第293話 失った希望と新たな未来5
◇◇◇
ヴィーディアがティルコアを訪れてから二週間が経過した。
観光客の滞在としては長いといえよう。
それもそのはず、ヴィーディアは滞在期間を決めていない。
本来はもっと早くに予定を済ませるはずだったが、滞在を長引かせる理由ができてしまった。
「そろそろ帰って来る頃だけど……」
日の出直後、黄金に輝く海を眺めながら、ヴィーディアは港の桟橋でグレクの帰りを待っていた。
「グレクさんの船だわ!」
帰港したグレクは、漁船を桟橋につける。
「グレクさん、おかえりなさい!」
ヴィーディアは満面の笑みを浮かべ、グレクを出迎えた。
「ヴィーディアさん。ただ……いま……」
海の光が反射したヴィーディアの姿を前にして、グレクは言葉が詰まった。
ヴィーディアの白い肌が、光を発しているかのように輝いている。
まるで神話に出てくる美の女神のようだ。
「たくさん獲れましたか?」
ヴィーディアの言葉に反応しないグレク。
ただ見惚れていた。
「グレクさん?」
「あ、ああ、ごめん。今日も豊漁だよ。こっちは女神がついてるからね」
「え?」
「い、いや、なんでもない! なんでもないよ! はは」
グレクは身体の正面で、腕を大きく振る。
自分の発言に照れていた。
「今日は特に大剃鯵が獲れたよ」
「わあ、さすがですね」
「ただ、そろそろ旬が終わるけどね」
「私、大剃鯵好きです」
「そうか。じゃあ、食っていくかい? 俺の朝飯にしようと思ってたんだ」
「いいんですか?」
「もちろんさ。今食べないと、脂の乗った大剃鯵はまた来年だからな」
「来年……」
ヴィーディアの笑顔が僅かに曇ったが、グレクはそれに気づかない。
水揚げと片付けを終えたグレクは、船の上で大剃鯵を捌き始めた。
さすがは腕の良い漁師で、揺れる船上でも厚刃包丁を握る手にブレはない。
調理を終えると、二人は甲板の木箱に並んで座り、朝食を取った。
「なあ、ヴィーディアさん。せっかく観光に来てるのに、毎日港に来て楽しいかい?」
「はい。お魚は見るのも食べるのも好きですから。ふふ」
ヴィーディアの微笑みを見ると、安らぎと同時に不安が募るグレク。
いや、最近は不安のほうが大きく、胸を締めつけていた。
「ヴィーディアさんは、その……いつ……」
「はい?」
「い、いや、なんでもないんだ。ははは」
ヴィーディアがいつ帰るのか、グレクはそれだけが気がかりだ。
だが、それを口にすることで終わりが訪れてしまいそうな予感がして、口にする勇気はない。
「グレクさん、明日も来ていいですか?」
その言葉に大きく安堵したグレク。
グレクも別れが来ることは分かっている。
だからこそ、一日でも長く一緒にいたいと切望していた。
「明日は休みなんだ。だけどもし良かったら、明日は一緒に夏祭りへ行かないか?」
「夏祭りですか?」
「ああ、年に一回祭りがあってね。今年は一日だけの開催なんだが、一緒にどうかな?」
「いいですね! お祭り行きたいです!」
手を叩いて喜ぶヴィーディア。
「この地方の民族衣装を貸し出している店がある。この後、行ってみない?」
「民族衣装? 私、似合うかしら……」
「に、似合うに決まってるさ!」
「本当かなー。グレクさん、見たい?」
「も、もちろんさ!」
「ふふ、嬉しい。じゃあ、行きましょう」
「やったぜ!」
グレクはあまりの嬉しさに、船の上でジャンプした。
船体が大きく揺れる。
「きゃっ!」
「ご、ごめん! 大丈夫かい?」
ヴィーディアがバランスを崩し、グレクの胸に寄りかかってしまった。
二人の動きが止まる。
「グレクさん……」
ヴィーディアは高鳴る心臓の鼓動を感じながら、瞳を閉じ、顔をグレクに向けた。
「ヴィ、ヴィーディアさん」
グレクは迷いながらも、そっと唇を重ねる。
船の上は波の音しか聞こえない。
海風が潮の香りを運ぶ。
波の音が三回聞こえると、二人はゆっくりと離れた。
グレクが大きく息を吸う。
「ヴィーディアさん。俺、ヴィーディアさんが好きだ」
グレクは気持ちを止めることができなかった。
それに、今この想いを伝えなければ、一生後悔すると思った。
ヴィーディアは頬を紅潮させながら、グレクから視線を外した。
直視できなかったからだ。
「グ、グレクさん。私一度宿に戻ります。またお昼すぎに来ます」
「あ、ああ。……待ってるよ」
船を降りたヴィーディアは、駆け足で宿へ向かう。
「私、どうしよう……。こんな気持ち初めてだ……。もう未来はないのに……」
――
港から繁華街の宿へ向かうヴィーディアは、ちょうど人気のない町道に差し掛かった。
犯罪なんてほとんど発生しないティルコアだ。
普段なら何も問題なかった。
「お、おい! あれ!」
「あの女、ヴィーディアだ!」
「っしゃ! 囲め囲め!」
犯罪組織の男たちは、ついにヴィーディアを発見した。
男たちはヴィーディアの背後に近づき、麻袋を被せ担ぎ上げる。
あまりに鮮やかな手つきは、普段から頻繁に行なっている証拠だ。
暴れるヴィーディアだが、多勢に無勢だ。
それに、細身のヴィーディアを運ぶなんて、男たちからしてみれば簡単だった。
周囲には誰もいないため騒いでも問題ない。
そのまま茂みに連れ込まれた。
「縛れ!」
男たちはヴィーディアの手足を縛り、完全に動けないようにしてから麻袋を外した。
「くっ」
暗闇から一気に光が当たり、目を細めるヴィーディア。
徐々に目が慣れていくと、目の前には知った顔があった。
「あ、あんたたち……」
「やっと見つけましたよ、ヴィーディア様。いや、ヴィーディア」
十人の男がヴィーディアを囲んでいる。
「騒いでもいいが、どうせ誰も来ないぜ?」
「いやいや、騒ぐわけないだろう。この凶悪な女がな」
「そうだぜ。これまで散々偉そうにしてたもんな」
「立場が逆転したなあ。ぎゃはははは」
男どもの下品な笑い声が響く。
地面に横たわるヴィーディアは、唇を噛み締め見上げることしかできない。
「上からの命令だ。お前を殺す」
一人の男が大きなガラス瓶を取り出した。
人の頭が入りそうなほどの大きさだ。
「これに首を入れて持ち帰る」
続いて解体短剣を取り出した。
そして、解体短剣を細かく前後に動かし、首を落とす動きを見せる。
「なあ、殺すの待ってくれよ」
一人の男がヴィーディアの前に立つ。
「あ? お前裏切んのかよ?」
「ちげーよ。そんなんじゃねーよ」
男が自分のズボンのベルトを抜き取った。
「どうせ殺すんだろ? 俺こいつとやりてーんだけど」
男の言葉に、全員が頷いた。
「俺もだ。一回やりたかったんだよ」
「見た目は最高だしな」
「こいつの悲鳴が聞きてえ」
「待て!」
リーダー格の男が一歩前に出る。
「殺す前に好きにしていい。だが……、俺が一番だ」
この男もベルトを外す。
醜く卑しい笑顔を浮かべていた。
「っしゃ! 破け! 破け!」
「足のロープを外せ! 邪魔だ!」
「腕も外せ! 四人で手足を押さえつけろ!」
ヴィーディアは仰向けにされ、四人に手足を強く押さえつけられる。
暴れることすらできない。
そして、ワンピースの首元を掴まれ、一気に引き裂かれた。
布が切れる音が響く。
「くっ!」
胸元がはだけると、透き通るような白い肌があらわになった。
「たまんねーぜ!」
「早くしろよ!」
「十人だぜ!」
「バッカ! 二周するぞ!」
「死ぬまでだっつーの! ぎゃははは!」
スカートが破かれ、下着に手がかかる。
「やめっ!」
「誰も来ねーよ!」
「やっ!」
下着を剥ぎ取られ、茂みに投げ捨てられた。
リーダー格がヴィーディアに覆いかぶさる。
「さて、楽しませてもらうぜ」
「いやっ!」
ヴィーディアの右足を抑える男が、リーダー格に視線を向けた。
「早くしろよ! 後がつかえてんだ!」
男たちが自分の番が待ち切れないといった様子だ。
「おい、何をやっている」
低く冷たい声が茂みに響く。
それと同時に、海風に混ざって、瞬間的に空気を引き裂く音が発生していた。
全員が一斉に声のする方向を振り返る。
「こ、こいつ、首落としだぞ!」
「ど、どうするリーダー!」
男の一人が声を上げるも、ヴィーディアに覆いかぶさっていたリーダー格は、答えることができなかった。
そう、永遠に。
「く、首が!」
「ひいぃぃぃぃ!」
「くくくく、首落とし!」
マルディンが男たちに近づく。
その形相は、いつもの穏やかなマルディンではない。
誰にも見せられない、首落としと呼ばれる男の顔だ。
「何をやっているのかと聞いている」
静かに近づくマルディン。
男たちにとっては、恐怖そのものが迫っているように見えた。
「う、うわああぁぁぁ!」
一人の男が絶叫しながら逃げ出すと、つられるように、残りの八人も一斉に走り出した。
しかし、すでにマルディンの間合いだ。
九人の首が同時に落ちた。
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