第227話 海の魅力と恐ろしさ7
艦長室へ向かって歩いていると、左右の手をそれぞれ掴まれた。
振り返ると、ティアーヌとシャルクナだった。
「な、なんでお前たちがいるんだよ!」
「私はマルディン様のメイドですから」
シャルクナが手を離し、一礼した。
「あのですね! 私は二人に怒ってるんです!」
ティアーヌが正面に立ち、両手で俺の胸を叩く。
「死にに行くようなものです!」
「ティルコア進出を狙っていたんだ。黙ってられないだろ?」
「だ、だからといって!」
「これはチャンスだ。この船の帰港に乗じて、凪の嵐に潜入する」
「そんなに上手くいくわけないじゃないですか! もっとご自身の命を大切にしてください!」
俺の胸を押しつけるティアーヌの腕に力が入る。
瞳には涙を溜めていた。
「海賊は許せないんだ」
「あ……。セーム港のことを……」
「それに、フェルリートには俺が殺すところを見せたくなかった」
「マ、マルディンさん……」
俺の言葉を聞き、大きく呼吸するティアーヌ。
三回目の息を吐いたところで、いつもの明るい表情を浮かべた。
「こうなったら、三人で乗り込むしかないですね」
「いやいや、お前たちは帰れって」
「もしギルドをクビになったら、マルディンさんが雇ってくださいよ?」
「だから帰れって。今なら間に合うだろ」
「中央局調査室に入れてください。マルディンさん一人しかいないじゃないですか」
「人の話を聞けって!」
俺の話を全く聞かないティアーヌ。
「さっきのマルディンさんと同じことをしてるだけです。人の意見なんて聞いてくれないんだから」
「ぐっ」
「ご自身がやられたら嫌でしょう?」
何も言い返せない。
そもそも俺は、ティアーヌに口論で勝てたことがない。
「すまなかったよ」
「それじゃあ、調査室入りの件も、よろしくお願いしますね」
ティアーヌが笑顔で首を横に傾けると、明るい金色の長髪が海風に舞った。
その隣で、シャルクナが小さく手を挙げている。
「では、私も調査室に異動します」
「お前は特殊諜報室の黒の砂塵だろーが!」
海賊船が翠玉の威風と離れていく。
甲板に出てきたフェルリートが、身を乗り出して叫んでいたが、もう声が届かない距離だ。
「すまん、フェルリート。帰ったら……怒られちまうな」
「絶対に帰って、みなさんから死ぬほど怒られてくださいよ。まったく……」
ティアーヌが溜め息混じりに呆れていた。
――
この海賊船は七番艦で、艦長の名はサベーラ。
年齢は四十歳ほどの男だ。
とにかく生にしがみついており、生きるためなら何でもするタイプだった。
話を聞くと、この船では船長ではなく艦長と呼ぶそうだ。
一番艦の艦長が凪の嵐の提督で、名をアッディという。
七組織に名を連ねるアッディは、夜哭の岬の大幹部の一人だ。
船内にいた海賊を全て甲板に集合させた。
甲板に落ちている二十人の首を見て怒り狂う者、恐怖を浮かべる者、嘔吐する者、二人の女を見て興奮する者など反応は様々だ。
「この船は凪の嵐のアジトへ向かう。逆らえば首を落とす。それと、この二人の女も俺と同等の実力を持つ。襲っても死ぬだけだ」
「ふ、ふざけんな!」
一人の男が声を上げた。
「ふざけてるのはどっちだ。貴様らは人の幸せと尊厳を奪うだけのクズだ。それなのに自分が奪われる側になった途端、怒り出し、敵わないと分かると醜い命乞いをする。貴様らは何の覚悟も持たないただの害虫だ。いや、一生懸命生きている虫にも失礼だな」
「こ、殺す!」
「いいぞ、やってみろ。海賊にプライドと覚悟を持つ者は一歩出ろ。海賊のまま死なせてやろう」
「くっ」
誰も出ない。
当然だろう。
こいつらに覚悟なんてあるはずがない。
「逆らわなければ命だけは助けてやる。死にたくなかったら働け、いいな」
もちろん、着いたあとのことまで俺の知るところではない。
本格的な航海に入る前に、船員たちに甲板を掃除させた。
俺はサベーラを引き連れ、艦長室へ移動。
ティアーヌとシャルクナも一緒だ。
サベーラはなぜか、ティアーヌに何度も視線を向けていた。
船内の武器は全て没収している。
その中から、護衛用に暗殺短剣を娘たちに渡した。
この二人にとっては十分だろう。
「サベーラ、お前が航海の指示を出せ。何か変なことをしたら、その場で貴様の腕を落とす。次は足だ。死なない程度に治療してやるが、ろくな治療もできないこの船では地獄だろう」
「わ、分かってる! だからそれだけは勘弁してくれ!」
サベーラの顔からは血の気が失せていた。
ここまで脅せば反乱はないだろう。
もしこの表情が演技だとしたら、相当な役者だ。
殺す前に褒めてやろう。
「な、なあ、あんたの名前はなんて呼べばいい?」
「そうだな……」
偽名を考えたが、どうせバレる。
本名を伝えよう。
「マルディンだ」
むしろ、この名が抑止力になるかもしれない。
もちろん、復讐心を持つかもしれないが、その時はその時だ。
「マルディン……? どこかで聞いた……。ティルコアのマルディンって……。ま、まさか! く、首落とし!」
「詮索しないほうがいいぞ」
俺の名は知っていたようだ。
サベーラが今にも倒れそうなほど、よろめいている。
「わ、分かった……。もう分かったから……。絶対に逆らわない……。頼む……頼むよ……」
「俺たちはこのまま艦長室を使う」
「も、もちろん……です」
「しばらくしたら夕飯だ」
「作らせます」
「毒を入れようなど……」
「させません。部下には徹底させます」
サベーラが俺の言葉を遮った。
まあ、毒が入っていれば分かるだろうし、この言葉は信じよう。
それに、俺たちだけでは船は動かせないのだから。
◇◇◇
サベーラが甲板に戻ると、残った海賊たちがサベーラに詰め寄る。
「サベーラ艦長! こっちは二十人いるんだ! やっちまいましょう!」
「やめろ、やめるんだ」
力なく答えるサベーラ。
「なんでですか! つえーかもしれねーが、相手はたった三人なんだ。それも女が二人ですよ!」
「お前ら、怒れる聖堂が壊滅したのは知ってるな?」
「ああ、やべー奴に手を出したって話は知ってます。だけどそれが何だってんだ! 関係ない! 仲間の敵だ!」
「そいつなんだよ」
「はい?」
「怒れる聖堂をたった一人で壊滅させたのが、あの男……マルディンって奴だ」
「なっ!」
「マルディンが裏の世界でなんて呼ばれてるか知ってるか?」
全員が首を横に振る。
「首落としだ」
「首落とし……」
「そうだ。その昔、北方蛮族の船団千人を一人で皆殺しにした。全員の首を落としてな」
海賊たちはその言葉に絶句した。
「それに、あの金髪女もヤバいんだ。あれも裏の世界では有名な化け物だ」
サベーラが震えながら視線を床に落とす。
「お前ら、マジで手を出すな。相手は首落としだぞ。あれは……本物の死神だ」
震えるサベーラを見て、海賊たちは違和感に気づいた。
サベーラの黒髪が、この短時間で白髪に変わり果てたことを。
◇◇◇




