第34話 台風が運んでくるもの6
爺さんはすぐに救護室へ運ばれた。
破壊された二階の修理は終わっており、ひとまず町役場に訪れた平穏。
俺は風呂へ入り、ずぶ濡れの身体を温めた。
「ぷはっ! 風呂上がりの麦酒は格別だぜ!」
早々に風呂から出て、食堂で麦酒を堪能。
「ふう。しかしマジですげー風だったな」
俺は右腕をさする。
筋肉を痛めたようだ。
暴風で空中にさらされた大人二人分の体重を支えたのだから当然だろう。
むしろ、これだけで済んだことは幸運だ。
「本当にこいつのおかげだ。ありがとうな」
テーブルに置いた糸巻きに視線を落とす。
俺と爺さんの命を助けてくれた糸巻きをそっと撫でた。
「ご一緒良いかしら?」
「ん? ああ、どうぞ」
白衣を着た女が俺の正面に座る。
年齢は俺と同世代か少し若いくらい。
切れ長の瞳、長いまつ毛、整った眉毛、筋の通った鼻、小さく薄い唇、雪のように白くきめ細かい肌。
長く伸びた黒髪を後頭部で一本に結っているが、前髪は乱れ、安堵の表情の中に疲労が見える。
「マルディン。ありがとう」
「いいってことよ」
アラジ爺さんの娘レイリアだ。
町でも指折りの美人として知られている。
「父を診察したわ。左腕の骨折だけで、他は擦り傷程度よ」
「後遺症は?」
「ないわね。歳が歳だけに少し時間がかかるけど、一ヶ月もすれば元通りよ」
「そうか。良かったな。治ったら釣りもできるんだろ?」
「ええ、大丈夫よ」
レイリアは医師だ。
この町で診療所を開いている。
「あなたの怪我は? 大丈夫なの?」
「ああ、俺は全く問題ない」
「右腕……。動きがぎこちないわよ?」
「ちっ、分かるか?」
「もちろんよ。恐らく筋肉を痛めたのでしょう。あまり動かさないで。薬草を貼って包帯で固定するわね」
「すまないな。ありがとう」
「何言ってるのよ。こちらこそよ」
レイリアが両手を膝に置き、姿勢を正し、深く頭を下げた。
「マルディン、本当に……本当にありがとうございました」
「な、なんだよ改まって」
「父は唯一の肉親なの。男手一つで私を育て、隣街の学校に通わせて……医師の道に進ませて……くれたのよ」
涙ぐむレイリア。
ハンカチで目頭を押さえる。
「良い親父さんだな」
「ええ。尊敬してるわ」
レイリアが俺の横に立ち、右腕に炎症を抑える薬草を貼る。
「凄い筋肉。太い腕ね」
「まあ一応冒険者だからな」
「この腕で父を助けてくれたのね」
優しく腕を取り、包帯を巻くレイリア。
「父はね。本当は漁師を続けたいって言っていたけど、危険だからやめてってお願いしたの」
「なるほどね。確かに漁師は危険だ」
「医師になって父の面倒を見ることができるようになったから、のんびりと自由に暮らして欲しいのよ」
実は爺さんは海に出たがっていた。
だが、娘が心配するからと我慢している。
とは言うものの、レイリアのことを語る爺さんの表情は、いつも心から嬉しそうだった。
爺さんにとって自慢の娘だろう。
「そういや、爺さんはレイリアが嫁に行けば肩の荷が下りるって言ってたな。あっはっは」
「も、もう。お父さんったら」
「あんたは美人だし医師だ。言い寄ってくる男どもが後を絶たないだろう?」
「そんなことないわよ。言い寄ってくる人なんていないわよ? それに仕事が忙しいもの」
「そうか。もったいないな」
「じゃあ、マルディンがもらってくれる?」
「よせよせ、俺みたいな万年Cランク冒険者より、医師や学者にしとけ。あっはっは」
「……そうね。ウフフ」
包帯を巻き終えると、レイリアが俺の腕をさすった。
「明日も薬草を変えるから診察室に来てね。しばらくは安静よ」
「分かった」
「本当はお酒もダメなのよ?」
「あー、この一杯で終わりにするよ」
「もう、仕方ないわね。あと、火を運ぶ台風は今日がピークよ。明日から徐々に弱まっていくわ」
「分かるのか?」
「そうね。小さい頃、父に叩き込まれたから」
「爺さんらしいな。あっはっは」
残った麦酒を飲み干し、部屋へ移動。
俺のために用意してくれたベッドで就寝。
深夜も外からは猛烈な風の音が聞こえていた。
――
爺さんを救助して二日が経過。
早朝に目が覚めると風の音は聞こえなくなっていた。
俺は裏口から外へ出る。
「うわ! すげーな!」
雲一つない晴れ渡った空が広がっている。
完全な無風で空は高い。
その色は、青空と夜空を混ぜたような独特な濃い蒼色だ。
「こんな色の空は初めて見たぞ!」
見上げていると遠近感が失われる。
手が届きそうで、手を伸ばすと空は高い。
俺はバランスを崩し、尻もちをついてしまった。
「いてっ!」
「ウフフ。何してるの?」
振り返るとレイリアの姿があった。
「ちっ、見られたか。おはよう、レイリア」
「おはよう、マルディン」
俺の隣に立つレイリア。
空を見上げている。
「火を運ぶ台風通過後の数日間だけ、この空の色になるのよ。夕焼けも凄いのよ?」
「そうか。じゃあ夕焼けも見なきゃな。楽しみだ」
地上に目を向けると、いくつもの折れた木々、巨大な岩、破壊された家屋、小型船や中型船が転がっている。
「船まで……。凄まじい風だったな」
「ここ十年で最も強い勢力だったもの。これからしばらくは復興作業でしょうね。怪我人もいるから、私も忙しくなるわ」
レイリアが俺の右腕を擦り、触診してくれている。
「もう少しね。今日も安静にして。明日までは重いものを持ってはダメよ」
「分かった」
「さあ、火を運ぶ台風が夏を運んできたわよ。頑張ってね。ウフフ」
レイリアが俺の背中を二回叩いた。
雪国出身の俺へ励ましの合図だろう。
「あっはっは。頑張るよ」
――
俺は冒険者ギルドへ戻った。
全員無事で、特に被害もなかったようだ。
すでにギルドを片づけている。
「マルディン! どうだった! 大丈夫だったか!」
パルマが出迎えてくれた。
「ああ、アラジ爺さんは救助した。骨折していたけど後遺症はないそうだ」
「診たのはレイリアか。彼女は名医だからな。自分の娘が医師なんて、爺さんは運が良い」
パルマが俺の腕に視線を向けた。
「お前、腕を怪我したのか?」
「いや、怪我ってほどでもないが、少し痛めちまってな」
「そうか。これから片づけだけど、お前は無理すんな」
「できることはやるさ」
「良いって。英雄は休んでいてくれ」
「おい! やめろ!」
「ハハ」
昼頃には片づけが終わり、全員自宅へ戻った。
俺も帰宅すると、自宅の周辺には倒木や枝が散乱している。
「久しぶりに帰ってきたが……。まずはこれらを片づけなきゃなあ」
左腕で枝を拾う。
「マルディン。大丈夫?」
「ん? フェルリートか。どうした? お前、家に帰らないのか?」
「だってマルディン、腕を怪我してるでしょ? 片づけ手伝ってご飯作るね」
「本当か? すまないな。助かるよ」
「いいよ。いつもお世話になってるもん」
一通りの片づけが終わり、俺は自宅前の芝生に座る。
隣にはフェルリートが座っていた。
「そろそろだよ」
夕日を見るため外にいた。
日が傾き、徐々に空が赤みを帯びていく。
「うおー! 何だこれは! すげーぞ!」
「マルディンは初めてだもんね」
「ああそうだ。しかし……本当に……。な、なんという空だ」
太陽を中心に外へ広がるほど、黄橙色から緋色へ変化していく空。
熱せられた空気で空が揺らめいており、それはまるで空が燃えているようだった。
「なるほど。火を運ぶ台風とはよく言ったものだ」
「そうだね。でも火を運ぶ台風は、この空の色だけじゃないんだよ?」
「どういうことだ?」
「ふふ、火を運ぶ台風は色々なものを運んでくるんだ」
微笑むフェルリートの横顔を見つめると、白い肌が夕焼けを映し、美しい紅に染まっていた。
少しだけ見とれてしまったが、俺はまた空に目を向ける。
「火を運ぶ台風が運んでくるものか。楽しみだな」
日没後もしばらくの間、俺とフェルリートは空を眺めていた。




