ええ、そうです。ここは第二のセームになるかもしれない。しかし、この町で惨劇は見たくないので、嫌われてもこの町に住むつもりでした。ありがたいことに受け入れてもらえましたけどね」
「そうでしたか……」
ティアーヌが木樽のジョッキを両手で持ち上げた。
「ぷはっ!」
意を決したように、麦酒を一気に飲み干したティアーヌ。
「あの……。はしたないところをお見せして、失礼しました」
ティアーヌの口の周りには、麦酒の白い泡が僅かに残っている。
「マルディンさん。私には普段の口調で話していただけませんか?」
「なぜですか?」
「素のマルディンさんと接したいからです。ギルドハンターは危険な任務ですから、なるべく普段通りに接していただいた方が負担も少ないかと」
「大丈夫ですよ。仕事ですからね」
「それにウィル様から伺いましたが、その……、普段は口が悪いと……。それが面白いと言ってました」
「あ、あいつめ!」
「ふふ。ウィル様が珍しく、人のことを楽しそうに話しておられました」
ティアーヌが店員を呼び、黒糖酒を注文した。
「ウィル様とも、普段と同じように接していたのですよね?」
「そうですね。突然のことでしたし、ウィルはよく分からない存在でしたから」
「ウィル様って、騎士団の副団長でありながら、治安機関の顧問でもあるんです」
「え! あいつそんなに偉いんですか!」
「はい。ご自身では言いませんけど、ギルド内でも物凄く偉いお方ですよ。それに、ウィル様は歴代トップと言われるほどのギルドハンターでした。お若いのに数々の凄惨な現場を経験していらっしゃいます」
「し、信じられん……」
ウィルの剣技は確かに凄まじい。
二本の剣から繰り出される連撃は、まるで四、五人の騎士と同時に戦っているような手数だった。
ただ、年齢よりも若く見える外見と、やる気のなさそうな口調のせいで、それほど偉くは見えない。
もしかしたら、わざとなのだろうか?
「ですから、私にもいつものようにお願いします」
「分かり……分かった」
「ありがとうございます。それでは、契約のお話に移りますね」
ティアーヌがバッグから大きな革袋を取り出した。
「こちらがギルドハンターの契約金です。金貨三百枚あります」
「さ、三百枚だって!」
「はい」
「多すぎんだろ!」
「そんなことありませんよ? ギルドハンターは命がけの任務ばかりですからね」
「そ、そうかもしれないが……」
「受け取ってください。私が怒られてしまうので。ふふ」
ティアーヌにそう言われたら受け取るしかない。
俺は書類に受け取りのサインをした。
「俺はこれからどうしたらいい?」
「これまで通りです。ギルドの通常クエストを受けてください。ギルドハンターの特別クエストが入った時は、私からご連絡を差し上げます」
「分かった」
「あと、マルディンさんは昇格試験も受ける予定だと伺ってます」
「そうだな。落ち着いたら受けるよ」
「お好きなランクを受験していただいて構いません。マルディンさんなら、Aランクでも受かると思います」
皆が口を揃えてAランクというが、あの試験は地獄のようにキツい。
前回の結果も半分は運だと思っている。
「ま、まあそれは共通試験の結果次第だな」
「確かにそれはありますね。受験者のレベルが高いと、果てしなく続く試験ですから。地獄の試験と呼ばれる所以です」
試験を思い出した。
あの試験をもう一度受けるのは気が引けるが、やるしかない。
俺は気合を入れるように麦酒を飲み干す。
ちょうど同じタイミングで、個室の扉をノックする乾いた音が響き、店員が黒糖酒と魚料理を運んできた。
「わっ! フリッターだ! やった!」
笑顔を見せるティアーヌ。
胸の前で小さく手を叩いて喜んでいる。
だが、すぐに俺の顔を見て咳払いした。
「し、失礼しました」
「ん? 何がだ?」
「ウィル様にフリッターは絶対食べろと言われていたので……。つい嬉しくて……」
真っ白な頬が、雨上がりの夕焼けのように赤く染まっていた。
「別にいいじゃないか。それに、俺に対しても丁寧な言葉なんていらないぞ?」
「そ、それはダメです」
「まあ好きにすればいいさ」
ティアーヌが、目を輝かせながらフリッターを一口かじった。
「お、美味しい! 何これ!」
「美味いだろう? だけどな。ここだけの話……」
俺は周囲を見渡し、身をかがめながら声を絞った。
個室だから意味のない動きだが、わざとやっている。
「このフリッターよりも美味い店があるんだよ」
「え? 本当ですか?」
ティアーヌも少し前かがみになって、小さな声で話す。
「ああ、俺がこの町に住むって決めた理由の一つだ」
「それほどの!」
「声が大きい!」
「ん!」
両手で口を塞ぐティアーヌ。
「それほどのフリッターなら、食べてみたいです」
押し殺した声で話すティアーヌ。
「よし。じゃあ我々の初任務は、フリッター入手作戦だ」
「はい」
「だが非常に難しい任務だ。なんせ行列ができるからな」
「問題ありません! 徹夜で並びます!」
「フリッターのために徹夜だって? お前……あっはっは」
俺は思わず吹き出してしまった。
「任せてください! 徹夜は得意ですから!」
ここまで緊張が見てとれたティアーヌの表情が、この諜報員の真似ごとで、だいぶ柔らかくなったようだ。
お互い声を上げて笑い合った。
「ティアーヌは酒を飲むのか?」
「はい。嗜む程度ですが」
「そんなこと言って、ボトル十本とか飲むんじゃないのか?」
「そ、そんなに飲めるわけないじゃないですか!」
俺はラーニャの悪夢が蘇った。
「すまんすまん。普通はそうだよな」
「麦酒二杯くらいで酔ってしまいます。でも、ウィル様から黒糖酒が美味しいと聞いていたので、飲んでみたかったんです」
「そうか。じゃあ程々に飲むか。今日は親睦会だ。飲んで食おうぜ」
「はい!」
お互いのグラスに黒糖酒を注ぎ、俺たちは乾杯した。
「ティルコアへようこそ」
「はい! お世話になります!」
「つっても、俺もまだ半年だけどな。あっはっは」
「頼もしい先輩です! ふふ」
その後も俺たちは、美味い酒と魚料理を楽しんだ。