第72話 夏風邪にご注意を1
朝起きると身体の節々が痛む。
頭も痛い。
「なんだ……これ」
昨日は酒を飲んでないから、二日酔いではないはずだ。
「ごほっ、ごほっ」
咳まで出ている。
身体が熱い。
「まさか……風邪か? ごほっ」
昨日は爺さんの帽子を取りに行って川に入った。
そろそろ夏は終わるが、それでもまだ暑い。
濡れたくらいで風邪なんか引くわけないだろう。
「だけど……、それ以外に……、原因は。ごほっ、ごほっ」
体調不良なんて何年ぶりだ。
吹雪の雪中行軍でも平気だったのに。
ベッドから起き上がろうにも身体が動かない。
「く……。身体が……いてえ」
今日は何もできない。
このまま寝た方が良さそうだ。
「あ、天井が回って……」
◇◇◇
朝を過ぎた頃、一人の女がマルディンの自宅を訪れた。
「マルディンいる?」
扉を叩くが返事はない。
「おかしいわねえ。今日は朝からギルドに顔を出すはずなんだけどお?」
女が扉に手をかけると、鍵はかかってなかった。
「開いてる?」
部屋に入る女。
「マルディンいるう?」
リビングを見渡しても人はいない。
当たり前のように寝室へ入っていく女。
まるで自宅のように振る舞う図々しさだ。
「あら、まだ寝てるの? 朝は過ぎたわよ?」
「ラ、ラーニャか……」
「あれ? あなた顔が赤いわよ?」
「身体が……動か……なくて……」
「あらあら。季節の変わり目とはいえ、夏に風邪なんて引くのかしら。何したの?」
「川……」
「川で泳いだの? あなた泳げないんでしょ?」
「ちが……。川を……渡……」
「何? 川を渡ったの? どうして? 泳げないのに? バカなの?」
答えるのも辛いマルディンに向かって、容赦なく質問を繰り返すラーニャ。
意識が朦朧としているマルディンだが、怒りだけははっきりと分かった。
そのまま無視を決め込む。
「あなた昨日、大爪熊を仕留めたじゃない。その死骸を回収したのよ」
それでも関係なくマルディンに話しかけるラーニャ。
「だから、今日ギルドで素材報酬を受け取るって言ってたでしょ。待ってたのに来ないんだもの。ちょっと近くで用事があったから、ついでに寄ってみたのよう。うふふ」
マルディンは完全に無視している。
もちろん、頭痛と発熱でそれどころではない。
「ねえ、聞いてる?」
「ごほ、ごほ」
「もう、咳なんてしちゃって。せっかく来たんだから、楽しくお喋りしてよ。ねえ」
「か、かえ……れ」
「あらあら、酷い言われようね。報酬持ってきてあげたのよ?」
「ごほ、ごほ」
「全くもう。仕方ないわね。待ってなさい。とびっきりのお薬用意してあげるから」
「余計な……こと……すん……な。かえ……れ」
「手がかかる子ってやあねえ。待ってなさいよお。うふふ。うふふ」
テーブルに報酬の革袋を置き、笑って家を出たラーニャだった。
◇◇◇
「マルディン。いる? 入るわよ?」
また女の声が聞こえる。
あの最悪なラーニャがやっと帰ったというのに。
もういい。
一人にしてくれ。
「ちょっと! 大丈夫?」
「ごほ、ごほ」
「ラーニャの言った通りね。すぐに診るわ」
額を触られ、手首を持たれ、口を開けられた。
「熱が酷いわ。脈も速い。喉も酷く腫れてるわね。これじゃ辛いに決まってる」
「ごほ、ごほ」
「ラーニャが診療所に来たのよ。マルディンが大変だから診に行きなさいって」
「レ、レイ……リアか」
「そうよ。ちょっと待ってね。薬を煎じるから」
しばらくすると、寝たままの状態で口に容器を当てられた。
「薬よ。ゆっくり飲みなさい」
少しずつ液体が流れ込んでくる。
「喉が痛いと思うけど頑張って飲み込んで」
薬を飲むと、いくらか呼吸が楽になった。
「マルディン。私は明日の朝までここにいるから安心しなさい」
「だい……じょぶ……だ」
「何言ってるのよ。大丈夫じゃないでしょう? 何か欲しいものある?」
「だい……じょぶ」
そのまま眠りについた。
――
「マルディン」
「う……」
「起こしてごめんなさいね。お昼のお薬飲むわよ」
「レイ……リア……」
「なあに?」
「すま……ん。あり……がとう」
「何言ってるのよ。気にしないで甘えなさい。ほら、お薬よ」
さっきよりも、僅かに飲み込めるようにはなった。
「食事を作ったわ」
「食欲が……ない」
「そうよね。でも食べなきゃ。ほら、身体を起こすわよ」
レイリアに支えられ、身体を起こした。
食べさせてもらってるが、何を食ってるのか分からない。
「よく食べたわね。さすがだわ。じゃあまた寝なさい」
――
「マルディン。起きて。夕方のお薬を飲むわよ」
「う……。あ、ああ」
レイリアが背中を支えながら、身体を起こしてくれた。
まだ頭痛は酷いし身体は動かないが、今朝よりは楽になった。
「少し……楽になった」
「そう、良かったわ。私、このまま朝までいるから安心して」
「いや……大丈夫」
「大丈夫じゃないのよ? 放っておくと肺が炎症を起こすわ。夏風邪を舐めないで。下手したら命に関わるの」
「大丈夫だ」
「あのねえ。医師の私が言ってるのよ。仕事道具も持ってきてるし、ここで事務仕事するわね。あ、後でお風呂借りるわよ」
こんな状態の俺には何も言い返すことができない。
「すまん」
「いいのよ。あなたにはたくさんお世話になってるもの。夕飯食べたらまた寝なさいね」
その後、夕飯を取り、薬を飲むと眠りについた。
――
目が覚めると、天井に映る影が揺らめいている。
蝋燭の火だ。
「ん?」
「起こしちゃった?」
ベッドの隣のテーブルに、レイリアの姿があった。
書類仕事をしているようだ。
「まだいたのか?」
「朝までいるって言ったでしょ」
「そうはいっても、こんなところに朝までいて大丈夫か?」
「何の心配? 私の家のこと? 私の体調のこと?」
「両方だ」
「大丈夫よ。子供じゃないんだから。外泊したくらいで怒られるわけないでしょう。とはいえ、患者さんに付き添って朝まで一緒にいることはないけどね。うふふ」
窓はカーテンが閉められている。
外の様子は分からない。
「もう夜だろう?」
「月が頭上を越えたわね」
「深夜じゃないか。お前寝ないのか?」
「ええ、まだ仕事が残ってるのよ」
「仕事って。今日もずっと仕事してただろう?」
「大丈夫よ。いつもこんなものだもの」
「医師か。大変だな」
「うふふ。そうね。でも、町の人の健康のためだもの。頑張れるわ」
「そうか。レイリアは凄いな」
「何言ってるの。あなたの方が凄いわよ。この町へ越してきて、たった半年で何人の人を救ったと思ってるの? 皆感謝してるのよ」
「ん? 何もしてないぞ?」
「うふふ。無自覚って嫌ね。さ、ちょっと診察するわ」
脈や心音など、一通りの診察が終わった。
こうなった原因として、川に入った状況なども伝えている。
「直接的な原因は身体が冷えたことだけど、これまで溜まっていた精神的な疲労が一気に噴出したと思うのよ」
「まあここまで色々……あったからな」
「この町に来たことで安心できたってことよね。良い意味で緊張が解けたのよ」
「そうだな。俺はこの町が気に入ってるよ」
「うふふ。嬉しいわ。いつまでもいてね」
「そうだな」
「さ、薬を飲んで寝なさい」
レイリアが薬を煎じてくれた。




