第249話 独身おっさんたちの憂鬱1
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ティルコア港には、漁師が利用する食堂がある。
新鮮な魚を、安く大盛りで提供することで人気だ。
もちろん漁師以外も利用は可能だが、早朝の客は漁師だけだった。
深夜の漁から帰港したグレクが、食堂で朝食をとっていた。
店のマスターが厨房から顔を出す。
「グレクさん! 今日の大剃鯵は脂が乗ってたよ!」
「だろ、マスター。今が旬だしな。それに、今年は例年に比べて大きいんだ」
「そうか、明日も頼むよ! お! いらっしゃい!」
店の扉が開くと、マスターが声を張り上げた。
「ジルダさんか。珍しいねえ」
「ちょっと朝から仕事でね。マスター、今日のオススメは?」
「活きのいい大剃鯵が入ったんだよ。グレクさんが獲ったんだ」
「お、いいね。じゃあそれを頼むよ」
「はいよー」
店に入ってきたのは石工屋のジルダだ。
ジルダはすぐにグレクに気づき、向かいの席に腰を下ろした。
「ようグレク。調子はどうだ?」
「ぼちぼちさ。それより、お前がこの店に来るなんて珍しいな。どうしたんだ?」
この二人は同い年の幼馴染で、親友であり、昔からの悪友だ。
「ああ、マルディンの家を工事していてな。今日もこれから行くんだよ」
「工事? 家は完成してるだろ?」
「今は地下道を掘ってるんだよ。そろそろ火を運ぶ台風が来るから、その前に完成させたいんだ」
「地下道? そんなの掘ってどうすんだ?」
「厩舎と地下室を、地下道で繋ぐんだ」
「なるほどね。台風でも厩舎に行けるようにするのか」
「そうだ。あいつの黒風馬って、皇帝陛下から賜ったらしいからな。そんな貴重な馬だから、いつでも様子を見に行けるようにしてるんだ」
「その話は聞いたよ。あいつマジで凄すぎんだろ」
田舎の庶民にとって、皇帝陛下なんて伝説上の人物に等しい。
ほとんどの人間は、目にする機会すらなく生涯を終える。
「凄いっていやあ、あいつ、海賊を壊滅させたんだって?」
「まあ色々あってな」
「あいつ、前は怒れる聖堂を壊滅させたんだぜ」
「お前が大怪我したやつだろ」
「そうだよ。俺は数人にやられて死にそうになったってのに、あいつは一人で組織ごと潰したんだ。信じられんよ」
ジルダは以前、マルディンと怒れる聖堂に関わったことがあった。
ジルダの生死をさまようほどの大怪我に、マルディンは激昂。
怒れる聖堂を壊滅させた。
そして先日、ティルコアの漁船を襲った凪の嵐に激怒したマルディンは、そのままアジトへ乗り込み凪の嵐を壊滅させた。
グレクはその漁船に乗船しており、剣士の表情に変貌したマルディンを目の当たりにしていた。
「あいつは特別だと思うぞ。まあでも、今回はシャルクナさんと、ティアーヌさんも一緒に行ったんだよ」
「え! マジかよ! シャルクナさんってメイドじゃないのか?」
「分からん。だけど、マルディンの家で住み込みのメイドをやるくらいだ。普通じゃないんだろうよ」
「そうだよなあ……」
朝からマルディンを話題にする二人。
二人ともマルディンの親友だが、知らないことは山ほどある。
もちろん、マルディンがどれほど凄い人物でも、その友情は変わらない。
「ん? 先輩たちじゃん。二人揃って何してんの?」
「なんだ、パルマか。珍しいな」
二人に声をかけたのは、冒険者ギルドの副支部長パルマだ。
パルマは二人の後輩で、年齢は一つ下になる。
とはいえ、社会に出た今は、幼馴染みとして対等に付き合っている。
「アミルの体調が悪くて、寝かせてるんだ」
「マジかよ。アミルちゃんは大丈夫か?」
「ああ。昨日、レイリア先生が往診してくれたよ。季節の変わり目で体調を崩したそうだ。数日寝てれば元気になるってさ」
「そりゃ良かった」
安心したグレクが、麦茶を飲み干す。
空になったグラスに、パルマがやかんの麦茶を注ぐ。
「グレクもいい加減結婚しろよ。レイリア先生狙いだろ?」
「あ? レイリア先生? もうとっくに諦めてるわ。レイリア先生は……マルディンのことが……。見てりゃあ分かるだろ」
「まあ、そうだな……」
若干、涙目になりながら、グレクがジルダに視線を向けた。
「そういや、ジルダはアリーシャさん狙いだろ?」
「はっ、無理無理。アリーシャさんもマルディンのことが好きみたいだしな。とっくに諦めてるわ」
「だよなあ……」
二人が同時に肩を落とす。
グレクもジルダも、意中の女性が別の男に好意を持ったことで諦めていた。
ジルダが手に取った麦茶のグラスを見つめる。
「でもよう、相手がマルディンだから仕方ねーよ」
「だな。そこら辺の男だったら勝てる自信はあるけど、マルディンはなあ」
「ああ、あいつはマジですげーよ。怒れる聖堂の時は本当に世話になった。思わず惚れそうになったくらいだしな」
「分かる。凪の嵐が襲ってきた時なんて、あいつは一人で海賊の船に乗り込んだんだ。正直、あれには痺れたぜ」
二人は顔を見合わせた。
「「はああ」」
そして同時に深い溜め息をついた。
「ははは。マルディンはAランク冒険者だしな。そりゃ化け物だよ」
パルマが笑顔を浮かべながら、二人に声をかけた。
「ちっ、んなこと分かってるよ」
「ってか、なんでお前が嬉しそうなんだよ」
グレクが不満そうにパルマを睨みつけた。
「マルディンは今やうちの支部のエースだぞ。いや、恐らく……この国で最も優れた冒険者さ。犯罪組織なんかに負けないって」
冒険者ギルドの職員として、所属冒険者の活躍は鼻が高い。
マルディンの活躍が、心から嬉しいパルマだった。
「パルマさん、おまたせー」
「おお、こりゃ旨そうな大剃鯵だな。脂が乗ってる」
「グレクさんが獲ったからね」
パルマが注文した料理がテーブルに置かれると同時に、店の扉が開いた。




