第29話 台風が運んでくるもの1
「まだ朝なのにあちーな」
雲一つない青空。
強烈な太陽の光が肌を刺す。
熱された空気は身体にまとわりつき、まるでピッツァを焼く釜の中にいるようだ。
間違いなく気温は体温よりも高い。
「南国の夏はヤバいぞ」
極寒の北国からエマレパ皇国へ来て一年。
この港町へ流れ着いてから半年が経過。
冬は温暖で快適だったが、初夏ですら想像以上の猛暑だ。
自宅からギルドに向かって歩いてると、高台の町道に元漁師のアラジ爺さんが立っていた。
「アラジ爺さん、おはよう」
声をかけても爺さんは微動だにせず、海を眺めている。
「爺さん、どうした?」
口は開いたままで、呼吸すら忘れているようだ。
大丈夫だろうか。
暑さにやられたか?
「おい! 爺さん!」
「あ、ああ。マルディンか。なんじゃ、どうした」
「それはこっちの台詞。何度も声かけたんだぞ? ボケたか?」
「何を言っておる! まだまだ現役じゃ!」
「あっはっは、そりゃ良かった。海を眺めて動かないから、マジで心配しちまったよ」
「心配か……。ちとまずいかもしれん」
「何がだ?」
「台風が来る」
「台風? ウソだろ? 雲なんて一つもないぞ?」
「儂はこの町で五十年漁師をやっておったのじゃぞ。天気の読みは町一番じゃ」
「確かにそうだな」
元漁師のアラジ爺さんは、急激な天気の変化も言い当てる。
天気に関しては、冒険者も爺さんに意見を求めるほどだ。
「儂は町役場へ行く。こりゃ対策が必要じゃ」
「それほどか。じゃあ俺もついてくよ」
爺さんと二人で町役場へ向かう。
受付で町長に会いに来たことを伝えると、すぐに通してくれた。
小さな町だから簡単に町長と会うことができる。
それに町長とアラジ爺さんは幼馴染だという。
町長室へ入ると、老眼鏡をかけた老人が机で書類に目を通していた。
町長のクシュルだ。
「ん? なんじゃアラジか。マルディンもいるのか。珍しいの。どうした?」
「クシュル、台風が来るぞ」
「台風……」
クシュルの動きが止まった。
「な、なんじゃと! 例年より早くないか?」
「ああ、間違いない。火を運ぶ台風じゃ。しかも今年は大きいぞ。ありゃ十年に一度の規模じゃな」
「そ、それほどなのか。分かった。漁師ギルドのギルマスにも意見を聞こう。お主らついてくるんじゃ」
クシュルが俺に視線を向けた。
「ああ、構わんよ」
クシュル、アラジ爺さん、そして俺の三人は、町役場を出て港へ続く町道を進む。
晴れ渡った青空を見上げると、台風が来るとは思えない。
「なあアラジ爺さん。火を運ぶ台風と、通常の台風は何が違うんだ?」
「台風は二種類あるんじゃよ。竜種が起こす台風と自然発生の台風。火を運ぶ台風は毎年決まった時期に発生する自然台風じゃ」
アラジ爺さんが、火を運ぶ台風と通常の台風について詳しく説明してくれた。
◇◇◇
火を運ぶ台風
毎年初夏に南方の外洋で発生する巨大な自然台風。
火を運ぶ台風が通過すると、南方から熱い空気が流入。
そのためエマレパ皇国のマルソル内海沿岸部では、火を運ぶ台風の発生が夏の始まりと言われている。
数年前までマルソル内海で発生する台風のほとんどは、マルソル内海に生息していた竜種の水竜ルシウスが引き起こしていた。
竜種とは世界を作る神の如き存在で、破壊を司ると言われている。
創造を司る始祖と並んで、この世の生物の頂点に立つ。
だが数年前に、一人の冒険者によって水竜ルシウスは討伐され、マルソル内海は非常に穏やかな海へと変わった。
それでも年に数度、台風は上陸する。
最新の研究によって現在のマルソル内海の台風は、自然発生と、南の外洋に生息する竜種による二種類が存在すると判明。
火を運ぶ台風は、自然発生する台風の代表格として知られている。
◇◇◇
「なるほど。その火を運ぶ台風ってのが来ると、本格的に夏が始まるのか」
「そうじゃ。お主、今も暑い暑い言うとるが、火を運ぶ台風が過ぎたら耐えられないかもしれぬぞ。ふぉふぉふぉ」
「そ、そんなにか?」
「うむ、北国生れのお主には酷じゃろうて」
今も暑くて死にそうなのだが、これ以上暑くなるのか。
想像できない。
「アラジ! せっかくの移住者を脅すでない!」
「何じゃクシュル、本当のことを言ってるだけじゃろう!」
幼馴染の二人はよく言い争う。
いくつになっても仲が良さそうで何よりだ。
「あっはっは。大丈夫だよ。暑くても俺はこの町が気に入ってる」
この町に移住して初めての夏。
アラジ爺さんの言う通り、暑さに苦労するだろう。
だが、俺は乗り切るつもりだ。
「ほれみろ、クシュル」
「うるさいわ」
三人で話しながら歩いていると、前方に港が見えた。
美しい翠玉色の海に、太陽の光が反射している。
それはまるで、緑鉱石の宝石を散りばめたような輝きだ。
港の正面に建つ漁師ギルドに到着。
頑丈な石造りの二階建てで、玄関を中心として左右に長く伸びている。
まるで堤防のような形状は、実際に海風や波飛沫から港の市場を守るように設計されているそうだ。
以前はもっと小さな建物だったが、漁が盛んになり拡張。
今では町役場よりも大きく、この町一番の建物として観光名所にもなっていた。
「ここも大きくなったのう」
「水竜ルシウスが討伐されてから、漁師ギルドは収益が格段に上がったからな」
漁師ギルドは世界的規模の冒険者ギルドと違い、ティルコアの漁師だけで運営している小規模ギルドだ。
だが、その収益は町の年間予算を超えるらしい。
受付で要件を伝え、ギルマスの部屋へ入る。
ギルマスも、アラジ爺さんやクシュルと幼馴染だ。
机で書類仕事をしている老人が手を止めた。
いや、老人と呼ぶには違和感を感じるほどの筋肉質な厚い胸板と太い腕。
真っ黒に焼けた肌に、白色の短髪が印象的な人物だ。
「アラジとクシュルか。二人揃ってどうした?」
「イスム! 大変じゃぞ!」
「アラジの言いたいことは分かるぞ。火を運ぶ台風だろ?」
「なんじゃ、お主も気づいたか」
「当たり前だ。何年漁師をやってると思ってる。早々に引退したお前とは違うわ」
「何を言うか!」
「がはは、俺はまだまだ現役の漁師だ」
言い争う二人を見て、クシュルが呆れたように大きく息を吐いた。
「くだらない言い争いをするでないわ」
俺には幼馴染同士で仲良く会話してるようにしか見えない。
本当にこの町の爺さんたちは元気だ。
魚を食うと元気になるのだろうか。




