第240話 穢れた海の矜持8
俺はアッディの瞳を見つめ返す。
その時、船腹から人の気配を感じた。
「アッディ!」
元提督の爺さんが姿を見せた。
港へ帰れと言ったのに、縄梯子で登ってきたのだろう。
爺さんがアッディの元へ走った。
「アッディ! アッディ!」
「何しに来た……。はあ、はあ」
爺さんが俺に向かって、その場で土下座した。
「マルディン! 頼む、この通りじゃ! アッディの願いを聞いてやってくれ。儂の命も捧げる」
「余計なことをするな。みっともねーだろ。俺は老師に認められた誇り高き凪の嵐の提督だ。責任の取り方ってもんがあんだよ」
急にアッディの呼吸が戻った。
もう痛みも感じないのだろう。
死ぬ間際に突然息を吹き返すことがある。
今のアッディはその状態だ。
「アッディ、お前の望みを言え」
「残った者どもの命を助けてやってくれ。その後のことは、お前たちに任せる」
「対価は?」
「このアジトと全ての財産。そして、俺の首だ」
「夜哭の岬の情報もだ」
「それだけはできん。だが、砦の資料に載っている内容もある。それで我慢してくれ」
命が尽きようというのに、力強く俺を見つめている。
『老師』という存在が、夜哭の岬に大きく関わっていることは間違いない。
色々と聞き出したいが、どうせ何も喋らずこのまま死ぬ。
「分かった。いいだろう」
「すまんな」
アッディの表情が緩んだ。
そして、隣に立つ爺さんに視線を向けた。
「爺さん。老師の銀カップで果汁が飲みたい」
「わ、分かったのじゃ」
アッディの言葉を聞いた部下の一人が、爺さんよりも早く反応し、すぐに艦長室へ走った。
「提督、お持ちしました」
「わりいな、副艦長」
「とんでもないことです」
アッディは仕込み杖を副艦長に手渡し、銀カップを握りしめて一気に飲み干す。
いや、もうほとんどが口からこぼれていた。
「くうう、この銀カップで飲む果汁はうめーぜ」
味なんて分からないだろう。
アッディは満足げな表情で、もう一度仕込み杖を握った。
「マルディン。夕方の潮の流れで、七番艦は港へ漂着するはずだ」
「七番艦だと?」
「サベーラたちは生きている。まあ、あのバカどもは恐怖で気絶してるがな。くくく」
「どういうことだ?」
「だから言っただろうが。希望を聞いてやったって」
「殺したんじゃないのか?」
「七番艦のマストと舵を破壊しただけだ。それでも陸に上がる知恵と勇気と覚悟があれば、社会に出てもやっていけると思ったんだがなあ。あのバカ、殺されると勘違いして気絶しちまったよ。くくく」
力なく笑うアッディ。
この男なりに、仲間を想っていたようだ。
「あー、もうそろそろだな。頼んだぜ、マルディン」
「分かった」
「男の約束だ」
「ああ、皇軍には必ず伝える。残った者は処罰されるが、殺しはしない」
「殺さなきゃ酷い罰を与えてもいいぜ。クズだが意外と根性はあるんだよ。くくく」
アッディが港に視線を向けた。
三回の深呼吸の間に、何を思っていたのかは分からない。
そして、甲板を見渡した。
「お前ら、俺がいなくてもしっかりやれよ!」
「「「提督!」」」
アッディの言葉に、海賊たちが涙を流していた。
そして、俺の瞳を見つめるアッディ。
「んじゃ、約束の俺の首だ」
「分かった」
俺は糸巻きを構えようと、左腕を動かした。
「いらん! これが凪の嵐最後の提督! 俺の矜持だ!」
アッディが表情で俺の動きを制した。
「持っていけ! 首落とし!」
アッディが左手の仕込み杖で、自らの首を切り落とした。
満足げな笑みを浮かべたアッディの首が、甲板を転がる。
首を差し出すとは言ったが、自ら首を落とす人間なんて初めて見た。
「敵ながら、見事な最期だ」
海賊は奪うだけのクズだ。
だが、壮絶な死に様を見た。
海賊を許す気はないが、アッディの死を辱めることはしない。
「お前の身体は海に還してやるよ。アッディ提督」
俺は首を拾い上げた。
防腐処理を施せば、常温でも一ヶ月は持つ。
皇軍が確認したのちに、処理するだろう。
「マルディン。首を預かる」
「ああ、頼んだ」
爺さんがアッディの首を受け取った。
「爺さんの小船をもらうぞ」
「ああ、構わんよ」
続いて、副艦長と呼ばれた男に視線を向けた。
「副艦長、油と燃石を用意しろ」
「分かりました」
俺はアッディの身体を右脇に抱え、油と燃石が入った麻袋を持ち、爺さんの船のマストに向かって糸巻きを発射した。
甲板に着地し、アッディを寝かせる。
油と燃石を撒き、糸巻きで一番艦へ戻った。
「火矢を用意しろ」
「はい」
副艦長が篝火に火をつけ、俺に弓と火矢を手渡した。
「海賊どもに追悼の言葉はあるのか?」
「ありません」
副艦長が首を横に振った。
「そうか。寂しいな……」
俺は船に横たわるアッディに視線を向けた。
「アッディ提督、海に還る!」
俺はティルコア漁師の別れの言葉を告げ、火矢を放った。
「「「アッディ提督、海に還る!」」」
海賊どもが涙を流し、俺の真似をして叫んでいた。
徐々に炎に包まれるアッディ。
首のない死体だが、この美しい海に眠るだろう。
舷墻からその様子を眺めていた爺さんが、俺に視線を向けた。
「マルディン。ありがとう。儂も責任を取るよ」
「責任?」
「儂も凪の嵐の提督じゃったからのう」
「それはもういい。罪を償え」
「アッディを一人にはさせんよ」
「ま、待て!」
「この海が……、美しくも穢れた海が、儂らの海なんじゃ」
爺さんが舷墻に手をかけると、燃え盛る自分の船へ飛び降りた。
「くそ!」
糸巻きを発射する間もなかった。




