第291話 失った希望と新たな未来3
◇◇◇
ヴィーディアは繁華街の中級宿に宿泊していた。
宿泊料は一泊銀貨三枚だ。
この金額だと、本来なら高級宿と言っても過言ではない。
だが、ティルコアに押し寄せる観光客に対し、商人たちはここぞとばかりに値段を上げていた。
かつての寂れた町並みは、今やレイベール州で有数の観光地だ。
深夜と呼べる時間に、ヴィーディアは宿の部屋で、鼻歌を口ずさみながら姿見の前に立つ。
「今日はグレクさんと海釣り。何を着ていけばいいのかな」
鏡を見ながら、身体に服を合わせるヴィーディア。
ベッドには、何着もの服が無造作に広げられていた。
◇◇◇
まだ薄暗い中、俺は港へ向かう。
波の音が聞こえるが、ランプがなければ海は見えない。
ランプの明かりを頼りに、漁船が留まる桟橋を進む。
「よう、グレク」
船の準備をしているグレクに声をかけた。
「ん? マルディンか。早いな。今準備を始めたところだぞ?」
「手伝おうと思ってな」
「いやいや、大丈夫だぞ。っていっても、もう来ちまったんだったらやってもらうか」
「はいよ」
俺は桟橋にランプを置き、積荷を手伝った。
「なあ、グレク」
「んだよ」
「せっかくなんだから二人で行けよ。なんで俺も行くんだよ」
荷物を運ぶグレクの手が止まる。
「バッカ! 二人きりで釣りなんて無理だよ!」
「ガキじゃあるめーし。何言ってんだよ。観光客を釣りに連れて行くだけだろ?」
「そりゃ、そうなんだけどよ……。楽しみっつーか、眠れなかったっつーか……」
どうもグレクの様子が変だ。
頭を掻きむしったり、顔を空に向けたり、腰に手を当てたり落ち着かない。
「マルディン。俺は……、ヴィーディアさんに惚れちまったのかもしれん」
グレクは頬を紅潮させながら、視線を海に向けている。
「はあ、お前は本当にバカだな」
グレクの言葉を聞いて、俺は深い溜め息をついた。
バカだバカだと思っていたが、こいつは本当にバカだ。
「な、何だよ!」
「お前はとっくに惚れてんだよ」
「や! ……っぱり……そうかな」
俺に視線を向け、驚いた表情を浮かべるグレク。
誰もが分かりきっていたことだ。
なぜ驚くのか……。
仕方がないから背中を押してやるか。
本当に世話が焼ける親友だ。
「ヴィーディアさんは、美人で性格も良く愛想もいい。そりゃ惚れる要素しかないだろ?」
「そ、そうだよな」
「ああ、むしろ惚れないほうがどうかしてると思うぞ?」
「お前から見てどうだ?」
「俺から見て? 俺は関係ねーだろ」
「いやいや、数々の美女と付き合ったお前に聞きたいんだよ」
「付き合ってねーよ!」
「俺はマジなんだよ!」
「ちっ、人間の本性なんて分からん。何を考えてるかもな。だが、その人の瞳を真っ直ぐ見て話せば分かることもあると思うぞ」
「それで?」
妙に食いついてくるグレク。
期待してる言葉は分かる。
「ヴィーディアさんはいい女だ。お前にはもったいなくらいだよ」
「やっぱそう思う? そうだよなあ!」
グレクが手を叩いて喜んでいる。
恋は盲目とよく言ったものだ。
大切なことを忘れている。
「だがよ、何度も言うが、相手は観光客だぞ? 帰る場所があるんだぞ?」
「わ、分かってるよ。それでも……」
「つれーぞ?」
「それでもよ! 好きになっちまったもんはしょうがねーだろが!」
海に向かって叫ぶグレク。
単純で分かりやすいが、それがこいつのいいところだ。
それに、グレクの気持ちは理解できる。
俺だって恋愛経験くらいはあったし、好きになって気持ちが止まらなくなった経験だってあった。
まあ、そんなのはガキの頃だが。
「はあ、仕方ねーな。ヴィーディアさんがティルコアにいる間は応援してやるよ。上手くいくといいな」
俺はグレクの肩を叩いた。
「マルディーン! グレクさーん!」
「お、フェルリートの声だ」
フェルリートが手を振りながら、桟橋を走っている。
今日は俺、グレク、フェルリート、ヴィーディアの四人で海釣りだ。
「おはよう! 二人とも早いね」
「おはよう、フェルリート。グレクの手伝いをしようと思ってな」
「ふふ、私もだよ。グレクさん! この荷物、載っけちゃうよ!」
早朝から元気なフェルリートが、桟橋の荷物を持って船に載せていく。
揺れる船の上でも、全くバランスを崩さない。
さすがの身体能力だ。
「フェルリートはマジで可愛いなあ。お前さ、何であんなに可愛い娘と付き合わねーんだ?」
「うるせーな。ほっとけよ。ん?」
その時、気配を感じた。
少し早足で近づいてくるその足音は、歩幅が小さい。
明らかに女のものだ。
「グレクさん!」
「ヴィーディアさん!」
予想通りヴィーディアだ。
グレクの満面の笑み、というか、緩みきった表情がその想いを現していた。
準備を終えた俺たちは、薄暗い海へ出港。
今回は港内での釣りだ。
港が見える範囲だから危険はない。
ヴィーディアの竿はグレクが用意した。
餌の付け方や釣り方を説明しながら、二人で仲良くやっている。
「朝マズメって言ってね、魚が釣れやすい時間帯なんだ」
「へえ、そうなんですね。さすが漁師さん。詳しいですね」
「あ、当たり前さ! はっはっは!」
俺とフェルリートは、船の反対側で釣りを始めていた。
「ねえ、マルディン。あの二人、なんだかいい雰囲気だね」
「そうだな。なるべく二人の時間を作ってやろう」
「うん! グレクさん、彼女できるといいなあ」
フェルリートにまで心配されるグレクって……。
――
太陽が顔を出し朝マズメが終わると、少しずつ釣れなくなってきた。
「日差しも強いし、そろそろ上がるか」
船首に立つグレクが、全員を見渡した。
今日はかなりの量の魚を釣り上げている。
グレクが気合を入れて、いいポイントに船をつけたからだろう。
釣り初心者のヴィーディアも、釣りに慣れるほど釣れていた。
もちろん、俺は釣れてない。
なぜなのか……。
マジで糸巻きを持ってくればよかった……。
「あっ!」
グレクが片付けようとした瞬間、ヴィーディアの竿が反応した。
「おっ! じゃあ、ヴィーディアさんのその魚で最後だな」
「ヴィーディアさん、頑張って!」
グレクは帰りの準備を始めた。
フェルリートはヴィーディアを応援している。
俺はなんとなくヴィーディアの竿先を眺めていた。
今日だけで何十匹と釣っているヴィーディアだ。
竿捌きが上達している。
俺より……上手いかも。
ヴィーディアが魚を釣り上げた。
「残念、岩虎魚でした。グレクさん、岩虎魚はどうしますか?」
「あー。一匹だし、海に返していいよ」
「はい」
ヴィーディアが岩虎魚を針から外し、海に戻した。
「さて、じゃあ帰るか」
「はーい!」
フェルリートが元気よく返事をした。
フェルリートも大漁だ。
まあ、フェルリートは漁師ギルドに勧誘されるほどの腕を持つから当たり前だが。
「ん?」
そういえば、今日の釣りで岩虎魚を釣り上げたのは、今のヴィーディアが初めてだ。
いくら何十匹も釣ったからと言って、初心者が岩虎魚を針から外して海に投げ入れるにしては、自然すぎるように思えた。
「ヴィーディアさん、岩虎魚のことは知ってますよね?」
「はい。猛毒のお魚です。私はお魚を見るのが好きなので知っています」
「そうでしたか……」
まあ俺の考えすぎか。
釣れてない人間の嫉妬のように思えてきた。
「さあ、じゃあ帰って飯だ。魚は俺が捌くよ」
グレクがヴィーディアを見つめながら、錨を巻き上げた。
「やったー!」
両手を上げて喜ぶフェルリート。
「待て、フェルリート。マルディンの分はお前が捌けよ」
「えー、グレクさんがやってよ!」
「俺はヴィーディアさんに出すんだよ」
「ケチー。まあいいか。マルディンの好物は知ってるし。私はこの青石魚を捌くね。これ大物だもんね」
フェルリートが青石魚を手に持つ。
かなりの大物で、脂が乗っていて旨そうだ。
グレクが青石魚を指差した。
「おい、フェルリート。その青石魚、漁師ギルドで買い取るぞ。銀貨二枚でどうだ」
「えー、二枚なの? 三枚だよ!」
「ちっ、分かったよ。三枚でいい。他にもいい魚は買い取ってやるぞ」
「やったね!」
フェルリートが手を叩いて喜んでいる。
今日のフェルリートはマジで漁師並みに釣っているから、下手すりゃ金貨に届くだろう。
しかし、俺は納得できない。
「待て待て待て! フェルリート! その青石魚は俺に食わせろよ!」
「銀貨にしちゃうもーん!」
「おい! フェルリート!」
「マルディンは、この銀班鯖ね」
フェルリートが小ぶりの銀班鯖を手に取った。
「はあ? ふざけんなよ!」
「マルディンさんは釣ってませんけど? 文句を言う資格はありませんわよ? おほほ」
口に手を当て、笑っているフェルリート。
「ぐっ……。そ、それを言われると……」
「「「あはははは」」」
三人の笑い声が朝の港内に響く。
そして、俺たちは寄港した。




