第250話 独身おっさんたちの憂鬱2
「ん? お前ら何してんだ?」
早朝トレーニングを済ませたマルディンが入店してきた。
「よう、マルディン」
「朝のトレーニングか。精が出るねえ」
グレクとジルダが、手を挙げてマルディンに声をかけた。
「グレクは漁の帰りか。お疲れさん。ジルダは家の工事の前に朝飯か。いつもありがとうな。で、パルマは? アミルさんの朝飯は?」
「アミルは体調が悪いんだ」
「そうか。レイリアに診てもらったか?」
「ああ、大丈夫だってさ」
「そりゃ、良かった」
マルディンが話していると、後ろから青紫色の長髪をなびかせた女性が入店した。
「皆様、おはようございます」
店にいる客に対し、深く一礼したシャルクナ。
メイド服ではないが、その所作はメイドそのものだ。
凪の嵐の件で、シャルクナが普通のメイドではないことが知れ渡った。
そのため、近頃はマルディンの早朝トレーニングに参加している。
諜報員という正体は隠しているものの、誰も不審に思わない。
「シャルクナさん! こちらにどうぞ!」
「こっちですよ!」
「いや、こっちこっち!」
若い漁師たちが競うように、シャルクナを自分のテーブルに呼び寄せている。
シャルクナはよく港の市場で買い物をするため、漁師たちに人気があった。
「「てめえはこっちだよ!」」
グレクとジルダがマルディンの腕を引っぱり、同じテーブルに座らせた。
「てめえ、いい加減にしろよ!」
「いつもいつも美女ばかり独占しやがって!」
二人の言いがかりに、マルディンは全く身に覚えがない。
「何のことだ?」
「お前には世話になってるが……。今日こそぶん殴ってやる!」
「そうだ! 石工屋を舐めんなよ!」
「おいおい、突然どうしたんだ?」
グレクとジルダが同時に立ち上がった。
「「俺の」」
「レイリア先生を」
「アリーシャさんを」
「「を返せ!」」
二人の様子を見て、まずはテーブルに置かれた麦茶を飲み干したマルディン。
そして、大きく息を吐くと、いつもの穏やかな表情が剣士のそれへ変化した。
「俺とやるってのか? お前ら、覚悟はできてんのか?」
「ちょっ! マルディンやめろって!」
パルマが焦りながら仲裁に入る。
勝敗は火を見るよりも明らかだ。
焦りながら、パルマはマルディンの肩を右手で抑えた。
「先輩らも落ち着けって! 勝てるわけないだろ!」
パルマは続いて、グレクとジルダに向かって左手の手のひらを向けた。
「いーや、今日という今日はもう許さん!」
「そうだ! アリーシャさんだけじゃなく、シャルクナさんみたいな美人もはべらかせやがって!」
二人はパルマの静止も聞かず、マルディンを睨みながら扉を指差した。
「表に出ろ! この野郎! 地下道に埋めてやるわ!」
「てめえなんて、魚の餌にしてくれるわ!」
「いいだろう。お前らがすぐに結婚できるように、来世へ送ってやるよ」
三人が扉に向かって歩き出そうとした瞬間、ただならぬ雰囲気を感じたシャルクナが席を立つ。
すぐさまグレクとジルダの前に立ち塞がった。
「マルディン様、私がお二人のお相手をします」
「え? お、お前が?」
「はい。マルディン様に降りかかる火の粉は、全て私が対処いたします。ご安心ください」
シャルクナから放たれた殺気を感じ取ったマルディン。
これは諜報員の、いや殺し屋の殺気だ。
マルディンの額から、一筋の汗が流れる。
「い、いや、シャルクナさん? そんな本気にならなくても……」
「お任せください。お二人を来世にお送りすればいいのですね?」
「ち、ちが!」
シャルクナの説得を諦めたマルディンは、すぐさまグレクとジルダに視線を向けた。
「お、お前ら! 早くシャルクナに謝れ! 殺されるぞ!」
シャルクナは、殺気を放出して食堂の空気を支配した。
「「う、うう」」
無表情のシャルクナの気迫に押されたグレクとジルダは、全身から尋常ではない脂汗が噴出している。
すぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。
なぜかパルマまで一緒に頭を下げている。
「「「「すみませんでした!」」」
三人が同時に声を出した。
謝罪する三人を見つめたシャルクナが振り返り、マルディンの顔を見上げる。
「マルディン様も謝罪してください」
「なんでだよ!」
「皆様と仲良くしてください」
シャルクナの殺気は、マルディンにも向けられていた。
「くっ……」
「謝罪してください」
「分かったって! それを出すな!」
激しくなったシャルクナの殺気に耐えかねたマルディンは、深く頭を下げた。
「す、すまなかった」
二人に対して謝罪したマルディン。
「これで仲直りですね。良かったです」
シャルクナが満面の笑みを浮かべた。
美しくも柔らかい笑顔だ。
普段から滅多に笑顔を見せないシャルクナにしては珍しい。
この表情を見ることができた漁師たちは幸運だろう。
若い漁師たちは、「今日も頑張れる!」と興奮していた。
「それでは食事にしましょう」
マルディンを席に座らせ、シャルクナはその隣に腰を下ろした。
当然シャルクナも、マルディンたちが本気で喧嘩をするなど思っていない。
ただ早く朝食を食べたかっただけだ。
「私は大盛りでお願いいたします」
騒動に驚いていたマスターに向かって、シャルクナは平然と伝えた。
「か、かしこまりました!」
厨房へ走るマスター。
この時グレクとジルダは、シャルクナを怒らせてはいけないと痛感した。
「じゃ、じゃあ、俺は船の片付けが残ってるから行くよ」
「お、俺もだ。マルディン、勝手に作業始めてるぞ」
二人は足早に店を出た。
恐る恐るシャルクナに視線を向けるマルディン。
「シャ、シャルクナさん。もう一品おかずをつけてもいいですよ」
「いいのですか? ありがとうございます」
マルディンもまた、シャルクナを怒らせないようにしようと心の中で誓った。
――
先に店を出たグレクとジルダが、肩を並べながら重い足取りで港を歩く。
「なあ、ジルダ。やっぱりマルディンってすげーな」
「ああ、あんなおっかねー女性と一緒に暮らしてんだぜ?」
「俺には無理だな」
「俺もだ」
二人は同時に足を止めた。
「俺は普通の人がいい……」
「同感だ……」
肩を落とす二人。
「グレクさん! おはようございます!」
一人の若い娘が、グレクに声をかけてきた。
「ああ、おはよう」
「そういえば、飲み会はまだですか? 友人たちが早くって催促してましたよ。待ってますねー」
娘は走って市場へ向かった。
「今の誰? 飲み会?」
「市場で新しく働き始めた娘だよ。飲み会しようって話してたんだ。お前も来るか?」
「マジか! 行く行く!」
「結構可愛いだろ? あの娘の友人も期待できるぞ」
「うおー、やる気出た!」
「じゃあ、予定立てとくぜ」
「頼んだ!」
二人の立ち直りは早い。
軽い足取りで、仕事へ向かった。
◇◇◇




