第224話 海の魅力と恐ろしさ4
水平線から昇った太陽が、細かく波打つ海面を照らす。
大量の海鳥たちが、上空から海面に飛び込んでいた。
「魚群だぞ! 釣れ釣れ!」
イスムが声を張り上げる。
周りを見ると、みんな釣れている様子だ。
甲板の生け簀には、次々と釣り上げた魚が入れられていく。
生け簀を覗くと銀班鯖や大剃鯵を始め、青石魚や高級魚の棘白鯛の姿もあった。
「マルディン、どうですか?」
「アリーシャか。そういうお前はどうなんだ?」
俺はこれまで一匹も釣っていない。
俺に声をかけてくるということは、アリーシャも釣れてないのだろう。
「この漁場ですからね。もう十匹以上は釣りました。少し休憩です」
「な、なんだと!」
俺の反応を見て、アリーシャは察したようだ。
「あ……えーと……。マルディン、あの魚群を狙ってください。大物が釣れますよ」
「ああ、やってみるよ」
アリーシャと話していると、ラミトワが釣ったばかりの青石魚を生け簀へ投げ入れた。
「あれー? マルディンさんは釣れてないのかなあ?」
「う、うるせーな。俺はこれからなんだよ」
「マルディンって、釣りだけは本当に下手だね」
「あのなあ、生まれた頃から釣りをやってるお前たちと一緒にするなっつーの!」
俺の言葉を聞いたラミトワが、真顔でティアーヌを指差した。
「でも、ティアーヌさんは釣ってるよ? ん? ん?」
ラミトワのその表情がマジでムカつく。
盛大な煽りだ。
ティアーヌが俺たちの視線に気づいたようで、笑顔を浮かべながら、釣ったばかりの魚を掲げた。
「マルディンさん! 釣りは楽しいですね!」
「そうか……。良かったな……」
「もっと大きな魚も釣りたいなあ」
ティアーヌは魚を生け簀に入れると、魚群に向かって竿を振った。
生け簀にはどんどん魚が入れられていく。
レイリアも釣っている。
さすがは漁師の娘だ。
昔から釣りをしていただけあって、上手いなんてもんじゃない。
女性陣で最も釣っていた。
もちろん、父親のアラジも同じくらい釣り上げている。
「なんつー親子だ。魚にとっては厄災だな」
俺は釣り初心者のシャルクナに視線を向けた。
「シャルクナはどうだ?」
「マルディン様。釣りは難しいです」
「そうだろ? あんなに釣り上げるほうがおかしいんだよ」
「はい、そう思います。でも、せっかくマルディン様に竿を買っていただいたので、私も釣りたいと思います」
俺はシャルクナに竿をプレゼントした。
いつも家のことをやってくれているし、ティルコアで釣りを楽しんでほしいと思ったからだ。
だが、どうやらシャルクナは、まだ一匹も釣ってない様子だった。
「よう、どうだい?」
グレクが俺の肩に手を置く。
「ダメだな。全く釣れん」
「諦めるなって。これからだよ。他の連中は小さい頃から釣りしてるんだ。釣れて当然だよ」
グレクの慰めはありがたいが、むしろ悲しくなる。
俺は釣り竿を構えた。
「マ、マルディン様!」
隣でシャルクナが声を上げた。
振り向くと、竿先が何度も動いている。
「お! シャルクナさん! 来てるぞ! 合わせるんだ!」
グレクが叫んだ。
「合わせる?」
「竿を思いっきり引いて、魚に針をかけるんだ!」
「わ、分かりました」
シャルクナは言われた通り竿を引く。
空気を切り裂いた竿先から、遅れて音が発生した。
その瞬間、竿全体が大きくしなる。
これは大物だろう。
「かかった! いいぞ、シャルクナさん! ってか、こりゃヤバいな」
グレクが叫びながら、操縦室を振り返った。
「船長! 大物だ! 一角鮪だ!」
イスムが甲板に出てきて、シャルクナの竿を確認し、糸の先を見つめた。
「こ、こりゃあ……。全員糸を巻け! 急げ!」
イスムの声で全員が竿を引き上げた。
大きな魚は海中を蛇行しながら潜っていくため、他の竿の糸が絡み合ってしまうそうだ。
「時間がかかるぞ! だが一角鮪の大物だ! シャルクナさん、頑張れ!」
「そうだぞ、自分で釣り上げるんだ!」
「一角鮪なんて一生に一度だぞ!」
漁師たちが応援している。
シャルクナはいつも市場で魚を買っており、いつの間にか漁師と仲良くなっていた。
メイド服と清楚な容姿で大人しいシャルクナは、漁師たちから絶大な人気を誇るそうだ。
竿を立てリールを巻くシャルクナ。
漁師たちが必死に応援する。
「「「え?」」」
誰もが長丁場になると思っていた魚との戦い。
だが、すぐに漁師たちの顔色が変わった。
そもそも、シャルクナは大人しいメイドなんかではない。
一流の諜報員で、巨大な両断剣使いだ。
竿の動かし方は両断剣に似ているのかもしれない。
「一角鮪は美味しいから好きなんです」
涼しげな顔で、リールを一気に巻き上げていく。
これほどの巨大魚になると、船に引き上げるためには手鉤を魚体に引っかけるのだが、シャルクナは余裕の表情で、そのまま船に引っ張り上げてしまった。
「釣れました!」
笑顔で喜ぶシャルクナ。
だが、漁師たちは絶句している。
甲板で一角鮪が大きく飛び跳ねる音しか聞こえない。
「ぼさっとするな!」
イスムが一喝すると、漁師たちはすぐに動いた。
シャルクナが釣り上げた一角鮪は体長三メデルトもある。
先端の角だけでも一メデルトだ。
一角鮪はこの角で海中の獲物に打突し、気絶させて狩りをする。
だが、一角鮪を釣り上げた際に、この角が人間を貫くことがあるという。
それが原因で、命を落とす漁師もいるほどだ。
甲板で暴れる一角鮪を、漁師たちが棍棒で叩き気絶させた。
そして、すぐにエラに厚刃包丁を入れて血抜きをする。
その様子を眺めていたアリーシャの肩に、イスムが手を置いた。
「アリーシャ。解体頼めるか?」
「ええ、分かりました」
アリーシャが愛用の解体短剣を取り出し、シャルクナに一礼した。
「シャルクナさん、おめでとうございます。この一角鮪は私が捌きますね」
「はい、お願いいたします」
「それにしても、これは凄い個体です。本当にお見事でした」
「ありがとうございます」
アリーシャは一角鮪の腹に解体短剣を入れ、一気に解体していった。
シャルクナは嬉しそうに解体を眺めている。
「シャルクナさん、すごーい!」
フェルリートがシャルクナの両肩に手を置き、飛び跳ねて喜んでいる。
「一角鮪を船まで引き上げちゃうなんて、ビックリだよ!」
「皆様のおかげです」
「違うよ! シャルクナさんの竿さばきは本当に凄かったもん!」
仲の良い二人のやり取りが微笑ましい。
気づいたら、俺の隣にラミトワが立っていた。
黙って俺の顔を見上げている。
「何が言いたい?」
「何も言ってないよ?」
今日はシャルクナのための釣りだ。
シャルクナが釣れればそれでいい。




