第237話 穢れた海の矜持5
俺は娘二人と別れ、武器庫から桟橋へ向かう。
「ん? なんだあの人だかりは」
桟橋に大勢の海賊どもが集まり、整列を始めていた。
一番艦と提督アッディの出迎えだろうか。
「アッディの影響力は高いようだな。もしくは恐怖政治か。いずれにしても、桟橋から乗り込むのは無理だな」
港には何本もの桟橋があり、港の最も外側にある桟橋には、一本マストの小型船が停泊していた。
一人の老人が船から積荷を降ろしている。
木箱の中身は魚のようだ。
俺は桟橋を進み、小型船に近づく。
俺に気づいた老人が手を止め、こちらに視線を向けた。
「誰じゃ?」
「誰でもいいだろう。その船に俺を乗せて、一番艦へ近づけ」
「な、なんじゃと?」
「一番艦が桟橋に着く前に行け。急げ」
老人は周囲に視線を向けた。
助けを呼ぼうと思っているのだろう。
だが、助けは来ない。
「なっ! し、死んでるのか」
「急げと言っている」
桟橋で身を隠すことは不可能だ。
そのため、この付近にいた海賊を始末した。
「く、首が……」
死体を見つめた老人が呟いた。
そして、俺に視線を向ける。
「お主、どこから来た?」
「船を出したら教えてやる。それともああなりたいか?」
俺は死体を指差した。
「分かった……。船を出そう」
老人は小さく頷き、桟橋に結んでいたロープを外す。
俺は桟橋からジャンプして、船に乗り込んだ。
「一番艦に近づいて何をするんじゃ?」
老人は帆に視線を向けたまま、操作する手を止めずに口を開いた。
「乗り込む」
「どうやって? 梯子を降ろしてくれるわけはないだろう。無理に決まっておる」
「それは問題ない。俺なら届く」
「そうなのか……。で、乗り込んでどうするんじゃ?」
「アッディを討つ」
「アッディ提督を? それは無理じゃ。見たところお主も相当な達人のようだが、提督には敵わん」
「それでもやる」
「死にに行くだけか。好きにせい。この島にはどうやって来た?」
「サベーラだ。サベーラに連れてきてもらった」
「サベーラだと?」
老人の手が一瞬だけ止まった。
だが、すぐに帆を操作する。
「それで七番艦があの信号旗を上げていたのか……。まさかあの男が離脱するとはのう。七番艦は外海に向かっておったが、サベーラはどうするんじゃ?」
「当局に出頭する。足を洗ってやり直すんだ」
「なんじゃと!」
またしても老人の手が止まった。
先程よりも長く手を止め、再度帆を操作する。
「そうか……。やり直すのか……。できればいいがのう」
「できるさ。サベーラは本気だった。人は過ちを犯す。だが、一度くらい更生のチャンスがあってもいい」
「お主がサベーラを説得したのか?」
「俺は何も言ってない。サベーラが決めたことだ。だが、心を入れ替えなきゃ殺していたけどな」
「そうか……」
老人が帆を張ると、初夏の湿度を含んだ風を受けて、船の速度が上がった。
「一番艦に近づけば攻撃を受けるぞ」
「仲間のあんたがいてもか?」
「そうじゃ。それほど一番艦は特別じゃ。じゃが、もしかしたら儂の船なら大丈夫かもしれん。お主は運がいい。ほほ」
「どういうことだ?」
「儂は特別じゃからな。信号旗を出してやる」
「あんた、何者だ?」
老人は木箱からいくつかの信号旗を取り出し、マストのロープにくくりつけ、滑車を回した。
張られた信号旗が風になびく。
「儂は……先代の提督じゃ。引退してこの付近の海で漁をしておる」
「あんたが元提督だと?」
「ああ、そうじゃ。提督の座はアッディに譲った。いや、そうせざるを得なかったのじゃがな」
「じゃあ、あんたは夜哭の岬のことを知っているのか?」
「夜哭の岬じゃと? どうしてそれを……」
老人の手がまた止まった。
「さっきの首……。も、もしかして! お主! く、首落としか?」
「そう呼ばれることもある」
老人が日に焼けたシワだらけの顔を俺に向けた。
目を見開いて、俺を見つめている。
「そうか……。そうだったか……」
「あんた、夜哭の岬のことを話す気はあるか?」
「もちろんある程度は知っておる。じゃが、今の儂はしがない漁師じゃよ」
「なるほどね。話す気はないか」
この老人から話を聞き出すことは無理だろう。
脅しも効かないだろうし、無抵抗で死を選ぶはずだ。
俺は別の質問をすることにした。
何かが分かるかもしれない。
「海賊を引退して漁師をやるなら、なぜ凪の嵐を出ない?」
「アッディ提督の考え方での。海賊は死ぬまで海賊じゃという。儂の時代は足を洗うことを許していたが、アッディ提督の代になってからはもう許されん」
それでも足を洗うと言ったサベーラ。
その覚悟は本物だったのだろう。
戻ってきたら、盛大に祝ってやるとするか。
「お主……。確かマルディンといったか。儂を殺すのか?」
舵の操作を再開した老人が、帆を眺めながら穏やかな表情を浮かべていた。
「噂で聞いたが、お主、海賊を恨んでいるのだろう?」
「もちろんだ。海賊は殺す」
「そうか。仕方がないのう。儂もそれだけのことをしてきた。一番艦に接近したら、儂を殺すがよい。抵抗はせんよ。海賊として最期を迎えよう」
「言っただろう。俺は海賊を殺すって。今のあんたは漁師なんだろ?」
「なっ!」
またしても老人の手が止まった。
「そうか……。なるほど、サベーラもそういうところに……」
老人は微笑みながら、帆を操作する滑車を回し始めた。
「夜哭の岬の場所は言えん。儂にも恩義やルールがある。じゃが、夜哭の岬は一人で壊滅できるようなものではない。この凪の嵐よりも数十倍、いや数百倍もの規模だと考えるのじゃ。そして……、皇軍や国家にも夜哭の岬は紛れ込んでおる」
「そうか、分かった。教えてくれてありがとう」
「ありがとうか……。感謝なんて……いつ以来じゃ。ほほ」
老人が一番艦を指差した。
「マルディンよ、アッディ提督は強い。儂はあれほどの強さを持つ人間を他に知らぬ」
「問題ない。俺は対人なら絶対に負けないからな」
「そうか。お主は北方蛮族千人の首を落としたんじゃったな。それでも……」
「俺の心配をしているのか? そんなことよりも、凪の嵐壊滅後の自分を心配しておけ」
「儂自身の心配じゃと?」
「爺さんも罪を償ってから、ゆっくり余生を過ごせ」
「ほほ、言うわい」
爺さんが操舵する船が一番艦に接近。
俺は糸巻きを構えた。
◇◇◇
「提督!」
一番艦の甲板にて、一人の船員が声を上げた。
「先代の船が接近しています!」
「あー? 爺さん? 何してんだ?」
「信号旗を上げてます。『緊急案件にて接近する』とのことです」
「緊急? サベーラのことか? まさか、爺さんがサベーラに吹き込んだのか?」
「いかがいたしますか?」
「爺さんじゃなきゃ沈めてるが……。まあ好きにさせろ」
「かしこまりました!」
不審に思うアッディだが、マルディンを乗せているとは想像もつかない。
犯罪者にとって、厄災や死神と呼ばれる存在が徐々に近づいていた。
◇◇◇




