第220話 港に来た商人8
◇◇◇
漁船に乗ったフスニとグレク。
「グレクさん。俺は……、俺はティルコアの漁師として、やっちゃいけないことをやっちまった……」
引き上げた錨のロープをまとめながら、フスニは声を絞り出した。
グレクは黙って艪を漕ぐ。
艪とは、船を漕ぐための船尾に付いた一本の木製の長い道具だ。
マルソル内海の小型漁船では、多く用いられている。
「最近は漁が上手くいってなくて……。岩虎魚ばかり釣れるし……」
歯を食いしばり、ロープを握りしめるフスニ。
船は岸を離れ、港に向かう。
グレクは艪を漕ぎながら、フスニの震える背中を見つめる。
「お前、謝れ。この海を守ってきたティルコアの漁師たちに。そして最後まで最高の漁師だった俺たちの師匠に」
「俺はなんてことを……。漁師のみなさん、すみません。トーラム師匠、すみません。すみません、すみません、すみません……」
この海で育ち死んでいった数多の漁師たちと、師匠のトーラムに心からの謝罪を繰り返すフスニだった。
◇◇◇
商人の死から数日後、俺は漁師ギルドへ顔を出した。
ギルマスの部屋に入ると、イスムとグレク、そして町長のクシュルがソファーに座っていた。
「遅くなってすまん」
「大丈夫だ。マルディンも座れ」
ギルマスのイスムに促され、ソファーに座る。
受付嬢が珈琲を四つ淹れて退出した。
町長クシュルが全員を見渡す。
「さて、知っての通り、レイベール州では岩虎魚の捕獲及び売買が正式に禁止となった」
「まあ、うちのギルドは元々禁止にしていたがな」
「そうじゃな。漁師は問題ないとして、釣り人の監視が必要になる」
「ギルドで監視しよう」
「頼むぞ。その費用は町の予算から出す」
もし釣り人が釣ってしまった場合には、その場での放流が義務だ。
持ち帰ると処罰されることになる。
「領主のハルシャ様は大変聡明なお方でな、捕獲を禁止した岩虎魚の数が増えることを懸念されたんじゃ」
「その通りだ。岩虎魚の数が増えれば、漁師にとって死活問題だ」
ハルシャは学者たちの意見を元に、海の環境や漁師の生活を勘案し、漁師と港町に寄り添ったルールを作り上げた。
俺はすでにその話をロルトレから聞いている。
「ハルシャ様は、各港町の漁師ギルドに、毎月一定数の岩虎魚を水揚げするように指示を出された。それを町が買い取る。さらに町から州が買い取ってくれるんじゃ」
「ふむ。それならば、漁師が捕獲した岩虎魚にしっかりと金を出せるな」
「そうじゃぞ」
クシュルが珈琲カップを持ち、深く息を吐く。
「それにしても、ハルシャ様はどこまで見通されているのか。儂も長年生きとるが、これほどの領主は見たことがない」
クシュルは感嘆の声を上げながら、珈琲を口にした。
ハルシャは岩虎魚を直接漁師ギルドから買い取るわけではなく、一旦町が買い取る仕組みにした。
それにより、ギルドにも町にも金が回る。
しかし、それでは州の予算を無駄に使うだけだが、ハルシャは岩虎魚で利益を出すための商品を考案。
俺もその話を聞いた時は、さすがに驚きを隠せなかった。
「水揚げされた岩虎魚は、その日のうちに焼却するんだ。焼却された岩虎魚は毒性が消え、高い栄養素を含む灰となる。その灰に、砕いて粉末状にした貝殻を混ぜることで、非常に良質な肥料へ生まれ変わる」
「ほう、それは凄いな」
俺の説明を聞いて、イスムが驚いている。
俺がこの話を聞いた時と同じ反応だ。
「この肥料は防虫効果も高いそうだ。そんな高品質な肥料が大量に生産できて、安価で販売可能なんだぜ?」
「あのお嬢ちゃんが……。信じられんな。がははは」
イスムの発言は不敬だが、気持ちは分かる。
漁師は岩虎魚が金になり、肥料を作る施設で新たな雇用が生まれ、農家は安価で高品質な肥料が手に入る。
全員が利益を享受できる仕組みだ。
さらに、ハルシャはこの肥料の輸出まで考えているという。
「外道と呼ばれた魚をレイベール州の特産物にしようなんて、本当に凄いお方じゃよ。若いのに、どれほど領地のことを考えていらっしゃるのか」
クシュルが目頭を押さえた。
領地のことなどろくに考えない領主もいる中、ハルシャは常に領地と領民の未来を考え行動する。
まだ若いハルシャだが、行動や理念に年齢は関係ない。
俺も心から尊敬している。
死んだ商人と毒物兵器、そして夜哭の岬との関係に関しては調査中だ。
しかし、今回の法令で岩虎魚の入手は難しくなった。
毒物兵器を生産する組織は打撃を受けるだろう。
もちろん、マルソル内海に面した他の州から入手は可能だが、金になると知った他の領主も、この法令や肥料の生産は追従するはずだ。
それを見越して、ハルシャは肥料に関して特許を取らず、要望があれば各州に製造方法を公表するという。
経済を支配してティルコア進出を図る犯罪組織に対し、ハルシャはそれを遥かに上回る規模の経済圏を作り跳ね除けた。
見事としか言いようがない。
「フスニの状況はどうだ?」
俺はグレクに視線を向けた。
「ああ、フスニは謹慎中だ。ギルドとして一ヶ月の謹慎を言い渡したよ」
「追放処分じゃなかったんだな。良かったよ」
「初回だし、今は猛省してるからな。それに自ら過ちを認め、取引をやめようとしたんだ。そこは評価してやりたい。もしあのまま取引を続けていたら、追放処分もやむを得なかったがな」
グレクの表情は少しだけ嬉しそうだった。
一度は道を踏み外したが、自ら戻ってきたフスニに対し、漁師たちは寛大な心で受け入れた。
そしてフスニに向かって直接、散々嫌味を浴びせた。
決して陰口は叩かない。
気持ちいい男たちだ。
フスニも気を使われるより、言われたほうが楽だろう。
俺は漁師たちの絆を感じた。
「なあ、マルディン。フスニは金を返すと言っていたが、どうすればいい?」
「あー、岩虎魚の代金か。売ったのは規制前だし、商人も死んじまったから別にいいんじゃねーか? もし、漁師ギルドで罰金を設けるならそれでいいよ」
「じゃあ、うちも別にいいか。その分、フスニには働いてもらうよ。はは」
グレクが姿勢を正し、隣りに座るイスムに視線を向けた。
「イスムさん、それでいいですか?」
「ああ、お前が決めたなら問題ない。お前の支部の話だし、フスニはお前の弟弟子でもあるからな。お前が面倒見ろ。がははは」
支部長のグレクが判断することに、イスムは何も言わない。
きっとグレクを将来のギルマスとして育てているのだろう。
イスムの真意は分からないが、俺はそんな気がする。
俺は全員を見渡した。
「以前から言っている通り、この町は犯罪組織に狙われている。暴力だけではなく、今回のように金や権利で利益を囁くこともあるだろう。これまで以上に気をつけてほしい」
「そうだな。うまい話にゃ裏があるってな。がははは」
イスムが豪快に笑っていた。
「さて、じゃあ俺は行くよ。あ、そうだグレク。例の件はよろしくな」
「ああ、任せとけ」
俺はソファーから立ち上がった。
「ん? なんだその例の件ってのは?」
イスムが首を傾げる。
「マルディンとシャルクナさんを連れて、海釣りに行くんですよ。俺の船を出します」
「何だと! マルディンもようやく海へ出る気になったか!」
イスムが太い腕で、豪快に俺を指差した。
「いや、今も出る気はないんだが……。まあ、シャルクナに船釣りを体験させてやりたくてな。港に近い湾内で船釣りができればいいさ」
「よし分かった! 儂の船を出そう!」
「待て待て、イスムの船って確か……」
イスムの船は遠洋漁業もできる帆船だ。
「あんたの船は大きすぎる! 港内でいいんだよ!」
「バカ言うな。せっかくの海釣りだ。外洋に出なくてどうするんだ!」
俺は泳げないし、何より船酔いが恐ろしい。
「いつものメンバーにも声をかけろ! みんなで行くぞ! がははは!」
「くそっ! イスムの前で言うんじゃなかったぜ!」
「お前ももうティルコアの男だ。いい加減海に慣れろ。がははは」
まあでもイスムの言うことも分かる。
泳ぎは無理だが、俺も船には慣れたい。
何より、俺もティルコアの男と言われたことが嬉しい。
この粋で誇り高い男たちが守ってきた海が、今の俺の故郷だ。
犯罪組織には渡さない。




