第295話 失った希望と新たな未来7
自宅に到着すると、すぐにヴィーディアを風呂に入らせた。
「ティアーヌに連絡するか」
俺は大鋭爪鷹のイスーシャに手紙をつけて、調査機関に飛ばした。
それと同時にライールに指示を出す。
「ライール。悪いんだが、調査機関へ行ってくれないか? ティアーヌを迎えに行ってほしい」
「ヒヒィィン!」
ライールは頭のいい馬だ。
それに俺の愛馬として知られている。
町を一頭で歩いていても、あまり驚かれない。
――
「マルディンさん。お風呂ありがとうございました」
リビングのソファーに座っていると、風呂から上がったヴィーディアが姿を見せた。
薄茶色の長髪は濡れているが、ティルコアの夏はすぐに乾くはずだ。
着替えはひとまずシャルクナの寝間着を用意している。
「汚れは落ちたか?」
「はい」
「身体に傷はないか?」
「はい。マルディンさんのおかげで、何もなかったです」
「そうか、そりゃ良かった」
リビングの入口に立っているヴィーディアをソファーに座らせると、同時に玄関から足音が聞こえた。
早足でリビングに近づいてくる。
「マルディンさん!」
「ティアーヌ、呼び出してすまなかったな」
「いえ、ライールを迎えに出してくださってありがとうございます」
ティアーヌがヴィーディアに視線を向けた。
「ヴィーディアさんですか?」
「はい、ヴィーディアと申します」
「調査機関のティアーヌです」
「調査機関! 冒険者ギルドの……」
調査機関は冒険者ギルドの一機関だが、非常に高い調査力を誇ることで一般にも知られている。
ヴィーディアは犯罪組織の元トップだ。
その恐ろしさは知っているだろう。
「お話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「分かりました」
ヴィーディアは、俺に話した内容をティアーヌにも説明した。
ティアーヌが驚きの表情を浮かべている。
「黄金の紅玉……。資料で見たことがある名前ですが、まさか夜哭の岬の七組織だったとは……。しかもその元ボスですか。どおりでヴィーディアさんが警戒網に引っかからなかったわけですね」
さすがのティアーヌたちも、黄金の紅玉のボスまでは情報を持っていなかったようだ。
「ティアーヌ。ヴィーディアの処罰はどうなる?」
「そうですね。これはあくまでも私の考えですが……。中央局と交渉の余地はあると思います。つまり取引です」
「取引?」
「はい。黄金の紅玉と夜哭の岬に関して、知っていることは全て話していただきます。その代わり……」
「罪を軽くするというわけか」
「そうです」
俺はヴィーディアに視線を向けた。
「できるか?」
「夜哭の岬の情報……」
俺が倒した怒れる聖堂と凪の嵐のボスは、夜哭の岬の情報を一切漏らさなかった。
しかし、ヴィーディアは状況が違う。
「ヴィーディア、お前は夜哭の岬から命を狙われたのだろう? そのために逃げてきたんだ。もう義理立てする必要はない」
「……はい」
「それに、俺はグレクのために言っているんだ」
「グレクさんのため……」
「お前が死を選べばあいつはどうなる? お前は死ぬつもりでこの町に来たはずなのに、一人の人生を変えてしまったんだぞ」
「は、はい……」
ソファーに座るヴィーディアは、少しうつむき、膝の上に乗せた両手を握りしめている。
「ヴィーディア、これはもうお前だけの問題じゃない」
「はい」
「だから俺は、全員が幸せになれる方法を探りたいんだ」
「え? 全員の幸せ?」
ヴィーディアが顔を上げ、俺を見つめた。
「そうだ。お前を含めてな。それに、この町に来て簡単に死ぬなんて言うんじゃない。みんな生きるために必死なんだ」
「私の幸せ……。い、いいんでしょうか……」
「罪を懺悔する気があればな。この町で新たな人生を歩め」
ヴィーディアに説いていることは、半分俺自身のことでもある。
俺は罪なんて犯していないが、故郷を追放され、新たな人生を歩むためにこの町に来た。
「新しい人生……。私が?」
「そうだ。本気でやり直すのであれば、一度くらい救いがあってもいいだろう」
「私が……、幸せを願ってもいいのでしょうか?」
「これからのお前次第だ。結果で示せ」
俺の考えでは、ヴィーディアが死を選んだ理由は諦めだ。
夜哭の岬のボスまで上り詰めたが、全てを失い命を狙われた。
逃亡生活を続けていると、辛さから精神が疲弊していくと聞いたことがある。
その辛さから自暴自棄になり、死を選んだのだろう。
つまり、死にたくて死ぬわけではない。
現にグレクとの恋に落ちている。
心のどこかで生きたいと思っているはずだ。
「お前は明日、グレクと祭りへ行くんだろ? その後に返事を聞かせろ」
「え?」
「明日まではこれまで通り過ごせ。追手は全員始末したから危険はない」
「あの……、私はこれからグレクさんとお会いする約束をしていました」
「これから?」
「明日の祭りで着る民族衣装を借りるために、一緒にお店へ行く約束をしていたんです」
「そうか。じゃあ、早く行くんだな。あのバカ、鼻の下を伸ばして待っているはずだ」
俺はティアーヌに合図を送った。
頷くティアーヌ。
「ヴィーディアさん、着替えを持ってきました。ひとまずこれで我慢してください」
「わざわざありがとうございます」
「私のサイズなので、合わなかったらごめんなさい」
「いえ、本当にありがとうございます」
ヴィーディアが着替えるためにリビングを出た。
ティアーヌが微笑みながら、俺に視線を向けている。
「お祭りで民族衣装か。いいですねえ」
「ん? お前も興味があるのか?」
「そりゃありますよ。私だって年頃の娘なんですから」
「ふーん」
「ふーんって……。普通は『じゃあお前も行くか?』って私を誘う場面でしょう?」
「いやいや、意中の男と行けよ。俺みたいなおっさんと行ったってしょうがないだろ」
ティアーヌが無表情で俺を見つめている。
「な、なんだよ」
「知りません、バカ。珈琲淹れてきます。ふんっ」
ティアーヌが大きな足音を立てて、キッチンへ向かった。
「な、何だってんだ……」
「あの……」
ティアーヌが席を立ったタイミングで、ヴィーディアの着替えが終わった。
ティアーヌがいつも仕事で着ている、白いシャツと黒いパンツスタイルだ。
二人とも身長はほぼ同じだからサイズも同じだろう。
「サイズはどうだ?」
「はい。ちょうどいいです。ありがとうございます。ただ……」
「どうした?」
「あ、いえ。胸が少しだけキツくて……。用意してくださったのにすみません……」
ティアーヌはいつもシャツの第二ボタンまで開けているが、ヴィーディアは第三ボタンまで開けていた。
それが意味することは俺には分からない。
いや分かるが触れるべきではないと、俺の危険察知能力が告げている。
この場にティアーヌがいなくてよかった。
「グレクはもう待ってるんだろ?」
「はい。港で待ってくれていると思います」
「そうか。じゃあ、もう行っていいぞ」
「で、でも……」
「監視もつけない。あんなことがあった後だ。グレクと会って心を休めろ」
「あ、ありがとうございます」
ヴィーディアが深く頭を下げた。
胸元が見えるからやめてほしいのだが……。
俺はすぐに視線を外した。
「ヴィーディア、お前の正体はグレクに言うなよ」
「え?」
「全ては祭りが終わった後だ。それまでは何も考えず楽しめ」
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げるヴィーディア。
僅かに肩が震えていた。
「ほら、もう行くんだ。グレクが待ちくたびれて死んじまうよ」
「はい」
ヴィーディアが最後に微笑みを見せて、リビングを出ていった。
――
「あれ? ヴィーディアさんは?」
珈琲を淹れたティアーヌがキッチンから戻ってきた。
ローテーブルに三杯の珈琲を置く。
「グレクに会いに行ったよ」
「そうですか。それにしても、大変なことになりましたね」
ティアーヌの大変という言葉を聞いて思い出した。
「そういや、茂みに死体が転がってるんだ。処理を頼めるか?」
「手紙に書いてありましたから、もう手配していますよ」
「そうか。いつもすまんな。ありがとう」
「私はマルディンさんのサポートですから」
「そうは言っても、今回はどちらかというとギルドではなく中央局の仕事だ。本当にすまんな」
「いえ、ギルドとしても犯罪組織の情報入手は必須事項なんです。それも夜哭の岬ですから影響は大きいです」
夜哭の岬に関しては、これまでどんなに調査を進めても詳細を掴むことはできなかった。
もし情報を入手できるのであれば快挙と言っていい。
俺はティアーヌが淹れてくれた珈琲を口にした。
「ヴィーディアから情報を入手して、罪を軽くするという話だが……」
「はい」
「俺はこう見えて中央局の人間でもある」
「そうですね」
俺は中央局調査室の室長だ。
まあ室長と言っても俺一人しかない部署だし、今は期間限定でシャルクナが在籍するだけなのだが、それでも権限は中央局の各室長と同格だった。
さらにこの権限は、皇軍の将軍と同等だ。
皇軍の将軍といえば、各州の軍事に関する全ての裁量権を有している。
「ヴィーディアの件は、俺の一存で決めることにする」
「そうですね。意外とマルディンさんの権限は大きいので、問題ないと思います。それがどんな結果になっても」
「意外とってなんだよ」
「その言葉通りですけど?」
ティアーヌの言葉は妙に棘がある。
さっきから少し機嫌が悪いようだ。
無表情で珈琲カップを手に取るティアーヌに、俺は視線を向けた。
「さて、ティアーヌ。俺たちも貸衣装屋へ行くか」
「え?」
「明日の祭りで着たいんだろ?」
ティアーヌの珈琲を飲む手が止まる。
「……もう、本当にズルいんだから」
「な、何がだよ」
「なんでもないです。早く行きましょう。ふふ」
ティアーヌの機嫌がよくなったような気がする。
若い娘は分からん。




