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【書籍発売中】追放騎士は冒険者に転職する 〜元騎士隊長のおっさん、実力隠して異国の田舎で自由気ままなスローライフを送りたい〜  作者: 犬斗
第九章 夏の終わりの物語

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第288話 初めての経験

 ◇◇◇


 シャルクナの朝は早い。

 いや、早いどころか日の出の遥か前に目を覚ます。


 ベッドから出て顔を洗い、三面鏡で青紫色の髪を整え、メイド服に袖を通す。

 メイド服は今のシャルクナの仕事着だ。


 この家の主人であるマルディンは、日の出前から早朝トレーニングへ行く。

 当然、シャルクナは見送る。

 マルディンから見送りは必要ないと言われているが、メイドの仕事だと頑なに受け入れなかった。

 シャルクナはあまりにも真面目で、融通が効かない。


 マルディンを見送ったあとは、黒風馬(ルドフィン)のライールに餌を出し、厩舎の清掃だ。

 そして広い屋敷を掃除していく。


 トレーニングに出た日のマルディンは、港で朝食を取るため用意する必要がない。

 そのため、普段の朝食はシャルクナの分だけを作る。

 といっても、前日の食事の残り物で作り直すだけだ。

 シャルクナの食事は驚くほど質素だった。

 マルディンからは自由にしていいと言われているし、もっと良いものを食べろと注意される。

 だが、頑なに拒否していた。


 今日のマルディンは、丸一日トレーニングを行うそうだ。

 朝食を終えたシャルクナは、一階の仕事部屋で本来の業務を行う。

 特殊諜報室(ホルダン)の連絡係として情報の整理や各種報告、マルディンの報酬管理なども含まれている。

 一通りの書類を作成して庭へ出ると、連絡用のBランクモンスター、大鋭爪鷹(ハースト)が専用の止まり木に大人しく待機していた。


 この大鋭爪鷹(ハースト)はマルディンが連絡用に飼育しており、千キデルト離れた皇都へ半日で飛行する。

 緊急時は一日かからず往復するという、非常に優秀な大鋭爪鷹(ハースト)だった。


「これが書類です。頼みましたよ」

「クワアア」


 大鋭爪鷹(ハースト)の足に書類が入った筒を取り付けると、真っ青な大空へ飛び立った。


 そろそろ太陽が頭上に来る頃だ。

 シャルクナは夕飯の買い物のために、港の市場へ向かった。

 そこで漁師のグレクと遭遇。


「グレク様、いつもお世話になっております」


 深くお辞儀をするシャルクナ。


「シャルクナさん! いつも言ってるだろ! 様はやめてくれって!」


 だが、シャルクナは頑なに拒否している。

 マルディンのメイドという姿勢を崩さない。


「なあ、シャルクナさんって、昼飯はどうしてるんだ?」

「夕飯の準備をしながら、済ませております」

「ってことは、一人で食ってんのか?」

「左様でございます」

「そうか。じゃあさ、今日は港で食っていきなよ」

「え? 港でですか?」

「ああ、食べさせたい魚があるんだよ」

「し、しかし……」

「大丈夫さ。マルディンは今日一日トレーニングだろ? 朝会ったんだけどさ、そん時にシャルクナさんに食わせたい魚があるって伝えてあるんだ」

「そうでしたか。かしこまりました」


 お辞儀をしたシャルクナを見て、グレクが振り返った。


「おい! シャルクナさんが食べるぞ!」

「「「マジっすか!」」」


 若い漁師たちが色めき立った。

 シャルクナはその容姿と佇まいから、若い漁師に絶大な人気を誇っている。

 何人かの漁師は、本気で恋をしているようだ。


「今朝、一角鮪(グラーダ)が水揚げされたんだよ。うちの港じゃ、週に数本揚がる程度だからな。なかなか珍しいんだ。赤身が濃厚で旨いよ」


 港に設置されているテーブルで、シャルクナは十人ほどの漁師たちと一緒に、いくつもの一角鮪(グラーダ)料理を堪能。

 シャルクナは感情を表情に出さないが、内心では一角鮪(グラーダ)の味に感動していた。


「あの、グレク様。一角鮪(グラーダ)の赤身を購入したいのですが、売っていただけますか?」

「はは、気に入ったか。今日の夕飯にするのかい?」

「はい。マルディン様にも食べていただきたいです」

「ちっ、あの野郎……。羨ましい限りだぜ」


 さすがにグレクが嫉妬した。

 若い漁師たちの額には血管が浮き出たほどだ。


 ――


 シャルクナは一角鮪(グラーダ)の赤身を購入し帰宅。

 さっそく夕飯の準備に取りかかる。

 仕込みを終え、あとは夕飯の直前に仕上げの調理をするだけだ。


 シャルクナは自室へ戻り、一旦メイド服を脱ぎ、動きやすい稽古用の服に着替えた。

 地下室へ向かい、愛用の両断剣(ツヴァイヘンダー)を握る。

 剣の長さは自分の身長と同じくらいで、剣幅は十五セデルトにも及ぶ大剣だ。

 それをシャルクナ独自の方法で振り回す。

 遠心力を利用した剣技だった。


「ここにいたのか?」

「マルディン様! おかえりなさいませ。お出迎えせずに大変失礼いたしました」


 深く頭を下げるシャルクナ。


 マルディンがいつもより早く帰ってきたのか、両断剣(ツヴァイヘンダー)を振る時間が長かったのか、珍しくシャルクナには判断できないほど集中していた。


「いいって、気にすんな。それより剣の稽古か?」

「はい。あの、マルディン様。失礼を承知で……お願いがあるのですが……」

「ん? 何でも言ってみろ」

「手合わせいただいてもよろしいでしょうか?」

「お、いいぞ!」


 シャルクナは、マルディンのトレーニング内容を知っている。

 あまりに壮絶で、常人なら午前中の時点で倒れるような内容だ。

 あのトレーニング後に剣を握るなんて人間には不可能なのだが、それでもシャルクナは、マルディンに稽古をつけてもらいたかった。

 シャルクナ唯一のわがままだ。

 それもそのはず、世界三大剣士に数えられる自国最強の皇帝陛下ですら、敵わないと言わせる剣士が目の前にいるのだから。


 二人は数回試合をした。

 疲れ切っているはずのマルディンに、シャルクナは一度も勝てない。

 それでも得るものが大きく、剣士としてのマルディンに対し、より強く尊敬の念を抱くシャルクナだった。


 稽古を終え、シャルクナは再びメイド服に着替えた。

 そして夕飯の用意だ。


「こりゃ旨いな!」

「はい。グレク様に教えていただいた一角鮪(グラーダ)です」

「あー、そういや今朝会った時、シャルクナに食わせたい魚があるって言ってたな。それが一角鮪(グラーダ)だったか」


 シャルクナは、メイドの役目を徹底しており、マルディンと同じ食卓にはつかない。

 だが、マルディンとしても、この広いリビングで一人で食事をしながら、隣でシャルクナに見られるのは苦痛だ。

 そのため、夕飯だけでも一緒に取るように指示していた。


「なあ、シャルクナ。少し飲まないか?」

「え? マルディン様はトレーニングをされてますが……」


 トレーニング後に酒を飲むと、効果が落ちると言われている。


「まあ今日は特別だ。こんなに旨いものを食ったら飲まないわけにはいかんよ。あっはっは」

「かしこまりました。それでは地下室から葡萄酒をお持ちします」

「待て待て。俺が行く」


 マルディンが席を立つ。


「なあ、シャルクナ。この一角鮪(グラーダ)に合う酒はなんだと思う?」

「え? あの……」


 試されていることに気づいたシャルクナ。

 濃厚な一角鮪(グラーダ)の赤身と、マルディンの好みから品種を考える。

 地下室にはいくつもの高級葡萄酒が保管されていた。

 だが、シャルクナは別の酒が思い浮かんだ。


「葡萄酒ではありませんね? 火酒です。それもジェネス王国北部のものです」

「あっはっは! よく分かったな! その通りだよ。待ってろ、今持ってくる」


 正解して胸を撫で下ろすシャルクナだった。


 マルディンが地下室へ行っている間に、シャルクナはグラスを二つ用意。

 そして、火酒で乾杯した。


 食事をして酒を飲みながら、今日あったことなど他愛のない話を交わす。


「じゃあ寝るかな。シャルクナ、片付けは明日でもいいぞ。早く寝ろよ?」

「ありがとうございます」


 食事を終え、マルディンは二階の自室へ向かった。


 シャルクナはマルディンの言いつけを守らず、完璧に片付けを済ませた。

 風呂に入り、自室で髪の手入れをする。

 家具とベッドしかない部屋なのだが、質素すぎるとマルディンが用意した三面鏡の前に座る。


「今日も……楽しかったな。うふふ」


 ベッドに入り、美しい切れ長の瞳を閉じる。

 シャルクナは明日の夕飯のメニューを考えながらも、何も決まらず、すぐに深い眠りについてしまった。


 真面目なシャルクナにとって、実は初めての経験だった。


 潜入先で任務が楽しいと思えることが。

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