第74話 町の発展の光と影1
マルソル内海に面した港町ティルコア。
熱せられた南風を受けていたこの町も、夏の終わりを告げるかのように風向きが変わってきた。
秋を迎えるにつれ、徐々に西風になっていく。
「くうう、今日も働いたぜ」
ギルドからの帰り道、俺は市場へ向かう。
ティルコアの市場は二か所あり、町の中心地と港にある。
町の市場は野菜の取り扱いが多く、港は当然ながら魚中心だ。
漁師が多い町だが、ティルコアは農業も行われている。
また僅かながら、熱帯気候特有の果物も栽培されていた。
今日は町の市場で、野菜や果物を買うつもりだ。
最近は裏道も覚えたため、町の市場から外れた裏路地で、果物を売っているヒクル爺さんと仲良くなった。
ヒクル爺さんの蜜黄玉を買ってから、町の市場で野菜を買う。
「ん? なんだ?」
裏路地を進むと、木箱を蹴り飛ばす音が聞こえた。
「や、やめてくれ」
「どこで商売してんだよ!」
「こ、ここは昔から」
「うるせー! 殺すぞ!」
五十メデルトほど先で、老人と若い男が言い争っていた。
俺はすぐに駆けつける。
「何やってる!」
石畳の道に散乱する蜜黄玉。
木箱は壊れ、潰れている蜜黄玉から甘い香りが漂う。
そして、地面に倒れるヒクル爺さん。
「ちっ! ジジイ! 次は容赦しねーからな!」
男はヒクル爺さんに向かって叫ぶと、走って逃げてしまった。
俺は地面に倒れるヒクル爺さんに駆け寄り、片膝をつく。
「ヒクル爺さん! 大丈夫か!」
「ああ、大丈夫じゃ」
「殴られたのか!」
「大丈夫じゃ」
ヒクル爺さんの唇から血が流れている。
「大丈夫って、血が出てるじゃないか」
「こんなもの、なんでもない」
ヒクル爺さんは立ち上がり、地面に落ちている蜜黄玉を拾い始めた。
俺も手伝う。
「最近たまにあるんじゃ。儂は昔からこの場所で商売していたんじゃが、急に場所代を払えと迫ってくる」
「場所代?」
「ああ。ここは誰の土地でもない。自由に商売できる場所じゃ」
「そりゃそうだ」
「漁で栄えて人が増えたからのう。ああいった輩まで入ってきてしまったんじゃ」
「そうか。町の発展の弊害か」
拾った蜜黄玉を壊れてない木箱へ移した。
「爺さん。今日は蜜黄玉を買いに来たんだよ」
「落ちて傷ついた。もう商売にならんからのう。もしこれで良かったら持っていくといい」
「なに言ってんだよ。どれも美味そうじゃねーか。銀貨一枚払うから、十個持ってくぞ」
蜜黄玉を拾い上げ、バッグへ入れていく。
「ぎ、銀貨! そんなにもらえん! 十個でも半銀貨一枚じゃ!」
「いいって。今日の蜜黄玉代にしてくれ」
「ダ、ダメじゃ!」
ヒクル爺さんの言葉を無視して、拾い上げた蜜黄玉の皮を剥き、一粒口に入れた。
「うっま! なにこれ」
「あ、ああ。今年は海からの風が良くてな。例年にない甘さなんじゃ」
「これヤバいな。酸味と甘味が口に広がる。美味すぎんだろ」
「そうじゃな。良い出来じゃよ」
「あと五個持ってく。もうこれ夕飯にするわ」
俺はさらにもう一枚銀貨を取り出した。
「そんなにもらえん!」
「いいっていいって。こんなに美味いんだ。美味いものには金を払う。当たり前だろ?」
「じゃ、じゃが」
「いいんだ。爺さん、本当に美味いんだぞ」
「あ、ああ。ありがとな。すまんのう、すまんのう」
「いいって。また食わせてくれよ」
俺はヒクル爺さんの肩に手を置いた。
お世辞抜きで本当に美味い。
「マルディン。儂の蜜黄玉は、皇都へ届く頃には値段が数倍になってるんじゃ。採れたてで美味い蜜黄玉を安く食べられるのは、この町に住む者の特権じゃぞ」
ヒクル爺さんに笑顔が戻った。
「そうだな。この蜜黄玉はマジで美味い。俺も引っ越してきて良かったよ。あっはっは」
「そうか。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃねーって」
片づけが終わると、ヒクル爺さんが空の木箱に腰掛けた。
「ふぉふぉ。マルディンが来てから、町の老人たちが明るくなったような気がするんじゃ」
「え? 何でだよ。そんなことねーだろ」
「率先して老人たちに声をかけてくれるし、色々と手伝ってくれる。それに……」
「それに? 何だ?」
「スミリの婆さんに告白したしの。ふぉふぉ」
「ちょっ! 待て待て! それは違うっつーの!」
「ふぉふぉ。ああ見えて、スミリの婆さんは、そりゃもう綺麗だったんじゃぞ。そうだな。今でいうアラジのとこのレイリアのようにな」
「レイリア? あの婆さんが? 本当かよ」
「そうじゃよ。貴族に嫁ぐという話もあったが、この町で幼馴染のジカムと結婚したんじゃ。あの時は何人の男が泣いたかのう。ふぉふぉ」
「へえ、そんな過去があったのか。通りでな。二人は未だに純愛なんだよなあ」
「そうじゃな。町一番の夫婦だったよ」
老人たちの話を聞くのは楽しい。
この町の歴史そのものだ。
「って、俺はスミリ婆さんに告白なんてしてねーよ!」
「ふぉふぉ! 恋愛に年齢は関係ないのじゃ。頑張れ頑張れ」
「やめろ! あったまきた! あと三つ盗んでくわ」
俺は木箱から、さらに三つの蜜黄玉を掴んだ。
「三つと言わず、好きなだけ持っていけ。ふぉふぉ」
「ったくよ。ほんとこの町は、情報が一瞬で伝わっちまうぜ」
さらに五つの蜜黄玉をバッグにしまう。
「じゃあ、行くよ。爺さん、もしまた何かあったらすぐ声かけろよ。いつでもかっ飛んで来るからな」
「ふぉふぉ。ありがとな」
ヒクル爺さんが木箱から立ち上がった。
「……儂らは、この町が栄えていくのが嬉しいんじゃよ。儂らの子供時代は本当に貧しくてのう。僅かな漁と塩を作りながら、何とか田畑を開拓して生きてきた。町長や漁師ギルドのイスムを中心に、儂らはずっと頑張ってきた。竜種ルシウス討伐のおかげで漁ができるようになった時は、皆で歓喜したものじゃ」
俺のバッグに余裕があったため、ヒクル爺さんはさらに五つの蜜黄玉を詰め込んだ。
「だからのう。あんな輩が少し暴れたくらい、何とも思わんよ。それよりも、竜種ルシウスが暴れた時や、火を運ぶ台風の方が何千倍も辛かったわ。ふぉふぉ」
「この町の老人たちは強いな。だからといって野放しにするわけにはいかない。今日は逃がしちまったけど、明日町長に相談してみるよ」
「この町のことですまんのう」
「なに言ってんだよ。俺もこの町の住民だし、この町が好きなんだよ」
「ふぉふぉ。そうか。嬉しいのう」
「じゃあな、爺さん。気をつけて帰れよ」
ヒクル爺さんと別れ、そのまま海の近くにある自宅へ向かう。
俺はバッグから蜜黄玉を一つ取り出した。
太陽を凝縮したかのように輝く蜜黄玉。
「まさにヒクル爺さんの血の汗と涙の結晶なんだよな」
蜜黄玉の皮を剥く。
「マジで美味い」
自宅に到着するまで、三つの蜜黄玉を食べていた。