第236話 穢れた海の矜持4
◇◇◇
港の監視塔から鐘の音が響く。
それは一番艦の帰還を意味する鐘声だ。
「一番艦だぞ!」
「提督のお帰りだ!」
「港へ急げ!」
砦や繁華街から多くの海賊たちが、一番艦を出迎えるために港へ走る。
さらに、七番艦の信号旗の真偽確認が加わり、港は混乱していた。
「シャルクナさん、行きましょう」
「はい」
ティアーヌとシャルクナにとって、この騒ぎは好都合だった。
マルディンと別れた二人は、長い髪を隠すように頭部を布で巻く。
変装とまではいかないが、この混乱の中では十分だろう。
それに、港へ向かう集団の中には女の姿も見える。
女海賊や花街の女たちだ。
千人近い組織の凪の嵐に女がいても、なんら不思議ではない。
そのためティアーヌとシャルクナは、女海賊に扮していた。
二人は港と砦を繋ぐ一本の大通りを歩く。
その距離は百メデルトだ。
大通りの道幅は三十メデルトもあり、商店や食堂が立ち並ぶ。
路地裏は飲み屋街や花街だ。
屋台なども出ており、肉や魚を焼く煙が上がり、香ばしい匂いが広がっている。
凪の嵐のアジトは、港、大通り沿いと繁華街、そして砦の三区域に別れており、その全てが密集していた。
その他の地域は、ほぼ開拓されていない。
難なく砦の入口に到着した二人。
これまで一度も侵入者がいないため、アジトを守る意識が薄い。
それに加えて一番艦の帰還だ。
ほとんどの者が一番艦を出迎えに港へ向かっていた。
「シャルクナさん、絶好のチャンスですね。このまま侵入しましょう」
「はい」
小声で話す二人。
サベーラからの情報で、砦内の間取りは把握していた。
この砦は正方形で、石造りの三階建てだ。
二人は南の入口から侵入し、砦の外壁に沿った長い廊下を進み、東の階段を駆け上がった。
この階段は二階止まりで、三階へ上るためには、正反対の西の階段へ向かわなければならない。
あえて導線を分断することで、侵入時のリスクを減らすように設計されていた。
廊下を進むと、西の階段の踊り場で初めて人影を発見。
三階へ進む階段を守る男が、一人で立っている。
とはいえ、やる気もなく気だるそうだ。
形式上の見張りだろう。
二人は廊下の角に隠れ、様子を探る。
シャルクナが周囲を確かめ、自分の喉を指差しながら、ティアーヌに視線で合図を送った。
ティアーヌは頷きながら、自分の左胸を指差す。
二人は呼吸を合わせ、見張りに向かって投短剣を投げつけた。
「ぐっ!」
小さな喚き声とともに、見張りがその場に崩れ落ちた。
喉と左胸に、投短剣が突き刺さっている。
二人は死体に近づき、すぐに階段の裏へ運び込んだ。
これで発見まで時間稼ぎができる。
「思った通り、警備は甘いですね」
「はい。これまで侵入者がいないことが原因でしょう」
「シャルクナさん、副提督室を制圧しましょう」
副提督は余程のことがない限り、部屋を出ないと聞いている。
「ティアーヌさん、副提督は殺しますか?」
「まずは捕らえて様子を見ます」
「分かりました」
二人は階段を登り、三階に侵入。
副提督の部屋は北側だ。
そして、提督室は階段の正反対である、東側に位置する。
廊下を進み、副提督室の前に立つ二人。
ティアーヌが頭部の巻き布を取り、両手でしっかりと握った。
シャルクナが髪留めを外し、鍵穴に差し込みゆっくりと慎重に回す。
鍵が回る金属音が静寂を破る。
それを合図に、シャルクナは扉を開いた。
ティアーヌが一気に部屋へ侵入。
机で書類作業をしている副提督へ飛びかかった。
「な、なんだ!」
中年の副提督が声を上げる。
ティアーヌは構わず、両手で握る布を副提督の首に巻きつけ、背後に回った。
「動いたら殺します」
「だ、誰だ!」
「こちらの質問だけに答えるように」
「ぐうう」
ティアーヌが布を両手で引き、首を絞める。
呼吸ができない副提督は、首の布をつかみ、少しでも緩めようと足掻く。
もちろん無駄なことだ。
「わ、わがっだ……。じ、じぬ……」
僅かに布を緩めるティアーヌ。
「質問します。はいなら首を縦に、いいえなら首を横に振ってください」
首を縦に振る副提督。
それからティアーヌは凪の嵐の規模や夜哭の岬との関係性を質問。
凪の嵐に関しては返答があったものの、夜哭の岬の情報を引き出すことはできなかった。
「夜哭の岬に関しては、提督アッディしか知らないということですか?」
首を縦に振る副提督。
ティアーヌは小さく溜め息をつき、シャルクナへ視線を向けた。
「シャルクナさん、他に聞きたいことはありますか?」
「いえ、大丈夫です。ティアーヌさん、提督室へ行きましょう」
「分かりました」
対象の前でお互いの名前を呼ぶ意味に気づいた副提督は、必死に身体を動かし抵抗を始める。
だが、糸が切れた操り人形のように、机に崩れ落ちた。
ティアーヌが首を捻じ曲げていた。
首の布を巻き取り、机に伏せる副提督の頭部へそっとかける。
「さあ、行きましょう」
「はい」
二人は提督室へ向かった。
鍵がかかっているが、シャルクナが髪留めを鍵穴に差し侵入。
主が不在の提督室で、書類を物色。
ティアーヌの大きなリュックは、書類で大きく膨れ上がった。
「めぼしい書類はあらかた抜きました」
「ティアーヌさん、ここまでお見事でした」
「シャルクナさんこそ、惚れ惚れする潜入でしたよ。ふふ」
二人は健闘を称え合った。
そして、港へ急ぐ。
次はマルディンのサポートだ。
彼女たちにとって、これくらいの潜入は散歩にもならない。
◇◇◇




