第235話 穢れた海の矜持3
密林を抜けると崖の上に出た。
地上までの高さは二十メデルトほどあるだろう。
眼下には青緑色の海が広がる。
海水は透明度が高く、海底まで見えるほどだ。
「うわー、綺麗な海! 泳ぎたくなっちゃいますね」
「スケッチしたくなるほど美しいです」
「え? シャルクナさんって絵を描かれるんですか?」
「はい。時間ができた時は、ティルコアの海を描いてます」
「えー! 凄い! 今度見せてください!」
「私の絵でよければ、ぜひ」
これから敵地へ潜入するというのに、ティアーヌとシャルクナが呑気に会話している。
その胆力には驚くばかりだが、この二人は幾度となく修羅場をくぐり抜けた歴戦の諜報員だ。
見た目は可憐な娘でも、いざとなれば苛烈な一面を見せる。
この娘たちを嫁にする男は大変だろう。
「あのー。なんか今、失礼なこと考えてませんでした?」
「か、考えてないよ」
「もう。マルディンさんって、すぐそういう風に私たちを見るんだから」
「うるせーな。お前たちが異常なんだろうが」
「ほらー、やっぱり考えてたじゃないですか」
「うっ! ち、違っ!」
ティアーヌにまんまと誘導された。
これだから諜報員と話すのは厄介だ。
いや、ティアーヌが特別なのだろう。
俺の心を読んでいるかのように、いつもやり込められる。
面倒だから話題を変えよう。
「港を見ろ」
ティアーヌが呆れきった眼差しで、俺を見つめていた。
それを無視して港を指差す。
港までの距離は二百メデルトといったところだろう。
「一番艦はガレオン船だというが、港にはいないようだな」
港には七番艦と同じキャラック船が三隻停泊している。
「はい。キャラック船しかいません。どうなさいますか?」
シャルクナが答えてくれた。
「そうだな。まずは武器庫へ行こう。お前たちの武器が必要だ」
ティアーヌとシャルクナは、七番艦に積んでいた三日月剣を持っている。
この二人はどんな武器も扱えるが、使いやすい武器を持ったほうがいいだろう。
サベーラが描いた港の地図は頭に入れてあるため、武器庫の場所は把握している。
「この崖を降りるぞ」
崖を見下ろすと、壁面のところどころに多根木の若木が生えていた。
多根木は地中に無数の根を張る。
開拓地に多根木が生えていると、開拓を諦めるほど厄介な木だ。
だが、今回はそれが役に立つ。
崖に生えた多根木の高さは二メデルトほどあるため、若木といっても、十分すぎるほど根を生やしているはずだ。
つまり衝撃に強い。
「あの多根木に糸を絡めて、ここから飛び降りる」
「折れませんかね?」
「まあ、俺とお前たちの体重なら大丈夫だろう。二人とも軽いからな」
「あら、分かってますね。ふふ」
口に手を当て、上品に微笑むティアーヌ。
その隣で、シャルクナは崖下を覗き込んでいる。
「この高さなら一人でいけます」
「お、おい!」
「急ぎましょう」
そう言い残し、シャルクナが崖から飛び降りた。
シャルクナはいくつかの多根木を足場にしながら、瞬く間に地上へ着地。
「シャルクナさん、身軽だなー。じゃ、私もいきますね」
「待てっ!」
ティアーヌも飛び降りた。
二人とも躊躇というものがない。
怖くないのだろうか。
「道具も使わず飛び降りるって、頭おかしいだろ。やっぱり嫁にすると大変だぜ」
二人に呆れながら、俺も崖から飛び降りた。
もちろん俺は、多根木の枝に糸巻きを発射した。
――
気配を消し、物陰に隠れながら港の武器庫に到着。
二人の潜入は完璧だ。
むしろ、俺が足を引っ張る可能性が高いため、邪魔しないように細心の注意を払っていた。
「マルディンさん、意外と簡単に潜入できましたね」
「ここは潜入されたことがないというからな。そういう意味では危機感がないのだろう。それに……」
「それに?」
「お前たちの潜入は完璧だ」
「あら、珍しく褒めてくださるんですね」
「いつも褒めてるだろ?」
「えー、そうですか? ふふ」
ティアーヌが微笑んでいる。
敵地のど真ん中なのに、この余裕が恐ろしい。
「サベーラの囮の効果もあるだろう」
「そうですね。なんだか人の動きが慌ただしいですもんね」
「サベーラに感謝だな」
港が騒がしかったことも潜入を容易にしてくれた。
俺たちは武器庫の周囲を歩き、入口を探る。
「マルディン様、こちらの扉を開けます」
シャルクナが青紫色の長髪から、長細い髪留めを抜いた。
それを鍵穴に差し込む。
髪留めを何回か捻ると鍵穴が回った。
「開きました」
「上手いもんだな」
「慣れてますので」
シャルクナは扉を僅かに開き、中の様子を探る。
「人はいません」
俺たちが武器庫に侵入すると、シャルクナは即座に内鍵をかけた。
本当に手慣れたものだ。
武器庫は広く、様々な武器が保管されている。
巨大な投石機もあるほどだ。
これがあれば、飛空船でも撃ち落とすだろう。
「あ、刺突短剣だ。私はこれにします」
ティアーヌが刃渡り三十セデルトほどの刺突短剣を手にした。
「ん? お前、重槌は使わないのか?」
「潜入では使いません。さすがにバレちゃいますから」
「まあ、そりゃそうか」
シャルクナに視線を向けると、細剣を手にしていた。
「シャルクナも?」
「はい」
シャルクナは両断剣の達人だが、こちらも潜入では不向きな武器だ。
二人とも一流の諜報員なのに、どうしてメインの武器は潜入に使えない武器なのか。
しかも細身な身体で巨大な武器を扱う。
以前シャルクナは、女性が両断剣を扱うとかっこいいと言っていたが、ティアーヌもそうなのだろうか。
「はい。かっこいいじゃないですか」
ティアーヌが微笑みながら、俺を見つめていた。
「まだ何も聞いてないだろ?」
「マルディンさんの考えてることは分かりますよ?」
「ちっ、そう何度も人の心を読むんじゃない」
「マルディンさんが分かりやすいんですよ。ふふ」
反論してもティアーヌには敵わない。
こういう時は黙っておくに限る。
二人はさらに、投短剣が十本収納されたベルトを腰に巻いていた。
「マルディンさん、これで大丈夫です」
「私も準備できました」
「じゃあ、行くか。まずは砦を目指すぞ」
「「はい」」
先に砦を制圧して、アッディの帰還を待つ。
そして、一番艦の帰港と同時にアッディを討つ。
武器庫を出ると、シャルクナが再度扉に鍵をかけた。
可能な限り痕跡は残さない。
「行きましょう」
左手で髪を耳にかけ、右手で髪留めを差すシャルクナ。
まるで買い物へ出かけるような、自然な仕草だ。
「ん?」
砦へ向かおうとすると、ティアーヌが海を見つめていた。
「どうした?」
「マルディンさん。もしかして、あれって一番艦じゃないですか?」
ティアーヌが沖を指差す。
ひときわ大きな船が姿を見せた。
「ガレオン船だ。確かに一番艦だな」
「帰港しますね。タイミングがいいのか悪いのか……」
一番艦は港に向かって進んでいる。
間違いなく帰港するだろう。
「七番艦は大丈夫だったのでしょうかね」
「無事に外海へ出ていればいいが……」
サベーラたちは心配だが、今はどうすることもできない。
気持ちを切り替え、冷静に状況を判断すべきだ。
「俺が港に残る。二人は砦に侵入して情報を集めてくれ」
「え? で、でも、別れるのは危険では?」
「アッディがいない今が砦潜入のチャンスだ。砦はお前たちに任せた」
「マルディンさんは?」
「一番艦を制圧する。アッディを上陸させたくない」
「で、でも、一番艦は二百人近く船員がいるって……」
「アッディさえどうにかすれば問題ない」
サベーラからは、アッディの強さが突出していると聞いた。
アッディを始末すれば、凪の嵐制圧の難易度は下がる。
「かしこまりました。マルディン様、どうかご無事で」
シャルクナが俺に一礼して、ティアーヌに視線を向けた。
「ティアーヌさん、行きましょう。時間が惜しいです」
「そうですね。分かりました」
ティアーヌが俺を見つめる。
「マルディンさん、無理しないでくださいよ」
「お前たちもな。砦には副提督がいる。気をつけろよ」
二人に別れを告げ、俺は桟橋へ向かった。




