第232話 奇妙な信頼関係と航海5
六日目の朝、船はついに目的地のラボーチェ諸島に到着。
俺は甲板に出て唖然とした。
「な、なんだこれは……」
この船がいる場所と、百メデルト前方では波の高さが全く違う。
今いる場所は比較的穏やかだが、前方はまるで嵐だ。
入る者を拒むかのように、波が激しく唸りを上げている。
「あれが諸島の内海入口です。入れない意味が分かりましたでしょう?」
サベーラが声をかけてきた。
「そうだな。想像以上だよ」
「ですが、これから潮が大きく変わります」
ラボーチェ諸島は朝と夕の一日二回、潮の流れが変わり、大渦が発生するそうだ。
大渦に入れば、どんな船でも飲み込まれ破壊されるという。
しかし一本だけ、内海に通じる潮の道ができる。
この潮に乗れば、凪の嵐の本拠地へ入れるそうだ。
「マルディンさん、これから揺れます。艦長室にいてください」
「分かった」
「総員配置につけ!」
サベーラが大声で指示を出すと、船員たちの表情が引き締まった。
――
「うわー、海面の高さが全然違うんですね。凄いなあ」
「渦の中心との落差が、十メデルトもあります」
ティアーヌが口を開きながら、窓に貼りついている。
隣に立つシャルクナの表情はいつもと同じく冷静だが、視線は大渦から動かない。
「この大渦に飲まれたら、そりゃ木端微塵だな」
潮の流れがぶつかり合い、海面にいくつもの大渦が発生している。
その音も凄まじく、巨大な滝のような轟音だ。
甲板に目を向けると、船員たちが一致団結して、巧みにロープを操作している。
指示を出すサベーラの大声は、大渦にも負けていない。
船は大渦の間を縫うように進んでいた。
「信じられん操舵だ。それにしてもサベーラめ。俺に気を使っているのか」
サベーラは揺れると言っていたが、諸島に入る前より僅かに揺れる程度だ。
極限まで揺れを抑えているのだろう。
操舵輪を握り船員に指示を出すサベーラは、間違いなく一流の船乗りだ。
「海賊なんてやらなくたって、生きていけるだろうが」
サベーラは俺たちをアジトへ送り届けたあと、皇軍へ出頭する。
とはいえ、凪の嵐の幹部だ。
出頭したとしても、本来なら死罪になるだろう。
しかし、俺が凪の嵐を壊滅させれば、その功労者として減刑される可能性は高い。
きっとサベーラも、それを見越しているはずだ。
俺の行動で人の人生が大きく変わるというプレッシャーを感じるが、こういう責任なら悪くない。
進行方向の左右に見える小さな島。
それはまるで、ラボーチェ諸島の門のようだ。
船はその間を抜けていく。
いくつもの大渦を避け、いくつもの小さな島をかすめるように進むと、船体が安定した。
「大渦を越えました。もう大丈夫です」
サベーラの声が聞こえたため甲板に出る。
船員たちが安堵の表情を浮かべ、甲板に座り込んでいた。
しばしの休憩といったところか。
船尾の海に目を向けると、大渦はまだ残っていた。
「不思議でしょう。あの数百メデルトの範囲だけ、潮の流れが変わって大渦ができるんです。あの潮はまだしばらく続きます」
「サベーラ、よくやった」
笑顔を見せるサベーラの肩に、俺はそっと手を置いた。
照れ隠しのように後頭部をかくサベーラ。
そして、表情を引き締めた。
「これからが勝負です」
「そうだな」
「見えてきました。あれが凪の嵐のアジトです」
サベーラが右舷前方を指差した。
「あれがアジトの島か」
諸島の中では最も大きな島だ。
起伏があり、木々に覆われている。
「港付近だけが開拓されています。それ以外は何もない密林の島ですよ」
「なるほどね。だが、潜入にはちょうどいい」
俺たちは島の西側にある岸壁地帯から上陸する。
そして、密林を抜け港へ向かう手筈だ。
「では、予定通り接岸します。あの岬の崖から上陸してください」
「分かった」
船が岬の崖に近づくと、俺はティアーヌに上陸準備を指示。
大きなリュックを背負ったティアーヌの腰を、右手で抱えた。
「ティアーヌ、渡るぞ。つかまれ」
「はい!」
ティアーヌが俺の首に両手を回す。
船が岬まで十メデルトほどの距離に近づいたところで、俺は崖上の大木に向かって糸巻きを発射。
糸を巻き取り、島に上陸した。
「よし、次はシャルクナだ」
船のヤードに糸巻きを発射。
甲板に戻り、今度はシャルクナを抱えて岬へ移動した。
「ふう、上陸成功だ」
「「はい」」
船に目を向けると、船員たちが手を振っていた。
その中心で、サベーラが笑みを浮かべている。
「マルディンさん! ご武運を!」
サベーラの声は、大渦でも船員に聞こえるほどよく通る。
大騒ぎする船員たちの声の中でも、はっきりと届いた。
「サベーラ! お前の帰りを待ってるぞ!」
「はい!」
言わないつもりだったが、俺はどうしても伝えたくなった。
「お前たち! 感謝する! ありがとう!」
「「サベーラさん、皆さん、ありがとうございました!」」
俺の隣で、娘たちも声を上げた。
俺と同じ気持ちだったのだろう。
サベーラは顔を真っ赤に染めていた。
船員たちの中には、涙を拭っている者もいる。
だが別に永遠の別れではない。
罪を償えば、また会える。
「さ、行くぞ」
俺たちは密林に入り、凪の嵐のアジトへ向かった。
◇◇◇
マルディンたちを降ろした七番艦。
別れを惜しむ暇はない。
サベーラはすぐに前進の指示を出した。
船は東に進み、凪の嵐の港の前を通ってから、ラボーチェ諸島を出ていく。
急がないと内海が閉じてしまう。
「信号旗を掲げろ!」
「はい!」
ヤードに掲げられた信号旗。
その内容は、凪の嵐の離脱を意味する。
「ふっ、まさかこの俺がな……。こんな信号旗を掲げるとは思わなかったぜ」
信号旗を見上げたサベーラが、過去の自分をあざけ笑うかのように小さく呟いた。
「艦長!」
「なんだ?」
「食堂へ来てください!」
「食堂? 飯なんて食ってる暇はないぞ!」
渋々食堂へ向かうと、キッチンには大量の食事が作り置きされていた。
当然ながら、作ったのはシャルクナとティアーヌだ。
この食事には、二人の感謝の意味が込められている。
「あ、あの人たち……。なんという……」
右腕で顔を拭いながら、サベーラは甲板へ戻った。
「お前ら! お嬢たちが飯を作ってくれたぞ!」
「マジっすか!」
「やったぜ!」
「うおー! 最高だ!」
サベーラが船員たちを見渡した。
「この作戦が終わればパーティーだ! 好きなだけ飲んで食え! それまで気を抜くな!」
「「「おお!」」」
七番艦にとって、初めての正しき任務へ挑む。
◇◇◇




