第30話 台風が運んでくるもの2
「お前は移住者のマルディンか」
ギルマスのイスムが老人には見えない太い腕を組みながら、まるで値踏みするかのような表情で俺の顔を眺めている。
「ああ、そうだよ。よろしく、マスターイスム」
「良い面構えじゃねえか。お前、冒険者なんてやめて漁師をやれ。十倍は稼がせてやるぞ」
「あっはっは。ありがたいけど、俺は泳げないんだよ」
「そういやそうだったな。グレクが言っていたが、確か北国生まれだったか」
「そうだ。釣りすらできんよ。あっはっは」
「なんだと? この町で釣りができないのはお前だけだ。今度教えてやるわ。がはは」
海の男らしく豪快に笑うイスム。
俺も港町に住むようになって、釣りくらいは覚えたいと思っていた。
冒険者ギルドのクエストにも釣りがあるほどだ。
落ち着いたらチャレンジしてみよう。
「イスム、今日から遠洋漁業の出航は禁止する。いいな?」
町長の表情が引き締まる。
幼馴染から責任者の顔へ変化した。
「分かった町長。俺もそうしようと思って、すでに漁師たちには通達した。今から出る船は沿岸漁業だ。だがそれも明日には禁止する。今遠洋に出ている船は、別の海域へ避難するはずだ」
「ああ、さすがじゃの。それでいい」
クルシュとイスムですぐに話がまとまった。
組織のトップ同士だと話が早い。
会話が一段落したことで、俺は気になっていた疑問をぶつけることにした。
「なあ、爺さんたち。火を運ぶ台風は、いつここへ来るんだ?」
「明日から徐々に風が起こり、数日後から暴風雨じゃな。例年なら一週間後に通過する。今年は特に大きいからしっかりと備えなきゃならん」
答えたのはアラジ爺さんだ。
他の二人も頷いている。
「そんなに大きな台風なら、沿岸に住んでる人たちは避難が必要なんじゃないのか?」
「マルディン、今回は避難命令を出す。この町ではこの漁師ギルド、町役場、そして冒険者ギルドが主な避難先だ」
町長のクルシュが答えた。
そして俺の肩に手を置く。
「悪いが冒険者ギルドへ伝えてくれんか?」
「ああ、任せてくれ。この後ギルドへ行くよ」
「被害によっては、もしかしたら救助や復興クエストを依頼するかもしれん」
「分かった。それも伝えておく」
クルシュが全員を見渡した。
「食材を確保しよう。町の予算から出す。最低でも二週間分は用意じゃ」
「保存が効く海産物は提供するぞ」
「すまぬな。助かるよ、イスム」
その後も避難時の話を進めるクルシュとイスム。
俺はここで決まった話を冒険者ギルドへ伝えるだけだが、騎士団時代は災害救助や対策本部なども経験している。
もしかしたら、俺の経験が役に立つかもしれない。
――
爺さんたちと別れ、ギルドへ足を運ぶ。
受付でギルド職員パルマの姿を発見。
「おい、パルマ」
「マルディンか。どうした?」
「火を運ぶ台風が来るそうだ」
「火を運ぶ台風? よく知ってるな。というか、今年は早くないか?」
「アラジ爺さんの予想だ」
「アラジ爺さんの? そりゃヤバいな。いつ来るって?」
「明日から風が出て、一週間後に通過らしい。今年は特に大きそうだ」
「マジか……。困ったな。こんな時に限って主任が出張だ」
「主任はどこにいるんだ?」
「出張で皇都タルースカへ行ってる。火を運ぶ台風が来るなら、通過まで帰って来れないぞ」
冒険者ギルドの主任とは、小さな町や村にある出張所の責任者だ。
出張所をまとめているのが地方の大きな都市の支部。
支部をまとめているのが、各国の首都にある本部。
さらに本部をまとめているのが、本国にある総本部となる。
冒険者ギルドの責任者の階級は、主任、支部長、本部長、ギルドマスターの順だ。
冒険者ギルドを運営しているラルシュ王国がギルド総本部となり、各機関のトップたる局長と、それを束ねるギルドマスターが王都に在住している。
ギルドマスターよりも上の立場は、もうラルシュ王国国王しかいない。
だが、この国王は現役の冒険者でもあり、現在もクエストへ行く。
数々の伝説を持つ正真正銘の化け物だった。
この町のギルドは近隣都市の出張所の中で、最も緩い出張所と呼ばれている。
クエストにノルマはなく、冒険者ランクのアップ指示や指導もない。
そのおかげで、俺はのんびりクエストができる。
この町の主任はあまりギルドにおらず、俺は数回しか会ったことがない。
そのため、実質的に副主任のパルマが仕切っている。
どうやらこのギルドの緩さは主任の方針らしい。
パルマは、出張所としてもっと実績を上げたいと嘆いていた。
「町長がここを避難所にするって言ってたぞ。食料の確保命令と、漁師ギルドから魚介類提供の話があった」
「分かった。在庫を確認しよう」
パルマが一階に併設されている食堂へ移動。
バーカウンターにいるフェルリートに向かって手を挙げた。
「おーい、フェルリート。食材の在庫状況はどうだ?」
「パルマさん。今の在庫は……。えーと」
フェルリートがカウンター奥の倉庫へ向かう。
「在庫は少ないですね。どうしました?」
「火を運ぶ台風が来る」
「え! ……そっか。ここを避難所にしますか?」
「そうだ」
「じゃあ多めに仕入れておきますね」
「ああ、頼むよ。今年は相当規模が大きいそうだ」
「分かりました」
「すまんな。辛いだろうが……」
「大丈夫です。ありがとうございます」
いつものように明るい笑顔で応えたフェルリート。
以前聞いたのだが、フェルリートは台風で両親を亡くしており、今は一人暮らしをしている。
フェルリートが在庫表を手に持ちながら、俺の元へ近づいてきた。
「マルディンはどうするの? 火を運ぶ台風は初めてでしょ?」
「ああ、そうだな。この町へ来る前に台風は経験したが、火を運ぶ台風は初めてだよ」
「想像以上だよ。マルディンの家は海のそばじゃん。ここへ避難した方が良いよ」
俺はこの町に住むと決めた時、海の近くに家を借りた。
窓から見える南国の海に感動したことを今でも覚えている。
毎日見ても未だに飽きない。
「それほどなのか。じゃ、俺も避難するよ」
「私も避難するから一緒にいてね」
「ああ、もちろんだ。じゃあ、酒を買っておくか。あっはっは」
「もう! 遊びじゃないんだよ? でも外へ出られないしやることないから、いつも酒盛りが始まっちゃんだよね。私もマスターに言って、葡萄酒の樽を仕入れちゃおうっと。ふふ」
悪戯な笑みを浮かべているフェルリートだった。