第231話 奇妙な信頼関係と航海4
「クワアア!」
「ん?」
「クワアア! クワアア!」
獣の鳴き声で目が覚めた。
「この声は……。イスーシャか!」
「クワアア!」
床から起き上がり、窓際へ走る。
まだ薄暗い空を見上げると、二羽の大鋭爪鷹が船上を旋回していた。
航海四日目の朝、ついに大鋭爪鷹が俺たちの船を発見。
俺はイスーシャに手紙を取りつけ、皇都の特殊諜報室に放つ。
「ファルシル、頼みましたよ」
「クワアア!」
ティアーヌもファルシルに手紙をくくりつけ、ティルコアの冒険者ギルドに飛ばした。
――
航海は順調で、五日目を迎えた。
船員たちと馴れ合いはないが、反乱の意思は見られないので安心している。
シャルクナとティアーヌは、一日三回の料理を楽しそうに作っていた。
サベーラが言うには、二人の料理は大変好評とのことだ。
二人の料理を食べたいからと、真面目に働いている者が多いという。
俺は操縦室の机に、サベーラが用意したラボーチェ諸島の地図を広げ、凪の嵐のアジトを確認していた。
集落や施設を書き込み、最短で制圧するためにシミュレーションをくり返す。
今回の襲撃の標的は提督アッディだ。
アッディがアジトに滞在しているかは不明だが、もし滞在している場合は砦か一番艦にいるらしい。
ただし、この地図が正確か判断できないため、全てを信じるわけではない。
もしかしたら、サベーラの罠かもしれない。
「マルディン艦長、アジトの秘密をお教えします」
「前に言っていたやつか」
サベーラは操縦桿を握りながら、俺に視線を向けた。
「まず、ラボーチェ諸島は潮の流れが特殊で、諸島の内海には特定の時間しか入れません」
「特定の時間だと?」
「はい。一日に二回、朝と夕方に潮の流れが変わり、内海と外海の境目でいくつもの大渦が発生します。その潮に乗るんです」
「大渦に突っ込むのか? この船は大丈夫なのか?」
「大型のガレオン船でも大破するでしょう。しかし、一本だけ大渦を避ける潮の流れがあるんです。我々はその潮を進みます」
「その潮を知らなければ、入れないというわけか」
「ええ、そうです」
「しかし、今は飛空船がある。空から侵入できるだろう?」
「飛空船の登場はさすがに焦りました。ですが、島は港周辺以外ほとんどが未開で、着陸場所がありません。広い平地がないため空港も作れませんしね」
「なるほどね。空中停泊して上陸しようとしても、その間に墜とせばいいのか」
「ええ、そうです。ですから、過去一度もアジトを攻撃されたことはないんですよ。はは」
サベーラが乾いた笑い声をあげる。
今や他人事のようだ。
「お前は逃げると言っていたが、どうするんだ?」
「まず、本艦は港へ入ります。そこでマルディン艦長を下ろした直後に、俺たちはすぐに港を離れます」
「他の船員は?」
「実は……今回の件で、全員足を洗うと言ってます。奴らは海賊ですが、腕のいい船乗りなのは確かです。どこかで仕事に就くでしょう」
「お前はどうするんだ?」
「俺はしばらくの間、どこかの街に潜伏します。はは」
サベーラがラボーチェ諸島の地図を指差した。
諸島の入口から、アジトの港まで指でなぞる。
これが大渦を避ける船のルートだろう。
そして、指をなぞりながら、もう一度港から外海へ戻った。
「マルディン艦長を降ろした直後、俺は裏切った旨の信号旗を上げてすぐに出港します。潮の流れは間に合うはずです。俺たちが潮に乗って諸島を出ると、海流が閉じます。そうなると、次の渦は夕方なので俺たちは逃げ切れます」
「逃げた先で、船はどうするんだ?」
「船はどこかの浜に座礁させて放棄しますよ。はは」
サベーラが左手を腰に当て笑っていた。
「わざわざ裏切りを示すのはなぜだ?」
「俺たちが騒ぎを犯せば、艦長も潜入しやすいでしょう?」
「なるほどね。囮になってくれるのか。だが、礼は言わないぞ?」
「はは、いりませんよ。むしろ足を洗うきっかけをくれたんだ。感謝してますよ」
完全に毒気が抜けたサベーラ。
凪の嵐は容易に組織を抜けられるのか不明だが、幹部がそうやすやすと抜けられるわけがない。
それに、裏切りは激しい報復があるはずだ。
ということは、サベーラは俺が凪の嵐を壊滅させると思っているのだろう。
「サベーラ、もう二度と犯罪を犯さないと誓うか?」
サベーラに問うと、俺の顔を真っ直ぐ見つめた。
その瞳は覚悟を決めたような力強さを持っている。
「ええ、誓います」
心を入れ替えた人間には、一度くらい更生のチャンスがあってもいいだろう。
「分かった。上陸したら、当局に出頭しろ」
「出頭ですか? 拷問されちまう」
「させんよ。手は回す。だから、真っ当に罪を償え」
「俺は死罪ですよ。それが嫌だから逃げるんです。はは」
「そうかもしれんが……。もし、罰を受けて戻ってきたら、俺が使ってやる」
「使うって、何をするんですか?」
「小舟を買ってやる。観光客相手に釣り船をやれ」
「俺が釣り船? 俺が? はは! 釣り船だって! それもいいですね! あははは!」
サベーラが腹を抱えて笑っていた。
「サベーラさん! モンスターです!」
船員が叫びながら操縦室に入ってきた。
これまで何度かモンスターに遭遇しているが、船は襲われていない。
「今度は何だ?」
「レ、海首竜です!」
「な、なんだと! この海域にはいないだろ!」
「そ、そうなんですが、もう完全に狙われてます!」
「ちっ! 逃げるぞ!」
舌打ちしながらも、サベーラが船員に指示を出していた、
「いい、俺が出る」
俺は船員と一緒に甲板に出た。
海首竜は海竜型の首長類で、Bランクの水棲モンスターだ。
海面から首を出し、左舷前方からゆっくりと近づいてくる。
一般的な海首竜の全長は十二メデルトほどで、首の長さだけで五メデルトもある。
細長い頭部は水中を泳ぐことに特化しており、強靭な顎に鋭い牙は、大型の魚類すら真っ二つに噛みちぎる。
海首竜にとって、人間なぞ小魚と一緒だろう。
漁師たちからは、非常に恐れられている海のモンスターだ。
俺は悪魔の爪を抜き、舷墻の前に立った。
俺の姿を視界に入れた海首竜。
この個体は首の長さが六メデルトはある。
かなりの巨体だ。
「ギシャアアアア!」
叫びながら、大きな顎を広げた。
そのまま俺を噛みつこうと、頭上から迫りくる。
「わざわざ首を差し出してくれるとはな。ありがとう」
俺は頭上のヤードに糸巻きを発射し、身体を宙に浮かせた。
海首竜の長い首を見下ろしながら、糸を巻き取る。
そして、甲板へ落下と同時に悪魔の爪を振り下ろした。
「ギギャッ!」
短い絶叫と共に、海首竜の巨大な首が、まるで大木を切り落としたかのように音を立てて甲板に落ちた。
「ボサっとするな!」
サベーラが一喝すると、船員たちが滑車装置で海首竜の胴体を引き上げる。
その動きはまるで漁師だ。
「信じられない……。海首竜を一撃なんて……」
ティアーヌが甲板に出てきた。
その後ろで、シャルクナが得意げな表情を浮かべている。
「マルディン様なら、これくらい当然かと」
「数日前まで船酔いで死にそうになっていた人ですよ?」
「しかし、マルディン様ですから」
「それもそうですね。マルディンさんですもんね。ふふ」
二人は意味不明な会話をしていた。
「マルディン様、海首竜は美味しいです。さっそく今日の夕飯にしましょう」
シャルクナが厚刃包丁を手に持ち、肉厚な部位を切り落としていく。
この船には解体師がいないため、アリーシャのような精密な解体はできない。
食べる分だけを取り、残りは海に捨てる。
これほどの巨体であれば、豊富な海の栄養になるだろう。
サベーラが両手を広げ、笑顔で歩いてきた。
「お見事でした。しかし、まさかこれほどとは……。首落としはモンスターに対しても有効なんですね」
「その名はやめろ」
肩をすくめるサベーラ。
「しかし、あんなものを目の前で見せられたら……。俺は足を洗って良かったです。はは」
「まだ洗ってないだろ?」
「そうですね……」
サベーラが舷墻に手を置き、沖を眺める。
「マルディンさん、俺は出頭します。罪を償う。だから、いつか雇ってください。はは」
「ああ、いいだろう」
サベーラは、夕日が映る海を穏やかな笑顔で見つめていた。




