第296話 失った希望と新たな未来8
◇◇◇
マルディンの自宅を出たヴィーディアは、一旦宿へ向かい自分の服に着替えた。
グレクに心配をかけたくなかったからだ。
そして、すぐに港へ向かいグレクと合流した。
ヴィーディアは、グレクの前で明るくしようと努めたが、どうしても笑顔が出せなかった。
グレクもそれには気づいたが、何も言わない。
いや、言えない。
人生で初めて、これほどまでに人を好きになったグレク。
当初の喜びから、今は言い表せないほどの不安感に襲われている。
旅行者のヴィーディアとは必ず別れが来るからだ。
一日でも長く一緒にいたいと、天にすがるように願っていた。
二人は貸衣装屋へ行き、民族衣装を選んだ。
「ヴィーディアさんには、この衣装が似合うと思うよ」
「本当ですか? では、これにしますね」
ヴィーディアが衣装を持って更衣室へ入った。
「ど、どうですか?」
着替え終わったヴィーディアは、恥ずかしそうにうつむきながら、グレクに衣装を見せた。
「き、綺麗だ……。ヴィーディアさん、本当に綺麗だよ」
「あ、ありがとうございます」
「こりゃ、明日の祭りが楽しみだ。はは」
「そうですね……」
ヴィーディアは衣装を借りる期間を、今日から祭りの翌日まで三日間とした。
グレクとしては、最低でもあと三日は一緒にいられると安堵の息を吐く。
「せっかくだから、その衣装のまま海へ行かないか?」
「海? ……そうですね。行きましょうか」
二人は繁華街を抜け、町外れの町道を歩く。
グレクにとってはいつもの波の音だが、今日はやけに大きく聞こえていた。
「いや違う。心臓の音か……」
「何か言いましたか?」
「な、なんでもないよ!」
ヴィーディアは隣を歩くグレクに視線を向けた。
自分のことを好きだと言ってくれたグレク。
その気持ちがとても嬉しかった。
「私だって……」
グレクに聞こえない大きさの声で呟いた。
ヴィーディアはグレクの手をそっと握る。
大きくて硬い手は、漁師一筋の立派な手だ。
だが、ヴィーディアはこの手を汚そうとした。
ヴィーディアの心が痛む。
「あ、その……」
突然手を握られたグレクは、ティルコアの夕日のように顔を真っ赤に染めた。
心臓が破裂しそうなほどの大きな鼓動を感じているグレク。
海を見下ろせる丘に差しかかったところで、ヴィーディアは立ち止まった。
「あの、グレクさん」
「ひゃい!」
グレクの声が思わず裏返る。
それでもヴィーディアは真剣な表情で、グレクを見つめた。
「私も……グレクさんのことが好きです」
「え!」
グレクは瞳を大きく見開く。
飛び跳ねたいほど嬉しいが、そういかない理由があることを痛いほど理解している。
「だけど……、私は……」
「そうだよな……帰らなきゃいけないもんな」
初めから分かっていたし、みんなにも言われた。
旅行者との恋は必ず別れが来ると。
それでも気持ちを止められなかったグレクだった。
「違うんです。私には……帰る場所がないんです」
「え?」
「本当は……この町で……」
大粒の涙を流すヴィーディア。
「この町で、死のうと思っていたんです」
「死? な、何を言って?」
「私は罪を犯しました。だから……だから……」
瞳からとめどなく溢れる涙。
両手で顔を覆うヴィーディアから嗚咽が漏れる。
「つ、罪? 罪って……。罪なんて……」
「私はグレクさんに好かれていい女じゃない。ごめんなさい。ごめんなさい」
グレクの想いはもう止まらない。
ヴィーディアを抱きしめた。
全てを投げ出してでもヴィーディアを救うと、グレクは心の中で誓った。
「罪の内容も重さも分かんねーけどよ! 俺が一緒に償うよ! 一生かけてヴィーディアさんと! だから結婚しよう! ずっと一緒だ!」
「グ、グレクさん」
「この町で一緒に暮らそう」
夕日が二人を照らす。
影は一つに伸びていた。
◇◇◇
俺はティアーヌと貸衣装屋へ行き、明日の祭り用の衣装を選んだ。
グレクと会わなかったから、あいつは先に借りたのだろう。
「マルディンさん、ありがとうございます」
「喜んでもらえて何よりだ」
民族衣装を着たティアーヌが、つま先を立ててその場で一回転した。
いつも笑顔の娘だが、今日はいつも以上に明るい笑顔を浮かべている。
「お祭りは私と行ってくれるんですか?」
「衣装だけ借りて、一人で行けなんて言わんよ」
「フェルリートちゃんやレイリアさんは?」
「フェルリートはギルドの屋台だし、レイリアは医療当番だそうだ。祭りの日は特に怪我人が多いそうだ」
「そうなんですね。じゃあ、私と二人きりですか?」
「そうだな。アリーシャとラミトワはクエストへ行っているしな」
ティアーヌが動きを止め、俺の顔を見上げた。
「いいんですか?」
「逆に俺が聞きたいよ。おっさんと二人で楽しいのか?」
「え? 楽しいですよ」
「そりゃよかった」
「だって、美味しいものを食べさせてもらえますもの」
「そうか、おっさんは財布か。あっはっは」
「ふふ、たくさん食べましょうね」
「死ぬほど食わせてやるよ。あっはっは」
祭りの屋台なんて、たかが知れている。
ティアーヌには普段から世話になっているから、そんな程度で喜んでもらえるなんて安いものだ。
「あの、ティアーヌ支部長。お休みのところ申し訳ございません」
「どうしました?」
ティアーヌが突然女性に声をかけられた。
この女性は俺も面識がある。
調査機関の職員だ。
女性は俺に会釈してから、ティアーヌに耳打ちした。
「分かりました。すぐに事務所へ向かいます」
ティアーヌの表情が引き締まった。
状況からして仕事だろう。
「マルディンさん、すみません。私、明日のお祭りに行けなくなりました」
「仕事か?」
「えっと、あの……」
「言ってみろ」
「犯罪組織が動くようです」
「今日のあれに関係するのか?」
ティアーヌが首を縦に振った。
「はい。恐らくヴィーディアさんの始末でしょう」
「組織の規模は?」
「夜哭の岬の下部組織の中では大手です」
「どこの組織だ」
「カサトラを根城にしている『南海の蝿王』です」
カサトラはティルコアの北北西にある街だ。
距離は約三十キデルトだから、ライールなら半日もかからない。
「俺が行ってくる」
「え?」
「もう面倒だ。終わらせてくる」
「では、私も行きます」
「いらんよ」
「し、しかし……」
「犯罪組織ってのは、なぜこうも人の楽しみを、喜びを、希望を奪うのか……」
「マ、マルディンさん?」
「悪いが後始末だけ頼む」
俺の腕を掴むティアーヌ。
「待ってください!」
「この町に手を出すとどうなるか、徹底的に教えてくる」
「か、顔が怖いです」
「そうか? そんなことないぞ」
俺は顔を見せないように、優雅に一礼した。
内心は腸が煮えくり返っている。
「お姫様はこの地でお待ち下さい」
「マルディンさん!」
「ティアーヌ、明日の祭りは一緒に行くぞ。衣装は返すなよ?」
「待ってください!」
「迎えに来るから待ってろ」
俺は商店街から大通りに出て、指笛を吹いた。
近くにいたライールが駆け寄ってくる。
「ブルゥゥ」
「ライール、このままカサトラへ行く」
「ヒヒィィン!」
走り出したライールに、俺は飛び乗った。
ライールの足なら、日没前には到着するだろう。
「少し飛ばすぞ!」
「ヒヒィィン!」
町の外へ出て、街道を走り抜けた。
―――
日没前にはカサトラに到着した。
ライールから下馬し、城門をくぐって街道を進む。
南海の蝿王のアジトは分からんが、聞けばいいだろう。
俺はそれらしい男たちを探す。
治安の悪い区画へ向かうと、一人で歩くガラの悪い男を見つけた。
道を聞くにはちょうどいい。
「すまんが道を教えてもらえるか?」
「道? なんだおっさん?」
「南海の蝿王へ行きたいんだ」
「南海の蝿王?」
「ボスに話があってな」
「ボスだと? ボスに何の用だ?」
「お前は南海の蝿王なのか?」
「あ? あたりめーだろ。っつか、気安くその名を呼ぶんじゃねーよ。てめえ、殺すぞ」
「そうか、殺すか……」
俺は男の首を掴んだ。
そのまま持ち上げる。
「俺を殺す? 逆だ。殺されたくなかったら連れて行け。まあ殺すがな」
「ぐ、ぐるじい」
「連れて行くか?」
「ば、ばい」
男を地面に投げ捨てると、涎を垂らしながら咳き込んでいた。
「ゴホッ、ゴホッ」
「早く連れていけ」
「ひ、ひぃぃ」
男は起き上がると同時に、突然走り出した。
「ひぃぃ」
「そうか、アジトへ案内してくれるのか」
俺は男の後を追った。
建物に逃げ込む男。
四階建ての大きな建物だ。
夜哭の岬の下部組織の中では大手だという南海の蝿王。
何をやってこれほどの場所をアジトにしているかは、想像に難くない。
俺は躊躇なく扉に手をかけた。
「こ、こいつだ!」
「マジで来やがった!」
広いロビーには、二十人近い男が待ち構えていた。
逃げた男の顔もある。
報告したのだろう。
男たちはそれぞれ武器を構えている。
ほとんどが刺突短剣、暗殺短剣、三日月剣だ。
この地方の犯罪組織がよく使う武器でもある。
「お前ら全員南海の蝿王か?」
誰も何も答えない。
「南海の蝿王以外は殺さないぞ?」
それでも誰も何も答えない。
「全員南海の蝿王でいいんだな? で、ボスはどこだ?」
一歩、また一歩と男たちに近づく。
「ビビんな! 殺せ!」
「殺せ殺せ!」
「死ねやっ!」
男たちが一斉に襲いかかってきた。
「まあいい。自分で探す」
俺は左腕を振り、廊下を進む。
背後のロビーからは、一切の気配が消えていた。




