第239話 穢れた海の矜持7
見たところ、アッディの武器は重鞭だけだ。
接近戦に持ち込めば、剣を持つ俺が有利になる。
だが、アッディが操る重鞭は、スピードも破壊力も尋常ではない。
それをかいくぐって接近するのは至難の業だ。
俺は左手に意識を向けた。
糸巻きにできて、重鞭にはできない戦い方がある。
「頼むぜ。糸巻き」
俺はアッディの頭上に向かって、糸巻きを発射した。
「どこ狙ってんだ!」
アッディの頭上を糸が素通りする。
俺の狙いはアッディの背後にあるヤードだ。
「狙い通りなんだよ!」
ヤードに糸を絡め、一気に巻き取る。
そのまま超高速移動でアッディへ接近し、無防備な頭部めがけて悪魔の爪を振り下ろした。
「なっ!」
アッディは重鞭の柄の両端を握りながら頭上に掲げ、悪魔の爪を防ぐ。
甲高い金属音が鳴り響いた。
俺はそのままアッディの脇を通り抜け、ヤードに着地。
すでに糸を巻き取っているため、即座に別のマストのヤードに向かって糸巻きを発射。
再度アッディに接近しながら、悪魔の爪を振り抜いた。
「ちっ! なんつー戦い方だよ!」
アッディは重鞭の柄を斜めに構え、悪魔の爪を受け流す。
柄の長さは四十セデルトほどの棒状だが、まるで剣のように扱っている。
それもかなり手慣れていた。
俺は三度糸巻きを発射した。
アッディに重鞭を振る隙を与えない。
「もう慣れたわ!」
アッディが叫びながら、俺に背を向け重鞭を振る。
音を切り裂いた重鞭は、糸が絡むヤードごと粉砕した。
「くっ!」
バランスを崩し、アッディへ接近する前に、甲板の床に膝をついて着地してしまった。
そこへ重鞭の追撃だ。
俺は右前方へ避けるように、飛び込み前転した。
背後から甲板の床を破壊する音が響く。
避けなければ、床のように俺の頭は吹き飛んでいただろう。
さらに起き上がりを狙われ、重鞭が放たれた。
俺は再度前方へ飛び込む。
「ほらほら! 避けねーと床みたいになっちまうぜ!」
アッディに主導権が傾いたことで、一気に畳みかけてくる。
俺の起き上がりを執拗に狙うアッディ。
まるで俺を誘導しているようだ。
俺が四回前転し、アッディが四箇所の床を破壊すると、悪魔の爪が届く位置まで入り込んでいた。
俺は起き上がると同時に、下段から悪魔の爪を振り上げる。
だが、アッディは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。
「かかったな!」
アッディは叫びながら、重鞭の柄頭を握り、引き抜いた。
すると、刃渡り三十セデルトの刺突短剣が姿を現す。
重鞭の柄は、仕込み杖になっていた。
遠距離武器だけだと見せかけながら、この接近戦への誘いだ。
見事な組み立てといえよう。
アッディは仕込み杖を握り、俺の顔面を狙って突き刺すように振り下ろしてきた。
俺以外の者ならば、間違いなくこれで死ぬ。
しかし俺は、重鞭の柄を剣のように扱う戦い方に、僅かながら違和感を持っていた。
何よりアッディは暗殺者独特の空気を纏っていたため、仕込み杖を想定していた。
「死ね! 首落とし!」
振り下ろされる仕込み杖。
俺は最小限の動きで顔を捻った。
仕込み杖の先端が、頬の肉を切り裂いていく。
それでも俺は構わず、狙い通り悪魔の爪を振り上げた。
「なっ! お前!」
元々、俺の狙いはアッディではない。
重鞭の切断だ。
アッディが左手で握る重鞭を、根本から切り落とした。
それと同時にヤードへ向かって糸巻きを発射し、その場を離脱。
アッディとの距離を五メデルトほど取り、甲板に着地した。
そして、もう一度アッディに向かって糸巻きを発射。
重鞭を失ったアッディは、もう糸を撃ち落とすことができない。
「くそったれ!」
アッディは糸を防ごうと、右手で仕込み杖を構える。
俺はその右腕を、上腕から切り落とした。
「ぐうう!」
握られたままの仕込み杖が、鈍い音を立てて甲板に落ちる。
その場にうずくまるアッディ。
俺はアッディの警戒を解かずに、甲板の海賊たちに目を向けた。
片腕を落とされたアッディを見て、言葉も出ないようだ。
完全に固まっている。
ここにいる海賊たちは、凪の嵐の精鋭だという。
つまり、凶悪な海賊だ。
全員始末するために、俺は糸巻きを構えた。
「ま、待て! はあ、はあ……」
片膝をついたアッディが、声を絞り出した。
「こ、こいつらをどうする?」
「海賊だ。殺す」
「ちっ、そうかよ……。はあ、はあ」
歯を食いしばり、苦しそうな表情で俺を見上げるアッディ。
「はあ、はあ……。なあ、首落とし」
「なんだ?」
「こいつらを……。み、見逃してやってくんねーか」
アッディは左腕で傷口を抑えているが、大量の出血は止まらない。
甲板も血まみれだ。
「見逃す? 海賊は一生海賊なんだろ? 海賊は海のゴミだ」
「確かにそうだ……。くっ、はあ、はあ。こいつらはな、いつも口では足を洗うと言っても……、社会に馴染めず、必ずまた戻って来る……。本当にどうしようもないクズどもなんだ。だから俺が一生面倒見るんだよ。はあ、はあ」
アッディは、甲板に落ちた自分の右腕から仕込み杖を抜き取り、左腕で握った。
まだ抵抗するつもりだろうか。
しかし、この状況ではもう何もできまい。
アッディが港に視線を向けた。
「アジトにはまだ数百人いるが……。全員と戦っても、お前が勝つんだろ?」
「当たり前だ。海賊なんて何人いても変わらん」
「くくく、このくそ野郎が」
アッディは額から大量の汗を流しながら、小さく笑った。
「はあ、はあ。凪の嵐は……皆殺しにされちまう」
「そのつもりで来てるんだよ」
「死神め」
アッディは仕込み杖を握ったまま左手を甲板につき、その場に立ち上がった。
右腕からは大量の血が滴り落ちる。
「はあ、はあ。……降伏する」
血を失い、真っ青な顔色になりながらも、アッディは真剣な眼差しで俺を見つめていた。




