第229話 奇妙な信頼関係と航海2
シャルクナが作った料理を艦長室へ運び、俺たちは三人で食事を取った。
こんな海の上なのに、町のレストランで食べるような緑爽の肉巻きや、蜜黄玉とハチミツの果汁を堪能できるとは驚いたものだ。
特に一角鮪のステーキは絶品だった。
シャルクナの料理は毎回感動的で、諜報員にしておくのはもったいない。
「シャルクナ、旨かったよ。ありがとう」
「とんでもないです」
今回のシャルクナは、残念ながら自分で釣った一角鮪を食べることはできなかった。
釣りの醍醐味は、自分で釣った魚を食べることだ。
「帰ったら、また釣りに行くか」
「よろしいのですか?」
「もちろんさ。一角鮪を釣りに行こう。あーでも次は、俺が釣ってシャルクナにご馳走するよ。はは」
珈琲カップを持つティアーヌの手が止まった。
「え? 『俺が釣る』……ですか?」
「な、なんだよ」
「い、いえ、何でもありません」
ティアーヌの表情は真面目だが、唇が僅かに震えている。
笑いを必死に堪えているようだ。
「お前、笑ってるだろ?」
「笑って……ません」
ティアーヌは絶対笑ってる。
言い返そうと考えていると、艦長室の扉をノックする音が聞こえた。
「サベーラです」
「サベーラ? 今出る」
ティアーヌとシャルクナが暗殺短剣を持って構えるが、それを制して甲板に出た。
「マルディン艦長、これからの予定は?」
サベーラが俺の前に立つ。
少し警戒したが、不要なようだ。
「俺は艦長じゃない」
「いえ、もうこの船はマルディン艦長のものです」
「これまで通りだ。お前が指示を出して航海しろ」
サベーラは完全服従の姿勢を見せていた。
それが本気かどうか分からないが、俺たちは航海に関して素人だ。
サベーラに任せるしかない。
「凪の嵐のアジトまで最短で行け」
「もちろん、そのつもりなのですが……。一つお願いがあります……」
「そんなことを言える立場か?」
「い、いえ! ですが、船員が減ったため大幅に時間がかかります。六日ほどかかるかもしれません。さすがに交代せずに昼夜の航海は難しく……。これ以上船員が死ぬと、航海自体ができなくなります」
「つまり休ませろと」
「はい……」
このキャラック船の船尾楼は二層になっており、上が艦長室で、下に操縦室が設けられている。
操縦室の操舵輪は、操舵手一人で舵の操作が可能だ。
以前までの帆船は、船内にある棒状の舵を数人がかりで操作していたという。
ラルシュ工業が飛空船を開発したことで、操舵輪が誕生。
飛空船で生まれた技術は、帆船にも影響を与えていた。
しかし、帆に関しては十人単位で操作する。
ここにいる船員だけで、夜通しの航海が無理なのは俺にも理解できる。
「分かった。航海は日が出ている間だけだ。日没したら停泊していい」
「あ、ありがとうございます」
「それとな、船員の不満はお前が抑えろ」
「もちろんです」
「船員が少しでも反抗すれば、責任を取るのはお前だ。意味は分かるな?」
「はい……」
サベーラが身体を震わせた。
このまま恐怖だけでも支配は可能だが、士気に関わる。
これ以上航海速度が落ちるのは避けたい。
「いいか、馴れ合いはない。だが、食事は日に三回。女たちが作るようにしよう」
「よろしいのですか?」
「少ない人数で航海するんだ。栄養のある旨いものを食え」
「あ、ありがとうございます」
厳しい航海だからこそ、楽しみは必要だろう。
とはいえ、海賊たちを気遣っているわけではない。
ただの飴と鞭だ。
こうして海賊たちと、奇妙な信頼関係を持ったまま航海が始まった。
――
艦長室に戻ると、シャルクナが俺に一礼してきた。
「マルディン様、イスーシャを呼びますか?」
「ん? ああ、さっき甲板に出たついでに笛を吹いたよ」
イスーシャは俺が飼育している四肢型鳥類のBランクモンスター大鋭爪鷹だ。
野生の大鋭爪鷹は非常に恐ろしい存在だが、生まれた直後から飼育し訓練すると驚くほど従順になる。
飛空船が発達した現在でも、通信手段の中心を担う存在だ。
人の耳には聞こえない超高音の笛を使えば、大鋭爪鷹を呼び寄せることができる。
一応俺も無策で船に飛び乗ったわけではない。
イスーシャを使い、シャルクナやティアーヌと連絡を取り合いながら、凪の嵐に潜入しようと思っていた。
まさか二人がこの船に乗るとは思わなかったが……。
まあそれを今言っても仕方がないし、二人の行為は俺を心配してのことだ。
そもそも、勝手に行動した俺が悪い。
「マルディンさん、私もファルシルを呼びますね」
ファルシルは、ティアーヌが調査機関で飼育している大鋭爪鷹だ。
「イスーシャとファルシルといえども、数百キデルト離れている。数日はかかるだろう」
ティアーヌが船尾の窓を開け、笛を吹いた。
もちろん俺たちには聞こえない。
――
二日目の朝。
床に寝ていた俺を悲劇が襲う。
「マルディンさん、大丈夫ですか?」
「ああ……」
「ベッドで横になってください」
「ああ……」
船酔いだ。
レイリアの薬の効果が切れた。
備蓄もない。
「すまん……」
これだから船も海も……嫌いだ。
◇◇◇
マルディンたちは可能な限り海賊と顔を合わせないようにしており、食事も当然艦長室で取っていた。
シャルクナとティアーヌが海賊含め全員分を調理し、自分たちの分だけを艦長室へ運ぶ。
海賊たちの分はコックが取り分けていた。
二日目の夕食時、食堂で三人の男がサベーラを囲むように座った。
「艦長。あのマルディンって奴、船酔いですよ」
「ああ、女どもが別で飯を作っていたが、明らかに病人食だったぜ」
「あの二人、クソ美人じゃねーか。マルディン殺して、やっちまおうぜ。もう我慢できねーよ」
船員たちがサベーラに詰め寄る。
「やめろ。やめるんだ」
「なんでですか!」
「せっかくマルディンと話をつけたというのに……。大人しく言うことを聞いていれば、命は助かるんだ」
サベーラは周囲を見回す。
ティアーヌとシャルクナがいないことを確かめた。
「マルディンは本当にダメだ。手を出すなと言っただろう」
「でも船酔いですよ!」
「奴が船酔いだろうが、重度の病人だろうが、俺たちが束になっても敵う相手じゃない。いいか、世の中には、絶対に手を出してはいけない本物の化け物がいるんだ」
「じゃ、じゃあ女を人質に取れば!」
サベーラは、力なく首を横に振る。
昨日まで黒髪だった頭髪が、今や完全な白髪となって静かに揺れた。
「あの女もヤバいんだ……」
声を震わせながら、小声で話すサベーラ。
あの女とはティアーヌのことだ。
「どこがですか! 普通の女じゃないっすか!」
「俺はあの金髪の女を知っている。凪の嵐に入る前は、別の組織にいてな。そこで見たんだ。あの女は『嫣然』と呼ばれていた。名前までは分からんがな。俺のことは気づいてないと思うが、俺ははっきりと覚えている」
「嫣然? ど、どういう意味でですか?」
「美人が笑うって意味だ」
「それのどこがヤバいんですか? 確かに美人だ。だからみんな興奮してるんですよ」
「あの女はな。殺す時……にこやかに微笑むんだ」
「笑いながら……殺す?」
「そうだ。俺がいた組織は、あの女一人に壊滅させられた。優しい微笑みを浮かべながら重槌を振り回し、刺突短剣で刺し殺していくんだ」
男たちの顔色が青ざめた。
サベーラの話に聞き耳を立てていた他の海賊たちも、言葉を失っていた。
「青髪の女も同格だろう。むしろ、青髪のほうがヤバいように思えるしな。とにかく、逆らうことはやめておけ。せっかく旨い飯が食えるんだ。それに、あいつらも無抵抗なら殺さないと言ってる」
マルディンとの約束で、サベーラは船員たちを抑えるために説得した。
しかしこれはサベーラの本心でもある。
「アジトに帰ったら、俺はそのまま消える。船を下りる。あんな化け物に狙われるのは……もうごめんだ。お前らも考えておけ」
食堂には静寂が訪れた。
◇◇◇




