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【書籍化決定】追放騎士は冒険者に転職する 〜元騎士隊長のおっさん、実力隠して異国の田舎で自由気ままなスローライフを送りたい〜  作者: 犬斗
第三章 真夏の初体験

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第44話 独身おっさんの独り言

 月が西の水平線に沈む前に、俺はベッドから身体を起こした。

 日の出を迎えるまでは、まだかなりの時間がある。


「よし、やるか」


 俺は寝起きがいい。

 騎士団時代の習慣で、いつでもどんな状態でも目を覚ますことが可能だ。


「ここんとこクエストで忙しかったからな。身体がなまってなきゃいいが」


 顔を洗い歯を磨き、昨日の夕飯で食べたバゲットの残りを二枚頬張る。

 そして動きやすい服に着替え家を出た。

 外はまだ暗いが夜目はきく。


 今日はトレーニングだ。

 ジョギングしながら、まずは海岸へ向かう。


「マルディン、おはよう!」

「今日は早いねえ」

「お、久しぶりじゃねーか!」


 こんな時間なのに、何人もの町人とすれ違う。

 故郷で早朝にトレーニングしていた頃は、人と会うことなんてなかった。

 だがここは港町。

 漁師たちの朝は恐ろしく早い。

 それに農家の老人たちも、日中の暑さを避けるように早朝に作業する。

 それもあって、この町へ移住してから比較的早くに、町人たちと顔見知りになることができた。


 港を抜けると砂浜に到着。

 約五百メデルト先に、月光が照らす大きな岩が見える。


「ふうう、行くぜ!」


 岩に向かって全力疾走。

 故郷では雪の中を走り足腰を鍛えたが、ここには砂浜がある。

 砂地を走ることで、これまで以上に高い負荷をかけたトレーニングが可能となった。


「はあ、はあ」


 岩にタッチして、元の場所へ軽く走りながら戻る。

 そして間髪入れずに、また岩まで全速力でダッシュ。

 これを二十回繰り返す。


 騎士団時代、何人もの部下が一緒にトレーニングをしたいと申し出たが、五本も走れば隊員は倒れ、小隊長でも十本が限度だった。


「はあ、はあ。懐かしいぜ。はあ、はあ。あいつら元気かな」


 腰に手を当てながら、バッグから取り出した水筒を口に含む。

 そしてすぐにダッシュ再開。


「ぜえ、ぜえ。お、終わった」


 二十本のダッシュが終了。

 水分補給以外は止まらずに、二十キデルトを走りきった。

 砂浜に身体を投げ出し倒れ込みたい。

 だが、呼吸が苦しくなった時ほど下を向いてはいけない。

 胸を大きく開き、顔を上に向け、歩きながら大きく呼吸をする。


 ここまでが準備運動だ。

 これから本格的なトレーニングなのだが、部下たちはこの時点で泣いて謝っていた。


「結局、俺のトレーニングについてきた奴は一人もいなかったな」


 東の空が薄く赤みを帯び始めると、俺は沿岸部からカーエンの森へ入る。

 森の中を百メデルトほど進むと、少し開けた場所へ出た。

 俺が密かに開拓した自然のトレーニング場だ。


 まずは大木の枝に吊るしたロープの下へ行く。

 両足を揃えて、つま先までしっかり伸ばした状態で地面に座り、両腕でロープを掴む。

 その姿勢を保ったまま、腕力のみでロープを登るトレーニング。

 枝の高さは二十メデルト。

 落ちたら怪我では済まない。

 これを休憩なく二十回繰り返す。


 頂上まで到達したら、姿勢は崩さず腕力のみで地上へ下りる。

 勢いをつけたり、ロープを揺らしたり、滑って下りることは許されない。

 もしルールを破ったら、一回につき五本追加だ。

 一人のトレーニングだが、己に厳しく一切の妥協はしない。


 新しい糸巻き(ラフィール)は非常に便利だが、これまで以上に腕力が必要になる。

 火を運ぶ台風(アグニール)の時は、腕一本で大人二人を支えたほどだ。

 だが俺の腕力が足りずに、爺さんを危険にさらしてしまったのも事実。


「もっと鍛えねーとな」


 続いて地面に置いた大岩を担ぎ、二メデルトほどの高台に置く。

 そしてまた持ち上げ地面に戻す。

 岩の重さは百キルク以上ある。

 これも二十回繰り返す。


「くっ。やっぱ腰にくるな。いてて」


 次は剣の素振りだ。

 呼吸を整え、トレーニング用に特別重く作った剣を素早く振る。

 左右の片手でそれぞれ千回、両手で千回、合計三千回の素振り。

 俺は右手で糸巻き(ラフィール)の操作をしながら、左手で剣を振ることもあるため、剣に関しては両利きだ。


「き、きつー。しんどいぜ」


 これで早朝のトレーニングは終了。

 港へ行き、漁師向けの食堂へ入る。

 朝早くから営業していて、新鮮な魚が安く大量に食える店だ。

 丸々一匹使った魚のグリル、背開きした小魚のフライ、野菜盛り合わせ、パンとスープを注文。


「美味かったー。やっぱ、この町の魚は最高だな」


 森へ戻り、午前中のトレーニングを開始。

 さらに森の中で昼飯を食って、午後のトレーニング。

 これで今日の予定は全て終了した。


「ふうう、終わった……。さすがに……フルセットはきつかったぜ……」


 だが、日々のトレーニングは欠かせない。

 この努力があるからこそ、俺は戦場で生き抜いてきた。

 最後に頼れるのは己の肉体だ。


 今の俺はCランク冒険者で、クエストは比較的余裕がある。

 だが、決して手は抜かない。

 一瞬の油断や慢心が死に直結することを知っているからだ。


「ああ、麦酒飲みてー」


 この地を開拓する時に切り倒した大木の切り株に腰を下ろす。

 空を見上げると、夕日が反射した黄色い雲が麦酒のジョッキに見えた。

 だが、本気のトレーニングをした日は酒を控える。

 酒を飲むと、せっかくトレーニングした効果が落ちてしまう。


 雲を眺めてると、今度はフリッターの形に変化した。


「おお、フリッターか。いいね。買って帰ろう」


 市場へ行き、魚屋でフリッターを購入。

 銀班鯖(マーレル)大剃鯵(フーレル)岩頭鮪(ファグナロ)、そして海藻のフリッターを購入。

 揚げたてで湯気が立っている。


「今日は行列になってなかったな。幸運だぜ」


 この町は漁港ということもあり、たくさんの魚屋がある。

 その中で、ここは最も人気の魚屋だった。


 特に寄り道もせずに帰宅。

 買ったままのフリッターを紙袋ごとテーブルに並べ、そのままつまむ。

 おっさんの一人暮らしだ。

 華やかに盛りつける必要なんてない。


 フリッターの大きく膨らんだ柔らかい衣と、ジューシーな魚の切り身が口の中でとろける。


「くうう、マジで美味い。いくらでも食えるな。もっと買っておけば良かったぜ」


 飯のあとは風呂だ。

 自宅の貯水槽に汲んでいた井戸水を風呂桶へ入れ、湯を沸かすため燃石に火をつけた。


 燃える石の燃石。

 安価なため、様々な産業の燃料として使用されている。

 南国のこの町では燃石以外にも薪や木炭が豊富だが、冬の北国では生命線になるほどの重要な鉱石だった。

 とはいえ、燃石はどんな山でも採掘できる。

 鉱石の珍しさを示す数値はレア二と下から二番目だ。


 俺は風呂に入りながら、港の漁師に教わった漁の歌を口ずさむ。

 至福の時間だ。


「あ、しまった! 洗濯!」


 早朝からトレーニングに行ったことで、洗濯を忘れていた。


「ま、いっか。まだ着替えはある。明日やろう」


 この町に移住して半年経つが、まだ一人暮らしに慣れてない。

 故郷を追放されるまで、俺は領地を持っていたし大きな館に住んでいた。

 使用人もいたから、当然ながら炊事洗濯など家のことは全て任せっぱなしだ。


「自分でできなきゃダメだよな」


 少しずつでも覚えていくつもりだ。


「……結婚か」


 ふと頭をよぎった言葉。


「いやいや、ねーから」


 町の老人たちによく結婚しろと言われるが、相手もいないし、その気もない。

 そもそも三十三歳だ。

 俺のことを気に入るような女はいない。


 もちろん俺にだって恋愛経験はあるし、結婚を考えたこともある。


「あれから五年も経つのか……」


 俺は少しだけ昔を思い出した。

 手のひらで湯をすくう。

 だが、指の隙間から湯はこぼれていく。


「救えないもの……。俺の手は血まみれだ……」


 俺は頭ごと湯の中に潜った。

 泳げなくとも、足がつけば問題ない。


「あー、気持ち良かった」


 風呂から上がると、何も考えずに木製のジョッキに麦酒を注いでいた。


「しまった! 何で麦酒入れてんだよ! マジかよ。クセって恐ろしいぜ。仕方ない。まあ、一杯だけなら大丈夫……。大丈夫……」


 一気に麦酒を飲み干した。


「くはっ。あー、うめー。このために生きてると言っても過言ではないな。あっはっは」


 麦酒の樽に視線を向ける。


「も、もう一杯だけ……。いや……ここは我慢だ! 我慢しろ! マルディン!」


 俺は鉄の意志を見せ、ベッドに飛び込んだ。


「いやー、疲れたぜ。明日はクエストへ行くか。薬草の採取系が楽だけど、ツルハシも楽しいよな。鉱石の採掘系へ行ってみっか」


 明日のことを考えながら目を閉じる。


「ヤ、ヤバい。寝ち……まう……。鉄の意志を……見せるん……だ」


 襲いかかる睡魔に抗えず、そのまま就寝した。

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