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【書籍発売中】追放騎士は冒険者に転職する 〜元騎士隊長のおっさん、実力隠して異国の田舎で自由気ままなスローライフを送りたい〜  作者: 犬斗
第七章 薫風南より来たる

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第234話 穢れた海の矜持2

 ◇◇◇


「くああ、ようやく帰ってきたぜ」


 巨大なガレオン船の船尾に設けられた一室。

 ひときわ豪華な装飾が施されたこの艦長室で、高級な椅子に深く座り、精巧な細工が施された机に両足を乗せる男。

 船の揺れに合わせながら、椅子の前脚を宙に浮かしている。

 両手を頭の後ろで組み、背もたれに身体を預けているが、どんなに船が揺れようと決して倒れない。

 その様子はまるでサーカスの曲芸だ。


 驚異的なバランス感覚と体幹を持つこの男こそ、夜哭の岬(カルネリオ)七組織(セルテ)が一つ、凪の嵐(カーラル)の提督アッディだ。

 部下たちに大渦の航海を任せ、呑気に艦長室でくつろいでいる。


 アッディの年齢は三十五歳と中年ながら、引き締まった肉体に端正な顔立ちを持つ。

 黒い短髪と程よく焼けた肌も相まって、爽やかな海の男に見えるが、漁師たちから蛇蝎のごとく嫌われている海賊だ。


「喉乾いたな」


 アッディは立ち上がり、愛用の銀カップを手に取る。

 蜜黄玉(カミュ)黄檸玉(リトム)の果汁に蜂蜜を入れた飲料を注ぎ、一気に飲み干した。

 このカップは、敬愛する夜哭の岬(カルネリオ)の老師から賜ったものだ。

 そして再度、椅子に揺られる。


「て、提督!」


 一人の船員が、艦長室の扉をノックした。


「あ? なんだ? 入っていいぞ」


 艦長室の扉は丁寧に扱わなければならない。

 船員は焦りながらも、静かに扉を開けた。


「七番艦が!」

「七番艦? サベーラがどうした?」

「今、外海に出ようとしているのですが、信号旗が!」

「待て待て待て。落ち着いて話せや。意味が分からん」


 この船員も意味は分かってない。

 ただ、状況を説明すると、支離滅裂になってしまう。


凪の嵐(カーラル)を離脱する意味の信号旗を上げています」

「は? 離脱? なんじゃそりゃ?」

「わ、分かりません。しかし、そういう組み合わせになっています」

「おいおい、サベーラが抜けるわけないだろう? あのおっさんは人一倍生きることにしがみついてるんだぜ?」

「し、しかし……」


 困惑する船員の表情を見つめ、アッディは大きく溜め息をついた。

 船員たちが、自分に冗談や嘘を言うわけがないことを知っている。


「ちっ、わーったよ」


 アッディは気だるそうに椅子から立ち上がり、愛用の武器を腰に吊るした。

 甲板に出ると、右舷前方に外海へ向かう七番艦の姿を確認。

 その距離は約二百メデルトだ。

 海賊とはいえ海の男であるアッディの視力は、信号旗の意味を容易に捉えた。


「おいおい、マジじゃねーかよ。あいつに何があったんだ?」

「提督、どうしますか?」


 操縦桿を握る副艦長が、アッディに指示を仰ぐ。


「大渦を避けて、向こうの潮に入れ。七番艦に横づけしろ。できんだろ?」

「え? は、はい! やります!」


 できないとは言えない副艦長。


 七番艦を追うことは、この大渦を生む潮を横切ることになる。

 今までやったことなどない。

 だが、やらねばアッディの機嫌を損ねる。


「七番艦を追う! 裏帆を打て!」

「裏帆を打て!」


 副艦長の指示を甲板長が復唱。

 操舵輪を回転させた副艦長は、船員たちに様々な指示を出していく。

 船員たちは全力でロープを握り、指示通りに細かく帆を動かした。


「死ぬ気で張れ!」


 甲板に怒号が飛ぶ中で、巨大なガレオン船が大渦を避けながら、外海へ流れる潮に乗り移った。

 そして、七番艦に追いつかんと、徐々にスピードを上げていく。


 船員たちの必死の操作によって、一番艦は七番艦との十メデルトの距離まで近づいた。

 


「おしおし、やりゃーできるじゃねーか。おめーら、あとで酒を奢ってやるぞ」


 アッディは上機嫌で副艦長に声をかけ、腰から武器を取った。


「んじゃ、サベーラに聞いてきてやる」


 アッディは舷墻(げんしょう)に向かって歩き始めた。


 ――


「艦長! ダメだ! 一番艦の足が速い!」

「くっ! 逃げ切れ!」


 サベーラの指示で、船員たちは必死に帆を操作する。

 船員たちの手のひらは、これまで何万回とロープを握ってきたことで常人の三倍以上の厚さを持つ。

 それでも手のひらから血が滲む。

 肉体の限界を越えても、帆を操作しなければならないことを知っていた。


「な、並ばれる!」


 左舷に向かって逃げる七番艦だが、一番艦は右舷後方から弧を描くように大外を回り込む。

 そしてついに、十メデルトの距離で並行に並んだ。

 とはいえ、この距離であれば七番艦へ乗り込むことはできない。

 まだ望みはある。

 サベーラは少しでも一番艦と距離を開けるために、操舵輪を回した。


「おーい、お前ら何やってんだ?」


 突然七番艦の甲板に姿を現したアッディ。

 驚く船員たちは、思わず手が止まる。


「て、提督!」

「逆帆を打って停泊させろ」


 提督に逆らうわけにはいかない船員たちは、指示に従うしかなかった。

 アッディは、そのまま操縦室へ向かう。


「おい、サベーラ」

「ア、アッディ提督!」

「さっきの信号旗の意味は何だ?」

「い、いや」

「なんだよ。言えねーのかよ?」


 アッディには嘘も言い訳も通用しないことを知っているサベーラ。

 正直に言うしかない。


「そ、その……。俺たちは……凪の嵐(カーラル)から足を洗います」

「はあ? なに言ってんだよ。んなことできるわけねーだろ。お前は一生海賊だ」

「ま、まっとうに生きたいんです」

「無理無理無理。お前らみたいなクズどもは凪の嵐(カーラル)でしか生きていけない。だから俺が庇護してやってんだろ」

「俺は……やり直したいんだ」


 サベーラの言葉を聞き、不審に思うアッディ。

 アッディが知ってるサベーラは、こんなことを言う人間ではなかった。

 サベーラの態度に苛つきを覚える。


「てめえ、誰かにそそのかされただろ? てめえが自分でそんなこと言うわけねえんだよ」

「だ、誰でもいいだろ!」

「おいおい、どうしたんだよ?」


 サベーラの態度が急変したことに驚くアッディ。

 サベーラは従順で、生きるためには何でもする男だ。

 アッディに歯向かえばどうなることくらい知っているはず。


「麻薬でも飲んだんか? あ、イスラんとこのビッツは全部焼けたっけ」


 左手を腰に当てながら、独り言を呟くアッディ。


「もしかして、あそこの新しい毒ってやつか? いや、あの毒を飲んだら死んじまうもんな」


 アッディは甲板を見渡した。

 船員たちが集まって、不安そうな表情を浮かべている。


「なあ、こいつらも一緒か?」

「そうです。俺たちは足を洗う」

「ダメだと言ったら?」

「ち、力ずくでも……」


 サベーラは恐怖で足がすくみながらも、腰の三日月剣(シャムシール)を抜いた。

 それが合図となり、船員たちも一斉に剣を抜く。

 鞘を擦る甲高い金属音が甲板に響き渡った。


 二十人以上が剣を抜き、アッディに刃を向けている。

 だが、アッディには焦りも恐怖もない。


「おいおい、サベーラ。マジで教えてくれよ。理由は何だ?」

「お、俺たちは生まれ変わるんですよ」


 三日月剣(シャムシール)を握る右手が震えるが、サベーラはそれを左手で強く抑えた。

 その様子を見たアッディが、「ほう」と感嘆の声を漏らす。


「生まれ変わる……か。お前らにできんのか?」

「できます!」

「お前らみたいなクズが更生するなんて、生半可なことじゃねーぞ」

「やります!」

「世間はそう簡単に許しちゃくれねーぞ。つれー道だぞ。その覚悟はあるのか?」

「あります!」


 サベーラの意思は変わらない。

 決意を胸に、強い眼差しでアッディを見つめた。


 アッディは、しばらくサベーラの瞳を見つめ返し、周囲の船員たちにも目を向けた。

 皆、サベーラと同じように覚悟を持った表情を浮かべている。


「ちっ、しゃーねーな。分かったよ。お前たちがそこまで言うなら許してやるよ。ったくよう」

「すみませんね」

「いや、いいって。仕方ねーもん。それにしてもいい言葉だな、生まれ変わるって。お前ら全員生まれ変わって、しっかり頑張れよ」


 根負けしたアッディは、左手を腰に当て、これまで可愛がってきた部下たちに笑顔を見せた。

 そして、門出を祝うかのように右腕を振った。


 ◇◇◇

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