第31話 台風が運んでくるもの3
翌日、起床して外の様子を確認。
「昨日はあんなに晴れてたのに……。漁師ってすげーな」
アラジ爺さんの予想通り風が出てきた。
「薄気味悪い雲で覆われてるぞ」
空を見上げると、薄めたインクをぶちまけたような不気味な模様の雲が広がっている。
これからさらに風が強くなるそうなので、今のうちに準備だ。
「さて、やるか」
俺は港でもらった厚手の板を外壁に打ちつけ、家中の窓を保護して回る。
これをしないと突風で窓ガラスが割れるそうだ。
「ふう、なかなか重労働だな」
太陽は隠れているが、生暖かい風が不快な湿度を運ぶ。
拭っても拭っても汗が止まらない。
「あちー。風が気持ち悪いぜ」
一旦風呂に入り汗を流す。
そして着替えをバッグに詰め、いくつかの装備を大きな革袋に押し込む。
部屋の窓が閉まってることを確認。
「さあ行くか」
自宅を出て市場へ向かう。
商人たちは当然ながら、すでに火を運ぶ台風発生を知っている。
日持ちしない食材や大量の酒を、ここぞとばかりに値引きして販売。
商人たちはたくましい。
買い物を済ませ、冒険者ギルドに到着。
今日からギルドで避難生活だ。
「お、マルディン。来たか」
「ああ、世話になるよ」
「すでにクエストは停止した。しばらくは避難所として機能する」
パルマに挨拶して、ロビーを見渡す。
二十人ほど集まっていた。
全員顔見知りだ。
「ほとんどの町人は、町役場か漁師ギルドへ行くんだ。ここに来るのは冒険者とギルド関係者のみだよ」
パルマが全員を前に手を挙げた。
「皆聞いてくれ。各自テントを持ってきたと思うから、ロビーと食堂、そして二階のスペースを使ってくれ。食事は一日三回支給する。風呂は簡易風呂を組み立てる。男は一階、女は二階だ。見張りや偵察は当番制。掃除は全員で。それと……恒例ではあるが、食材や酒を持ち寄ってると思う。羽目を外さない程度にやってくれ」
「おー!」
全員が大きな声で返事をした。
「さあ、全員でギルドを補強するぞ!」
全員で外へ出て、倉庫から取り出した板を窓に打ちつけていく。
パルマは金槌を手に持ち、作業しながら指示を出していた。
「なあ、パルマ。他の冒険者たちはどうしてるんだ?」
「自宅だ。ここに来るのは海沿いに住む奴か、物好きな連中だよ」
「物好き? どうしてだ?」
「いやいや、お前もそうだろ? 酒買ってきてさ。そういう集まりになるんだよ、ここは」
「あー。なるほどね」
「遊びじゃないんだがなあ。だけど何もすることがないから、毎回こうなるんだよ」
今回集まった冒険者は全員顔馴染みだ。
俺は基本的に一人でクエストへ行くためパーティーを組むことはないが、同業者として情報交換は行う。
「ちょっと気になったんだが、ここにいる冒険者でCランクって俺だけじゃないか?」
「そう言われればそうだな。まあそもそもうちのギルドはCランク冒険者自体が少ない。その上、ヴェルニカが引退しちまったからなあ。何かあったら頼むぜ、Cランク冒険者様」
「おいおい、勘弁してくれ」
「ハハ、大丈夫だ。何も起こらんよ。さ、とっとと終わらせようぜ」
「はいよ」
作業は日没前に完了。
二階建ての石造りの冒険者ギルドは厚板で補強され、不格好な外観となった。
「風が強くなってきたな」
全員が室内に入り、各々テントを立て個人の準備を開始。
すでに酒を飲み始めてるバカもいる。
「お前、早すぎるだろ!」
「あ? いいじゃねーか。マルディンも持ってきただろ? 分けてくれよ」
「アホ……。お前の隣はやめておくわ」
場所を移動し、俺は食堂でテントを広げる。
「マールディン!」
片膝をつき、かがんでテントを立てていると、俺を覗き込むように見下ろす人影が声をかけてきた。
「お、フェルリートか」
前かがみの姿勢で両手を膝に当て、金色の美しい髪を揺らしながら笑顔を俺に向けているフェルリート。
「ねえマルディン。隣にテントを立てても良い?」
「おお、いいぞ。お前の目的もこれか?」
俺は葡萄酒のボトルを取り出した。
「そんなんじゃないよ。もちろん飲むけどね」
「飲むんじゃねーか」
「ふふ。でもね、ちょっと怖くって」
「あーそうか。そうだよな」
フェルリートは台風で両親を亡くしている。
台風が怖いのは当たり前だ。
「大丈夫だ。安心しろ。俺がいる」
「え? マルディンって避難は初めてでしょ?」
「まあ、そうだが……こういうことには慣れてるんだ」
「え? どういうこと?」
俺は騎士隊長時代、災害対策の指揮を取ったり、実際に救助活動を行っていた。
台風と比べることはできないが、極寒の猛吹雪の中で野営したり、泥水をすすって生き抜いたことだってあった。
それに戦争や紛争での野営経験もある。
口には出せないほど悲惨な状況も経験済みだ。
「あー、いや。キャンプが好きでな。良く吹雪の中でキャンプしてたよ」
「へーそうなんだ。じゃあ頼りにしてるよ」
「おー、任せろ。あっはっは」
俺はフェルリートの頭に、そっと手を置いた。
――
避難生活が始まって二日が経過。
全ての窓を厚板で補強しているにもかかわらず、不気味な風の音が室内まで聞こえる。
時折、何かが壁や窓板に当たっている音が響く。
恐らく木や岩が風で飛ばされているのだろう。
「凄い風だな」
「うん。でもこれからもっと酷くなるよ」
俺の右隣にテントを立てているフェルリート。
テントの入口で両膝を抱え、その膝に顎を乗せて座っている。
反対の左側にテントを立てた顔見知りが、珈琲を淹れて俺に手渡してくれた。
「はい、どうぞ」
「おお、ありがとう。アリーシャ」
「フェルリートの言う通りです。これから風が強まります。注意してくださいね」
Cランク解体師のアリーシャ。
以前一緒にクエストへ出たことがある。
二十七歳と若いながら落ち着いた雰囲気で、腕の良い頼りになる解体師だ。
「アリーシャはこの町の出身だよな?」
「ええ、そうです。フェルリートとは近所なので、よく遊んでましたよ」
「歳も近いのか」
「そうですね。妹みたいなものです。フフフ」
フェルリートが四つん這いになって、俺とアリーシャに近づいてきた。
その仕草はまるで猫だ。
「私の料理はアリーシャに教えてもらったんだよ」
「へーそうなんだ。通りで美味いわけだ」
アリーシャが作る料理は驚くほど美味く、クエストのキャンプで食べるようなものではなかった。
レストランで食べる料理そのものだ。
「マルディン、干し肉食べますか?」
「アリーシャが作ったのか?」
「ええ、黒森豚の肉で作ったんですよ」
「いただくよ」
アリーシャから干し肉を受け取り、口へ運ぶ。
「こ、こりゃ美味いな!」
干し肉といえば顎が痛くなるほど硬いのだが、アリーシャの干し肉は簡単に噛みちぎれるほど柔らかかった。
香辛料の辛味と香りが鼻を抜け、塩気の中にほのかな甘みを感じる。
一度食べたら止まらなくなる味だ。
「フフフ、ありがとうございます。少し甘みもあるでしょう? この町の塩は香辛料と相性がいいんですよ」
解体師だから素材の扱いにも慣れている。
肉は解体に失敗すると、臭みが出て食えたもんじゃない。
「これ売れるんじゃないか?」
隣で干し肉を美味そうに食べているフェルリートの手が止まった。
大きな瞳で俺を見上げている。
「あーそうか。マルディンは知らないのか。アリーシャのお家はお肉屋さんだよ。この干し肉は人気商品なんだ」
「マジか! 知らなかった。今度買いに行くよ」
「フフフ、ありがとうございます。でも、マルディンなら狩ってきてくれればいつでも作りますよ?」
「そうか。じゃあ今度一緒に狩りへ行くか」
「いいですね。行きましょう」
釣りはできないが、狩りならできる。
夏が来たらアリーシャと狩りへ行く約束をした。