第87話 田舎の訪問者4
俺は黒糖酒を一気に飲み干す。
すると、ムルグスも黒糖酒を一気に飲み干し、音を立ててグラスをテーブルに置いた。
「マルディン。実はな……。私はあの日、セーム港にいたんだよ」
「なんだと?」
「当時の私は北方圏を担当していた。あの事件をこの目で見ている」
俺のグラスに黒糖酒を注ぐムルグス。
続けて自分のグラスにも注いだ。
「そうか。お前はあの場にいたのか」
糸巻きを初見で対応した理由が分かった。
当時の糸巻きとは違うものだが、俺が糸を使うことは予想していたのだろう。
「あの時の貴様は、……死神そのものだったよ」
数年前、ジェネス王国の北海に面する港町セームに、北方蛮族船団十隻が急襲。
様々な悪条件が重なったこともあり、俺が一人で対応。
そして俺は、大切なものを守るために、北方蛮族千人を皆殺しにした。
「そうだな……。俺は……。一人残らず……首を落としたよ」
そう、俺の手は血塗られている。
いくら町を守るためとは言え、一夜で千人を殺した。
個室に静寂が流れる。
その空気を破るかのように、店員が注文したフリッターを運んできた。
あの美味い店ほどではないが、この店のフリッターも美味い。
「お! フリッターだ! これを食べにわざわざ来たんだよ」
ウィルが湯気立つフリッターを熱そうに頬張りながら、俺に視線を向けた。
「セームの千人殺しは、ジェネス王国でも情報統制されてるんだろ? この国でバレる可能性は低いと思う。だけど、万が一バレたらどうすんだ? それこそ住民はアンタを恐れるんじゃないか?」
「いや、もういいんだ。バレようが恐れられようが関係ない。俺はティルコアに住み続ける。この町をセームの二の舞いにはしない」
「自分のことより、町を守るって?」
「そんな立派なもんじゃないがな。だが……、セームのような惨劇は、もう二度とごめんだ」
「ふーん。でもアンタ、ギルドハンターやんないとギルドを追放されるんだぜ?」
「その時は別の仕事を探すさ。大切なものを失う痛みに比べたら、新しい仕事を覚えるなんて楽なもんだ」
俺の話を聞きながら、フリッターを全て平らげたウィル。
店員を呼び、フリッターをもう三皿注文した。
「……まあオルフェリアさんも、マルディンの状況を考えた上での任命だったしな」
腕を組み、何やら呟いているウィル。
「オルフェリアさんには説明すれば大丈夫っしょ」
ウィルが俺のグラスに黒糖酒を注いだ。
「マルディン。アンタはもうBランクでもAランクでも好きに昇格していいよ」
「どういうことだ?」
「この間のクエストの報告書を読んだけど、確かにこの町は狙われている。だからアンタはこれまで通り、この町で冒険者を続ける。で、ギルド総本部から依頼があった時だけ、ギルドハンターとして働いてもらう。これならいいだろ?」
「勝手に決めていいのかよ。お前にそんな権限あるのか?」
「ギルマスには説明する。大丈夫さ。オイラはこう見えて結構偉いんだよ。それに、ギルドハンターにも働き方改革が必要だ。ギルドハンターはあまりにも暗く、日の光を浴びないからな。オイラは痛いほど知ってるよ」
まるで経験者のような言い方だ。
いや、きっとウィルは経験者なのだろう。
「ってことで、ギルドハンターを頼むぜ」
俺だって、できれば冒険者はやめたくない。
ギルド側が歩み寄ってくれたのであれば、俺も妥協すべきだろう。
「お前の言う条件なら……いいだろう」
「大丈夫。約束するよ」
俺は黒糖酒を飲み干し、グラスを見つめる。
「ふう……」
ここ最近の心の奥に引っかかっていた悩みが、空になったグラスのように消え失せていた。
まるで火を運ぶ台風通過後の晴れ渡った青空だ。
心が軽い。
「んじゃ、オイラは一週間ティルコアに滞在する。で、アンタにギルドハンターのルールを教えるよ」
「仕方ねーな」
「あのさー。オイラはギルドハンターだったから大先輩なんだぜ」
「じゃ、先輩。今日はご馳走になるよ」
「はあ! ふざけんな! アンタの方が歳上だろ!」
「いやいや、大先輩の顔を立ててだな」
「ちっ、まあいいけどよ。予算出てるし。でもムルグスは自分で払えよ」
ウィルが視線を向けると、ムルグスは店員を呼び、黒糖酒三本と魚料理を追加で注文していた。
「いや、ここは私が受け持とう。情報を聞かせてもらった代金だ」
「マジかよ。羽振りがいいねー。んじゃ、お言葉に甘えてごちそうになるぜ」
ウィルが満面の笑みで、残った黒糖酒をムルグスのグラスに注いだ。
俺もムルグスの顔を見つめる。
「いいのか?」
「ああ、構わない」
ムルグスが黒糖酒に口をつける。
その表情は穏やかだ。
「私はこの町に来て、町の人にマルディンのことを聞いて回った。皆言うことは一緒だったよ」
「な、なんだよ。悪口でも言ってたんじゃねーのか?」
「ははは。そうだな、お前は口が悪いと言っていたよ」
「ちっ! マジの悪口じゃねーか」
「ははは。そうでもない……。私は人の闇に触れ、暴くのが仕事だ。だけど、住民がお前のことを話す姿を見てな。私は……感動したんだよ」
「な、なんだよ急に」
「私がもし祖国を追放された状況でこの町に住んだとして、お前と同じような行動ができるのか。たった半年で、あれほどの信頼を得られるのだろうか、とな」
「そんな立派なもんじゃねーって。それによ、この町は老人が多いから、助けなきゃ死んじまうだろ」
「照れるなよ。ははは」
「照れてねーよ! ちっ」
俺はグラスを掲げ、ムルグスと乾杯した。
「マルディン。私は一週間ほど視察という名目で、この町に滞在する。まあ実際本物の視察だがな。私は中央局の役職でもある。この町の発展を確認して、皇軍駐屯を中央局に働きかける」
「ああ、頼むよ」
店員が黒糖酒のボトル三本と、いくつかの魚料理を持ってきた。
「マルディンさん。これ料理長からのサービスです」
大きな丸皿に、薄く切られた一角鮪の刺し身が、まるで絵画のように美しく並べられている。
「マジかよ! いいのか?」
「もちろんです。いつもご利用いただいてるので。ではごゆっくり」
「ありがとう。料理長によろしくな」
店員は空気を読んで、すぐに下がった。
皿を見てウィルが喜んでいる。
「んだよ、マルディン。国外追放されても、この田舎町で楽しんでんじゃねーか。羨ましいぜ」
「そんなことねーって。ただ、この町は最高だけどな」
「いいなあ。オイラものんびりしたいよ。上の理不尽な命令、下からの文句に大変だもん」
「騎士団時代の俺もそうだったよ。中間管理職の定めだ。頑張れ」
俺はウィルの肩を叩いた。
ウィルは少し目を細め、今度は羨ましそうな表情でムルグスに視線を向けた。
「アンタは組織のトップだ。自由だろう? いいよなあ」
「ん? まあ私は組織のトップだが、もちろん上はいる。それに……、我が陛下は本当に……。はああ……。本当に厄介でな」
大きく溜め息をつくムルグス。
エマレパ皇帝陛下といえば世界三大剣士の一人だ。
「そうなのか? 祖国のバカ王と違って、エマレパ皇帝は立派な武人じゃないのか?」
「確かに尊敬できるお方だ。だが、困ったお方でもあってな。お前が国外追放になったと聞いた時、勝負したいと言い出して特殊諜報室に消息を探せと命令が下った。さすがに全力で止めたがな」
「マ、マジかよ」
「陛下は一人で城を抜け出すクセがある。皇太子時代は、他国の王に剣を習いに行ったほどだ。だからお前の消息は隠すつもりだ」
「た、頼むぜ。エマレパ皇帝が来た日にゃ、俺もどうしていいか分からんぞ」
俺たちの会話を聞きながら、一角鮪の刺し身を頬張るウィル。
「なんだよ、どこも一緒か。理不尽な上に苦労してるんだな。うちは国王と王妃が揃って人外だし、ギルマスも大概だよ」
ラルシュ国王と王妃の噂は、俺も聞いたことがある。
「そっちの国王と王妃は世界三大剣士の二人か。噂はたくさん聞くよ。マジの化け物ってな。しかも王妃は世界三大美女だろ」
「そうだ。そして王妃は元冒険者で、国王は現役の冒険者だ。この二人はもう何でもありだよ」
現在の世界三大剣士と呼ばれる三人は、エマレパ皇国皇帝、ラルシュ王国国王と王妃だ。
そして、世界三大美女はイーセ王国女王、エマレパ皇国皇后、ラルシュ王国王妃と言われている。
君主の話は、民衆にとって最大の楽しみでもあった。
噂が噂を呼び、伝説となっていくほどだ。
「よし、今日は君主の悪口大会だ!」
ウィルがグラスを掲げた。
「待て待て。お前ら二人は君主を尊敬した上での愚痴だろ。だか、俺はマジの悪口しか出んぞ」
「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」
ムルグスが黒糖酒を一気に飲み干し、身を乗り出した。
特殊諜報室として、情報を仕入れたいのだろう。
「おいおい、特殊諜報室なのに飲みすぎてねーか?」
「今日はもういい。ここでの情報収集が最優先だ」
「じゃあ、うちの陛下の話を聞いてくれよ!」
その後も君主の話で盛り上がった俺たちは、いつの間にか意気投合していた。
「マジかよ! あっはっは」
「そうだろう! あの時は本当に信じられなかったよ」
「すっげーバカじゃん。ハハハ」
深夜まで酒を飲み、語り、笑い合った。




