第251話 夏の始まり1
「マルディン。火を運ぶ台風の予報が出たぞ。一週間後に上陸する」
ギルドへ顔を出すと、ロビーで副支部長のパルマが声をかけてきた。
「ついに火を運ぶ台風が来るのか」
マルソル内海南部は、毎年初夏に火を運ぶ台風と呼ばれる巨大な自然台風が発生する。
猛烈な暴風雨は家屋を破壊し、港に係留している船をも陸に上げてしまう。
その被害は死者を出すほどだ。
そして、夏の到来を告げることでも知られていた。
火を運ぶ台風が通過すると、この地方は本格的な夏が始まる。
「マルディン、今年の避難はどうするんだ?」
「自宅で過ごすつもりだよ」
「そうか、豪邸だしな。災害にも強いんだろ?」
「ああ、海の石のみんなが、自信を持って建ててくれた家だからな。火を運ぶ台風にも負けないと言っていたし、安心して家で過ごせるってもんさ」
「いいねえ。去年は大変だったからな。ゆっくりしてくれ」
「ああ、ありがとう」
「何人かはそっちへ行きたがるんじゃないか?」
「まあ、そうなったら受け入れるよ。災害だしな」
「ギルドのことは任せてくれ」
「頼りにしてるぜ、副支部長」
俺はパルマの肩を軽く叩いた。
食堂へ向かうために振り返ると、目の前で元気に手を挙げている娘がいた。
「はい! 私! 行きます!」
「出たな、ラミトワ。っていうか、お前は昨年ギルドにも避難してなかっただろ? 家にいろよ」
「昨年と今年は違うであります! 今年は避難を考えております!」
どうせ、家に来たいだけだろう。
最近は俺が不在の時も、どうやら家に来ているらしい。
「シャルムも連れて行くであります!」
「そうか。シャルムと一緒か。まあ家の厩舎は頑丈だからな。分かった、いいぞ」
「ありがとうございます!」
「良かったな。お前も厩舎でシャルムと一緒に過ごすんだぞ」
「なんでだよ!」
ラミトワが俺に飛びつき、腹を殴ってきた。
もちろん、何も痛くない。
「ははは。じゃあ、よろしくな。マルディン」
「はいよ」
パルマと別れ食堂へ移動すると、カウンターでフェルリートが洗い物をしていた。
ラミトワが早足でフェルリートに近づく。
「フェルリート。私は火を運ぶ台風の避難で、マルディンの家に行くよ」
「え? マルディンの家に行くの?」
「うん! おっさんが来いってうるさくてさ。もうやんなっちゃう」
左手を腰に当て、右手で肩をすくめるラミトワ。
目を見開き、絶妙にムカつく表情を浮かべている。
「言ってねーけどな」
ラミトワを素通りし、俺はカウンターに座る。
珈琲を注文すると、フェルリートが俺に視線を向けた。
「ねえ、マルディン。私も行っていい?」
「もちろんだ。元々、お前を誘うつもりだったしな」
「ありがとう。やっぱり怖くて……」
フェルリートは台風で両親を亡くし、小さい頃から一人暮らしをしている。
それ以来大きな台風が来ると、町役場へ避難していたそうだ。
冒険者ギルドに就職してからは、ギルドへ避難している。
「うるさい奴もいるが、それは我慢してくれ」
隣に座ったラミトワが、俺の顔を見上げた。
「私のこと?」
「他にいるか?」
「なんでだよ! こんなにおしとやかな美人なのに!」
「ほら、もううるさいんですけど?」
「おっさんのせいだろ!」
「おしとやかな女性は、そんな言葉遣いをしません」
「うるせーな! マルディンのバカバカバカ!」
ラミトワが俺の腕を何度も叩く。
フェルリートは特に気にした様子もなく、淡々と珈琲を淹れていた。
まあいつものことだ。
「はい、珈琲だよ。ご飯も食べていく?」
「あー、そうだな。せっかくだし食っていくか」
俺はフェルリート特製のカレーを注文。
いつものように黒森豚のスペアリブをトッピングだ。
ラミトワも俺の真似をして注文していた。
完成したカレーが運ばれてくると、ラミトワが猛烈な勢いでスプーンを口に運ぶ。
確かにフェルリートのカレーは旨いから、その気持ちは分からないでもない。
フェルリートはそんなラミトワを全く気にせず、俺に視線を向けた。
「ねえ、マルディン。アリーシャを呼んでもいいかな?」
「もちろんさ。あ、じゃあ、アリーシャの店で肉を買っておくか」
「そうだね。みんなでお金を出し合って買おうよ」
「それくらい俺が出すって」
「え? 悪いよ」
ラミトワがスプーンを運ぶ手を止めた。
真顔で俺を見つめている。
「え? 出すの?」
「お前は出せよ」
「はあ! なんでフェルリートはよくて、私はダメなんだよ!」
「ラミトワは特別な存在なんだよ」
「もう! 私のことが好きだからって、いっつもいじめる! 腰痛おっさんなんてこっちからお断りだっつーの!」
「じゃあ来ないのか?」
「行くよ! バカ!」
「はいはい、金貨一枚になります」
「たけーよ! バカ!」
ラミトワがスプーンを握りしめながら、椅子から飛び降りた。
俺を睨みつけている。
もちろん、金なんて取るつもりはない。
「おい、ラミトワ。お前、今日の仕事は?」
「え? 今日? もう終わりだけど」
「飯食ったら買い出しに行くぞ」
「やった! 買い出しだ! 黒糖ドーナツの材料も買おうよ!」
「ドーナツか。いいぞ」
「やった! やった! マルディン、結婚してあげる!」
スプーンを握りながら、いつもの変なダンスを始めたラミトワ。
「それは断る」
「なんでだよ!」
「お前よりドーナツが好きだからな」
「ふざけんじゃねー!」
ラミトワの叫び声が食堂に響くと、フェルリートが腹を抱えて笑っていた。




