第252話 夏の始まり2
俺とラミトワは、アリーシャの肉屋へ向かった。
「あ、マルディン見て。アリーシャが店番してるよ」
「本当だ。珍しいな」
アリーシャは人気の解体師だ。
しかも特定のパーティーを組んでいないので、クエストのオファーが次から次へと入るという。
だが、今日はアリーシャが店番をしている。
「アリーシャ。店番か?」
「マルディン!」
アリーシャが店のカウンターから外に出てきた。
クエスト時の服装とは違い、長いスカートのワンピースにエプロンをしている。
スカートの裾が、少し強くなってきた風になびく。
金色の美しい髪は、いつものように一本の三つ編みにして右肩から前に出していた。
この清楚な姿から、解体師なんて想像できない。
どう見ても店の看板娘だ。
「火を運ぶ台風が通過するまで、クエストを断っているんです」
「そうか。ギルドも近日中にクエストを禁止すると言っていたしな。風も出てきたし、懸命な判断だ」
「ありがとうございます。ところで、マルディンが買い物なんて珍しいですね」
「火を運ぶ台風が来るから、食料の買い出しだよ」
「ということは、今年は自宅で過ごすんですか?」
「そうだ。ラミトワとフェルリートが、家に避難することになった。フェルリートはアリーシャも誘いたいと言っていたんだ。一緒に来ないか?」
「そうでしたか。私は毎年フェルリートと一緒に避難するので、フェルリートが行く場所へ行きますよ」
アリーシャとフェルリートは本当の姉妹のような関係だ。
きっとフェルリートが一人にならないように、昔からアリーシャが一緒に避難していたのだろう。
「やった! アリーシャも決定だ! 大きい肉! 大きい肉を用意して!」
「はいはい。ちゃんと用意しますよ。ラミトワは避難前に家へ寄って、肉を運んでくださいね」
「うん! もちろんだよ!」
アリーシャがラミトワの頭に手を乗せながら、俺に視線を向けた。
「マルディン、他にも避難する人たちはいますか?」
「今のところはいないが、増えるかもしれんな」
「では、多めに用意したほうがよさそうですね」
「ああ、そうしてくれ」
もし食材が余っても、家で使うから問題ない。
その後、具体的な予算や分量について話し合った。
肉の種類はアリーシャに全て任せる。
「じゃあ、アリーシャ。頼んだぞ」
「はい、分かりました。買い物楽しんでくださいね」
「ああ、ありがとう」
ラミトワが両手を腰に当て、背筋を反らしながらアリーシャを見上げていた。
「これからドーナツの材料を買うんだ!」
「あら、いいですね。私にも食べさせてくださいね」
「じゃあ、アリーシャが作って!」
「ふふふ、分かりました。長爪鶏の卵を買っておいてくださいね。凄く柔らかいドーナツになりますよ」
「分かった!」
ラミトワが元気よく返事をしているが、金を払うのは俺だ。
まあでもアリーシャのドーナツは旨いから、たくさん作ってもらおう。
俺たちは町の市場へ向かった。
――
ついに火を運ぶ台風が上陸した。
火を運ぶ台風の避難場所は、町役場、漁師ギルド、冒険者ギルドだ。
俺の家は避難場所ではないが、災害に強い建物ということで、フェルリート、アリーシャ、ラミトワ、リーシュ、ティアーヌが避難していた。
いや、避難というのだろうか……。
リビングで、それぞれがまるで自宅にいるようにくつろいでいる。
フェルリートはシャツを縫っていて、ラミトワは地図を広げて勉強だ。
リーシュは設計図を描き、ティアーヌは書類作成に勤しんでいる。
俺はキッチンのカウンターテーブルで、みんなの様子を眺めながら珈琲を飲む。
「火を運ぶ台風でも、この家は全く問題ないな」
自宅の窓ガラスは板で保護しているが、そもそもが頑丈な作りなので、それ以外は特に補強をしていない。
火を運ぶ台風の猛烈な暴風雨でも、部屋の中では多少の風切音が聞こえるだけだ。
家の中は驚くほど快適だった。
上陸からすでに二日ほど経つが、特にトラブルは起きていない。
「マルディン、今日の夕飯の仕込みが終わりました」
アリーシャがキッチンから姿を見せた。
「アリーシャに仕込みをやらせてすまんな」
「いえ、とんでもないです。家でたくさん買っていただきましたしね。ふふふ」
アリーシャはシャルクナと一緒に調理をしていた。
食材は豊富に用意している。
アリーシャの肉屋から大量に購入したし、漁師ギルドからも魚を分けてもらえた。
避難生活の数少ない楽しみが食事だ。
そのため、アリーシャはいつもよりも豪華な食事を作ってくれていた。
「マルディン。漁師ギルドの予報では、今年の火を運ぶ台風は進行が速いようです。ですので、あと三日ほどで通過すると思います」
「あと三日か。今年の被害はどうなんだろうな」
「ここにいると全く感じませんが、今年の勢力も相当強いですね」
「そうか。怪我人が出てなければいいな」
「そうですね。レイリアさんが暇になるといいのですが」
レイリアは医師として、町役場で待機している。
昨年の俺は怪我をして世話になった。
「さて、俺は厩舎を見てくるよ」
「気をつけてくださいね」
「ああ、大丈夫だ。ジルダが地下道を作ってくれたからな」
石工屋のジルダが、屋敷の地下室と厩舎を繋ぐ地下道を掘ってくれた。
これで濡れずに厩舎まで行ける。
「本当に凄いお家ですね」
「そうだな。ジルダのおかげだよ」
「マルディンの周りって、凄い人ばかりが集まりますよね?」
「そうか? うーん、もしそうなら、その最たる人物はアリーシャだな」
「も、もう! からかわないでください!」
「あっはっは。ギルマス唯一のお弟子様だ。お前が一番凄いに決まってるだろう」
アリーシャが珍しく、俺を睨みつけていた。
もちろんそれは照れ隠しだ。
それに美人が睨んでも、ただ綺麗な表情を浮かべているだけで何も怖くない。
避難生活だというのに、昨年とは違い、ゆったりと時間は過ぎていく。




