第238話 穢れた海の矜持6
元凪の嵐提督の爺さんが、船を一番艦に近づけてくれた。
船体を見上げると、まるで砦のようだ。
海面から甲板までの高さは、十メデルト近くあるだろう。
「これが一番艦か。デカいなんてもんじゃないな」
「ガレオン船で、凪の嵐の旗艦じゃからな」
「この船に二百人の海賊が乗っているのか」
「そうじゃ、しかも一番艦の船員は精鋭中の精鋭じゃ。生半可ではない」
「つまりクズが二百人いるのか」
「まあ……そうじゃな。しかし、厳しい訓練を乗り越えた者たちじゃ。たかが海賊と舐めたら、痛い目に遭うぞ」
「関係ない。それが例え千人いようがな」
俺は壁のような船腹に目を向けた。
「しかし、マルディン。どうやって乗り込むのじゃ?」
「問題ない。ん?」
「ああ、儂の乗船を許可したのじゃろう」
一番艦の甲板から、身を乗り出した一人の海賊が縄梯子を投げた。
とはいえ、俺には不要だ。
「行ってくる。爺さんは港へ帰れ。そして、海賊だった人生を懺悔して、罪を償え」
そう言い残し、俺は頭上のヤードに向かって糸巻きを発射。
糸を巻き取りながら悪魔の爪を抜く。
「だ、誰だ……」
口を開いたまま海賊の首が海に落ちた。
魚の餌になるだろう。
甲板に着地と同時に、糸を巻き取る。
すると甲板にいる数十人の海賊が、一斉に俺へ視線を向けた。
それが最後の景色となるとも知らずに。
◇◇◇
乗船したマルディンは、糸巻きを連続して発射。
驚く暇さえ与えられず、ただ首を落とされる海賊たち。
マルディンは瞬く間に五十人の首を落とした。
「敵襲だ! 敵」
ようやく状況を把握した船員だが、叫んだ瞬間に人生を終えた。
マルディンは手を止めない。
容赦なく左腕を回す。
「敵襲!」
「敵だ!」
「提督! 敵襲です!」
しかし、人数で勝る海賊たちは、次々と敵襲を告げる声を上げた。
「お前、誰だ?」
船尾から歩いてきた男が、マルディンに向かって声をかけた。
その距離は約十メデルト。
この男こそがアッディと直感的に理解したマルディンは、即座に糸巻きを発射。
躊躇せず殺す。
それがマルディンだ。
だが、アッディも武器を放つ。
お互いの中間地点で武器が衝突。
強烈な衝撃波が生まれ、甲板に激しい破裂音が鳴り響いた。
すぐそばにいた数人の海賊たちは、その衝撃で顔面を失ったほどだ。
「重鞭か」
マルディンが呟く。
「お前のそれは何だ?」
声を出した瞬間、アッディが重鞭を振った。
質問しながらも、マルディンの答えを待つつもりはない。
危険を察知したマルディンは、右前方へ飛び込んでいた。
「避けただと?」
マルディンの顔があったはずの空間で、衝撃波が発生。
アッディの重鞭は、長さが十数メデルトもある鞭だ。
素材は海首竜のなめし革で、細鞭より二回りも太い。
重鞭の中でも超重量級だ。
もし顔面に直撃すれば、首から上は簡単に吹き飛ぶ。
マルディンは起き上がると同時に悪魔の爪を抜き、付近にいた二人の海賊を切り捨てた。
隙があれば敵の人数を減らしていくマルディン。
そして、アッディに向かって糸巻きを発射。
マルディンの起き上がりを狙っていたアッディは、重鞭で糸を叩き落とした。
「この糸……。待てよ……。お前、首落としか!」
「貴様が提督アッディか」
ここで初めてお互いが手を止め、視線を交わす。
もちろん、いつでも攻撃ができる姿勢は崩さない。
アッディの身長はマルディンとほぼ同じくらいだ。
引き締まった肉体に端正な顔立ち、黒い短髪と程よく焼けた肌は、爽やかな海の男に見える。
重鞭を右手に持ちながら、アッディは苦笑いを浮かべた。
「糸使いのマルディン。裏の世界では首落としか。ったく、うちの可愛い船員たちをこんな姿にしやがって。みんな首がねーじゃねーかよ」
アッディはマルディンへの警戒を解かずに、周囲を見渡す。
「サベーラの様子から誰かが来るとは思ったけど、よりによってお前かよ。それに、爺さんまでも利用しやがって」
この短時間で、船員の四分の一を失っていた。
大きく溜め息をつくアッディ。
「おい、首落とし。お前、サベーラに何を吹き込んだ?」
「貴様、サベーラに会ったのか?」
「まあな。質問に答えろよ」
「別に何も言ってない。サベーラが自分で決めたことだ」
「マジか? あいつは生きることにしがみつく人間なんだぜ?」
先代提督から、現在の凪の嵐は足を洗うことが許されないと聞いていたマルディンは、サベーラの安否が気になった。
「サベーラはどうした?」
「生まれ変わるとか突然言い出したから驚いたけど、まあ特例で許してやったよ」
「サベーラは外海に出たのか?」
「あ? 今頃、海を彷徨ってるだろうよ。ったくよ、お前のせいで腕のいい船乗りを失ったぜ」
アッディの言葉に、マルディンの右の眉が僅かに反応した。
「殺したのか?」
「そんな物騒な言い方するなよ。仲間を殺すわけないだろう? 希望を聞いてやっただけだ。生まれ変わりたいっていうな。しっかりと生まれ変わればいいけどな」
言い方が違うだけで、マルディンは意図を読み取った。
「貴様!」
激昂したマルディンは、左腕を鋭く回す。
同時にアッディも重鞭を放つ。
お互いの中間地点で衝突すると、強烈な破裂音を生んだ。
威力に勝る重鞭は、糸を弾き返し、マルディンに迫る。
だが、衝突したことで、重鞭の速度と威力は僅かに落ちていた。
マルディンは重鞭の軌道を見切り、叩き切らんと悪魔の爪を振り下ろす。
「ちっ!」
思惑が外れ、思わず舌打ちするマルディン。
アッディが瞬時に重鞭を引き戻したことで、悪魔の爪が空を切ったからだ。
少し遅れて、重鞭の空気を引き裂く甲高い音がマルディンに届いた。
「音切りのアッディ……か」
音切りは、サベーラから聞いていたアッディの二つ名だ。
アッディの重鞭は空気を切り、音を置き去りにする。
攻撃された者は、その音を聞く前に死んでいく。
糸巻きと重鞭の威力を比較すると、糸巻きが僅かに不利だ。
そういう意味では、マルディンにとって相性が悪い相手だった。
「威力が落ちたとはいえ、これを見切るのかよ。お前、マジでバケモンだな」
アッディは引き戻した重鞭に視線を落とす。
糸との衝突で、鞭の先端の革が僅かに裂けていた。
そして、あのまま引き戻さなければ、悪魔の爪で重鞭は切られていただろう。
「糸と剣を使い、どちらも一流。厄介だな」
アッディもまた、マルディンとの戦いに危機感を覚えた。
◇◇◇




