第225話 海の魅力と恐ろしさ5
太陽が頭上を過ぎる頃には、生け簀が一杯になっていた。
生け簀を覗いたグレクが、船長室のイスムに向かって両手を上げ交差させる。
「イスムさん、生け簀がいっぱいだ! どうしますか!」
「予定より早いが帰港する! これほどの大漁になるとは思わなかったわ! がははは!」
イスムが笑いながら指示を出すと、漁師たちが片付けに入った。
「じゃあみんなも片付けてくれ。帰ったら各々釣った魚を配るよ」
グレクの合図で、俺たちも竿を片付ける。
シャルクナは一角鮪を釣り上げたあとも、棘白鯛や岩頭鮪という高級魚を釣り上げていた。
片付けながら、俺に頭を下げるシャルクナ。
「マルディン様、ありがとうございます。楽しかったです」
「そうか……。良かったな……」
ラミトワが俺の顔を覗きながら、小さく溜め息を吐き、肩をすくめた。
何も言い返せない。
――
翠玉の威風が帆を広げ前進を開始。
俺は舷墻の手すりに手を乗せ、海を眺める。
「せっかく漁場に来たんだ。俺だって釣りたかったよ……」
かすれた声を絞り出す。
名残惜しさから後方の漁場を眺めると、一隻の船が見えた。
「あれは? おい、グレク。あれってティルコアの船か?」
すぐ近くでロープを巻き取っていたグレクに声をかけた。
「船だと?」
グレクが手を止め、俺が指差す方向を眺める。
「キャラック船だな。うちの漁船じゃない。あの規模は商船だが……。どこの船だ?」
グレクがシタームに視線を向けた。
「シターム、上から見てくれ」
「了解です!」
シタームが、シュラウドと呼ばれるマストを支えるロープへ向かう。
元サーカス団所属のシタームは、揺れる船上でも信じられない速度でシュラウドを駆け上がり、マスト上部のヤードに立ち単眼鏡を覗いた。
「か、海賊! グ、グレクさん! 海賊です!」
「なんだと!」
海賊と聞いて、漁師たちが騒ぎ始めた。
俺はすぐにイスムの元へ走る。
「おい、イスム。この海域に海賊なんて出るのか?」
「出ないことはないが、この漁場では珍しい。くそっ、面倒なことになっちまったぜ」
「追いつかれるのか?」
「今日は大漁だったからな。追いつかれるかもしれん」
イスムの言う通り、キャラック船が徐々に接近してきた。
あのキャラック船は、翠玉の威風よりも二回りは大きいだろう。
「イスム、海賊はどうやって襲ってくるんだ?」
俺は海上で海賊に遭遇したのは初めてだった。
「奴らは船を横につけて、直接乗り込んでくる。船は拿捕され、船員は殺されるか奴隷にされる。女は……」
その言葉を聞き、忌まわしい過去が脳裏に蘇った。
俺は奥歯を噛みしめる。
「マルディン。護衛を頼んでもいいか?」
イスムが申し訳なさそうに頭を下げた。
「何言ってる! 当然だ!」
海賊船が近づくにつれて、俺の怒りも上がっていく。
「この船に手出しはさせない。いや、ティルコアの船に手を出すとどうなるか、クズどもに教えてやる」
海賊船が翠玉の威風と平行に並び、後方から近づいてくる。
甲板には三日月剣を抜いた男たちが、こちらの船に乗り込もうと待ち構えていた。
そして数人の男たちが、縄梯子を翠玉の威風に投げ込もうとしている。
これを舷墻に引っかけて、渡ってくるのだろう。
「女がいるぞ!」
「半分は女だ!」
「よっしゃああああ! 女だ!」
海賊どもの下品な声を聞き、全身を激しい怒りに支配された。
俺は船内の扉を指差す。
「フェルリート! アリーシャ! ラミトワ! リーシュ! レイリア! 船内に入れ! 急げ!」
「「「はい!」」」
「絶対に外へ出てくるな! 急げ!」
娘たちが船内へ逃げ込んだ。
安全のためなのだが、これから起こる惨劇を見せたくないという意図もある。
「ねえ、マルディン。私は?」
「漁師たちもだ! すぐに船内へ入れ! グレク! イスムもだ!」
イスムは渋ったが、もし捕まって人質になれば、俺が手出しできなくなることを知っている。
「すまん! マルディン!」
声を張り上げ、グレクと共に船内へ入った。
「ねえ、私は?」
俺の隣に立つラーニャが、何度も質問してくる。
「うるせーな! お前が危険なわけねーだろ!」
「私だってか弱い乙女なのよお?」
「乙女? 遊んでる場合じゃねーんだよ! 早く弓を構えろ!」
「はいはい」
船には万が一のために、いくつかの武器を積んでいる。
「ティアーヌ! シャルクナ!」
「「はい!」」
「うるさいからラーニャを守れ!」
「「はい!」」
二人は片手剣を手にした。
自分の武器ではないが、この二人ならどんな武器を使っても問題ないだろう。
俺はバッグから糸巻きを取り出し、左腕に装着した。
海賊船までは約十メデルトの距離だ。
糸巻きが届く。
「制圧してくる! ラーニャ! 援護を頼んだぞ!」
「え? ちょっと! 待ちなさい!」
俺は糸巻きを海賊船に向けて発射。
糸をヤードに引っかけ、あえて甲板の中心に着地した。
俺が囮になれば、海賊たちが翠玉の威風に乗り込むことを阻止できる。
「な、なんだこいつ!」
「乗り込んできやがったぞ!」
「殺せ!」
三日月剣を抜いた男たちが二十人はいる。
いや、もっとか。
まあ別に二十人が百人になろうが構わない。
三日月剣を振り上げ、俺に襲いかかる海賊たち。
「貴様らはいつも奪う」
この醜悪な顔には心底うんざりする。
「醜いクズどもめ」
人は生き様が顔を作る。
略奪しかしないような人間には、人として美しさの欠片もない。
俺は左腕を大きく回した。
一斉に落ちる首。
揺れる船体は、玉遊びのように甲板の上で首を転がしていた。
「ぎゃああああ」
同時に、マストの見張り台から二人の男が落下してきた。
喉元にはラーニャの弓が刺さっている。
この揺れる海上で、正確に射抜くラーニャはさすがだ。
船内からさらに海賊たちが姿を見せたが、甲板を見て絶句している。
「船長はどこだ?」
「え? い、いや……」
「どこだと聞いている」
「こ、後部の艦長室に。た、助け……」
俺は悪魔の爪を抜き、横に振った。




