第58話 交錯する想い5
祭りの翌日、朝からレイリアの診療所へ行く。
経過は良好とのことだった。
昨日の今日で少しだけ気まずい雰囲気だったが、そこはお互い大人だ。
分別はわきまえている。
今日も右腕は固定した。
ここで無理すると、怪我が癖になってしまうそうだ。
俺は特に腕を酷使するため、一度癖になったら戻らない。
しっかりと治療し、怪我の前よりもさらに良い状態に仕上げる。
「治ったらトレーニングを再開しなきゃな」
帰宅したが、特にやることもない。
身体を動かすこともできないし、一日家で大人しくする予定だ。
「……腹減ったな」
腹の音が鳴ったと同時に、自宅の扉をノックする音が聞こえた。
「腹の音? なわけねーだろ。誰だ?」
扉を開けると、一人の娘が立っていた。
「マールディン!」
「フェルリート? こんな朝からどうしたんだ?」
「パルマさんが今日は休みにしてくれたんだ。だからお祭り行こ?」
「祭りってお前……、まだ朝だぞ?」
「うん。だから朝ご飯作る」
強引に部屋へ入ってきたフェルリート。
「待て待て! お前最近忙しかったんだろう? 家でゆっくり休めよ!」
「うん。だからここで休むの」
「こ、ここで休むったって……。こんなところじゃ落ち着けねーだろ?」
いつもより強引なフェルリート。
どうしたのだろうか。
「でも朝ご飯まだでしょ?」
「そ、そうだが……」
「今から作るね。食材も持ってきたよ」
テーブルに食材を広げ始めた。
何を言っても聞かなそうな雰囲気を感じる。
「予定はないのか?」
「ここでご飯作る予定」
邪険にするわけにもいかない。
であれば、素直に感謝して受け入れよう。
「実はな……、ちょうど腹減ってたんだ。あっはっは」
「ほらー、私が来て良かったでしょ?」
「そうだな。助かるよ」
「じゃあ今から作るね。待ってて」
キッチンで調理を始めたフェルリート。
朝飯とは思えないほどの品数で、驚くほど豪華な内容だった。
「す、すげーな」
「張り切っちゃった。えへへ」
食後に珈琲を飲み、他愛のない話をしながら午前中はゆっくりと過ごす。
そして、昼飯も作ってくれたフェルリート。
本当に一日ここにいるつもりのようだ。
まあ祭りは夕方からだし、それまですることもない。
たまにはこんな日もいいだろう。
昼食後、茶を飲んでいると、フェルリートはテーブルに突っ伏して寝てしまった。
「本当は疲れてるだろうに」
俺は右手が使えない状態だが、フェルリートの体格なら問題ない。
左手一本で、優しく丁寧に身体を抱き上げた。
「軽すぎんだろ」
そのままベッドへ運び、そっと寝かせる。
「おやすみ。フェルリート」
俺はテーブルへ戻り、紙とペンを用意。
新調しようと思っている装備類について、希望や要望を書き出した。
さらに、糸巻きの気になっている点も挙げていく。
腕が完治したら、隣街イレヴスの開発機関へ行く予定だ。
身体だけではなく、装備類含めて全てを見直す。
俺も一応剣士。
装備を悩む時間すら楽しいものだ。
――
気づいたら日が傾いていた
そろそろ夕焼けが始まる。
「おっと、もうこんな時間か」
俺はベッドへ移動し、フェルリートに声をかけた。
「フェルリート。起きれるか?」
「……帰って……きて」
「寝言か。夢でも見てるのか」
「……お願い……」
完全に寝ているはずだが、瞳から涙がこぼれている。
「お、おい」
両親が亡くなった時の夢でも見ているのだろうか。
普段は明るく寂しさを見せないフェルリートだが、一人で辛い思いをしたことは幾度もあったはずだ。
「強い娘だ」
洗濯したての小さなタオルで、フェルリートの涙をそっと拭う。
そして、美しい金色の髪を一度だけ撫でた。
「フェルリート、おはよう」
「……ん。あ、あれ?」
「よく寝たなあ」
「え? あ! 私寝ちゃったの! ご、ごめんなさい!」
「いいんだよ。疲れてたんだろう? ぐっすり寝てたぞ」
「や、やだ! 寝顔見られちゃった!」
「寝言言ってたぞ。あっはっは」
「もう! 恥ずかしい! マルディンのバカ!」
両手で顔を隠すフェルリート。
「ほら、顔洗ってこい」
「う、うん」
フェルリートにタオルを手渡した。
――
支度をして祭り会場へ向かう。
屋台を見て大はしゃぎするフェルリート。
「マルディン見て! これ珊瑚で作ったんだって! うわー綺麗!」
「おお、いいじゃねーか。どれどれ、欲しいものを一つ買ってやろう」
「なんかその言い方、おじさんっぽいよ」
「おっさんだっての。あっはっは」
上目遣いで俺を見つめているフェルリート。
「本当にいいの?」
「もちろんだ。普段お世話になってるしな」
「じゃ、じゃあ、これが欲しい……」
フェルリートが指差した首飾り。
細工職人が加工した真っ白な珊瑚の中心に、小さな翠波石が埋め込まれている。
水を固めた石と言われるほど、透き通った青色で輝く翠波石。
「おお、これは綺麗だな」
「マルディン。つけて」
フェルリートの背中に立ち、首の後ろで首飾りの革紐を結んだ。
「ど、どうかな?」
「似合ってるじゃないか。うん。可愛いぞ」
「あ、ありがとう……」
俺はそのまま購入した。
価格は高くない。
もっと高価なものでもいいのだが、こういうところがフェルリートらしい。
「マルディン、ありがとう!」
「他にも欲しいものがあったら言えよ」
「ううん、これで十分だよ! 嬉しい! やったー!」
右手で首飾りに触れ、左手でスカートの裾を広げ、その場で回って踊るフェルリート。
まるで物語に出てくる妖精のようだ。
「転ぶなよー。って、フェルリートの身体能力なら大丈夫か」
素直に喜ぶフェルリートが微笑ましい。
この娘はまだ二十三歳だ。
これから仕事や恋愛など、様々な経験をするだろう。
「フェルリートなら何でも上手く行くさ。あっはっは」
――
月夜の帰り道。
祭り帰りで賑やかな道を二人で歩く。
「今日は楽しかったねー」
「そうだな。でも疲れてないか?」
「えー、なんで? もうずっと楽しかったよ。マルディンは疲れちゃった?」
「んなわけねーだろ。楽しかったさ」
「それにしても驚いちゃった。マルディンって左手でも凄いんだね」
「あんなの偶然だ。あっはっは」
大きなぬいぐるみを胸に抱えるフェルリート。
輪投げの景品でもらったものだ。
俺には何か分からなかったが、フェルリートは怒河豚だと言う。
魚のぬいぐるみなんて漁港らしくて笑ってしまった。
「これ大切にする」
「こんなの祭りの景品だぞ?」
「いいの! 今日の思い出だもん!」
「そっか。まあいつでも取ってやるさ。あっはっは」
「この首飾りもありがとう。ずっとつけるね」
フェルリートの自宅が見える場所まで来た。
「マルディン、もう大丈夫だよ」
「そうか。じゃあ気をつけて帰れよ」
「今日はありがとう」
「こちらこそだ。色々と助かったし楽しかったよ。明日は対決の屋台を手伝うんだろ? 頑張れよ」
「うん。また明日ね」
フェルリートが自宅へ向かう。
数歩進んだところで立ち止まり、振り返った。
「ねえ、マルディン」
「ん? 何だ?」
「あの……」
頬を赤らめ、少しうつむくフェルリート。
髪が風になびくと、ゆっくりと顔を上げた。
「きょ、今日の寝顔を見たことは忘れてよ!」
「あー。そうだな。寝顔、可愛かったぞ! あっはっは」
「マルディンのバカー!」
フェルリートは大声で叫びながら、走って自宅へ戻った。
「明日は頑張れよー! あっはっは」




