第289話 失った希望と新たな未来1
◇◇◇
「ここがティルコア……」
馬車駅に降り立つ一人の女。
「朝にもかかわらず暑いわね」
強い日差しを避けるかのように、女は大きな白い帽子を被った。
白い長袖のロングワンピースが、海風によって優雅に舞う。
女は大きな革製のトランクケースを右手に持ち、景色を楽しみながら町道を歩く。
「ティルコアといえば港よね」
ティルコア最大の観光地は港だ。
揚がったばかりの新鮮な魚を販売している港の市場は、大勢の観光客が訪れる。
魚屋の他にも、その場で魚を調理した屋台も並ぶ。
市場で購入した魚を持ち込めば料理してくれる食堂もあり、港は連日賑わっていた。
そんな賑わいを見せる市場から少し離れた港の桟橋で、一人の漁師が漁船から魚を下ろしている。
漁師ギルド支部長のグレクだ。
一人で漁に出たグレクは、先程帰港したばかりだった。
「ふう、今日も暑いぜ」
太陽を恨めしそうに見上げながら、魚を運ぶグレク。
日に焼けた褐色の肌は、南国漁師の証だ。
「何が獲れたんですか?」
ワンピースの女がグレクに声をかけた。
「ん? 観光客かい? こっちは漁港で何もないぞ?」
「獲れたばかりのお魚を見たいんです」
女は微笑みながら、桟橋に置かれた木箱を覗き込む。
変わった女だと思いながらも、グレクはその笑顔に気を良くした。
「今日は大漁だ。銀班鯖、大剃鯵、青石魚。高級魚の棘白鯛も獲れたよ」
「わあ、凄いですね!」
感嘆の声を上げながら、女は別の木箱を覗き込んだ。
「こっちの箱は?」
「岩虎魚っていう毒魚だ。触っちゃダメだぞ」
「岩虎魚……」
「猛毒なんだが、こいつは今や良質な肥料になるんだよ。これからすぐに焼却するんだ」
「へえ、毒魚が肥料になるなんて凄いですね」
「ああ、領主様が考えたんだよ。今ではレイベール州の特産物なんだ。本当に凄いお方だよ」
「領主様が……。そうなんですね」
女は帽子を取り、グレクに向かって深くお辞儀をした。
年齢はグレクと同じくらいだ。
薄茶色の長髪が海風になびく。
その美しい容姿に、グレクは思わず見惚れてしまった。
「見せていただき、ありがとうございました」
「あ、ああ。構わないが、こんなもん面白くもないだろ? 市場ではもっとたくさんの魚が売られてる。買った魚を捌いてくれる食堂もあるぞ。見に行くといいよ」
「あの、もし良ければ……、一緒に見てもらっていいですか?」
「お、俺と? な、なんで?」
グレクは思わず自分の顔を指差した。
「地元の漁師さんのお話を聞きたいんです。それに、美味しいお店もご存知だと思いますし。うふふ」
「まあ旨い店は知ってるよ。でも、俺の作業は昼までかかるよ」
「待っていてもいいですか?」
「え? そ、そりゃ構わないが……」
「宿を取ってから、少し町を見てきます。また昼頃に戻ってきますので、ぜひご一緒してください」
「ま、まあいいけど……」
「ありがとうございます。うふふ」
女はもう一度お辞儀をしてから帽子を被り、桟橋を後にした。
その後ろ姿をグレクは不思議そうに眺める。
突然の誘いに困惑しながらも、表情は緩んでいた。
◇◇◇
「フェルリート。今日は早番か?」
「うん。お昼には上がるよ」
「じゃあ、市場へ行かないか? ご馳走するよ」
「市場へ? どうしたの?」
俺はギルドの食堂で、フェルリートに声をかけた。
「今日からシャルクナが不在になるんだ。だから、しばらくは外食さ」
シャルクナがしばらく皇都へ戻ることになった。
これまでの任務の報告や、各種手続きがあるという。
俺はシャルクナを馬車駅まで送り、ギルドに顔を出していた。
「そっか、シャルクナさんがいないのか。じゃあ、その間私がご飯を作るよ?」
「いやいや、それは悪いよ」
「え? 別にいいよ? どうせあの家にはラミトワもいると思うし、私もたまに遊びに行ってるもん」
自宅は部屋が余っていることもあり、娘たちに解放している。
ラミトワなんて、クエストに出ないと週の半分はうちにいるほどだ。
「そうか。迷惑じゃなければ頼んでもいいか?」
「もちろんだよ。じゃあ、お昼は市場で食べて、夕飯の買い物もしようよ」
「そうだな。フェルリートの好きなもん買っていいぞ」
「「やったー!」」
いつの間にか、俺の隣にラミトワが立っていた。
両手を上げて喜んでいる。
「私、お肉がいい!」
「港へ行くっつってんだろ」
「えー、アリーシャのお店へ行こうよ」
「ったく、肉は明日だ。今日は魚が食いたいんだよ」
「私、明日からクエストだもん」
「そうか、そりゃ残念だったな」
「まあいっか。じゃあ魚でいいよ。フェルリートの魚料理は美味しいからね」
「お前……、夕飯もうちで食う気か?」
「もちろん。最近は自分の食器も置いてるんだ。あっはっは」
「はああ。もう好きにしろよ……」
俺は大きく溜め息をついた。
――
フェルリートが仕事を終えたので、俺たちは港の市場に向かった。
「うわー、今日も混んでるね」
「ここはもう観光地だよ」
フェルリートとラミトワが、人だかりを見つめながら感想をこぼす。
その言葉通り、観光客の影響で市場はかなり混雑していた。
「ん? ねえ、マルディン。あれってグレクさんだよね?」
フェルリートが俺の腕に触れながら、前方を指差した。
後ろ姿しか見えないが、確かにグレクだ。
「ん? そうだな、ありゃグレクだ」
「え? マ、マジかよ! グレクさんが美女といる! なんで!」
ラミトワが騒ぎ始めた。
グレクの隣に白い帽子を被った女がいるのだが、後ろ姿では美女かどうか分からない。
「後ろ姿だぞ?」
「私には分かる! あの後ろ姿は絶対に美女だ!」
「まあ、確かに後ろ姿は綺麗だな」
「確かめに行こう!」
「おいおい、女といるなら放っといてやれよ」
「ダメだね! 行くよ!」
ラミトワに右手を引っ張られた。
フェルリートも興味がありそうな表情を浮かべている。
「はあ、仕方ねーな」
俺たちはグレクの後を追いかけた。




